関東大震災の記録映画、製作当時の混迷や撮影者の使命感をドキュメンタリーに 9月、神戸・元町で公開

「キャメラを持った男たち-関東大震災を撮る-」より、倒壊した京橋千疋屋(日時不明)©記録映画保存センター

 関東大震災の記録映画は被害を広く伝えることに役立ったが、混乱の中でどのように製作されたのか、詳細は不明な点が多い。発生から100年の節目に合わせて製作されたドキュメンタリー映画「キャメラを持った男たち-関東大震災を撮る-」(81分)は、判明している3人の撮影者に焦点を当て、手記や証言を交えながら、決死の行動や心情に迫る。

 3人は、報道映画会社・岩岡商会の岩岡巽、日活向島撮影所の高坂利光、東京シネマ商会の白井茂。全員が30歳以下の若手だった。

 岩岡は発生直後に会社を飛び出し、近くの浅草や上野を撮影。大火から必死に逃れる人々に「なんで撮っているんだと、石を投げられ大変な思いをした」との回想が親族には伝わる。

 高坂は劇映画の撮影中だったが、川向こうの浅草に急行し、銀座や日比谷などへ移動。「こんな大地震を撮影しておかなければ」という手記の言葉にはプロの使命感がにじむ。

 白井は、埼玉・熊谷でのロケ撮影を放りだし、1日遅れで被災地に入った。約3万8千人が命を落とした陸軍被服廠跡(現・横網町公園)では、焼死体の山に直面。警官の「この私の家族だけは撮らないでくれ」という言葉に絶句し、一生懸命拝んでカメラを向けたという。

 「心身を痛めつけながら撮ったものをきちんと評価し、今の人に伝えたい」と井上実監督(57)。当時を追体験しようと、白井作品と同型のカメラを神戸映画資料館(神戸市長田区)から借り、撮影ポイントを回った。カメラと三脚を合わせると40キロ近い重さで、フィルムは3分ほどで交換が必要。がれきの中をかついで撮る苦労を実感した。

 災害史研究者の協力で、画面に映る建物や影などを手がかりに、撮影のルートや時間も特定。状況を具体的に浮かび上がらせた。

 「スマートフォンの普及で誰でも動画を撮れる時代になったが、記録とは写し取られた瞬間が全てではない。記録の価値や意味が問われるのはこれからだ」

 われわれは、映像の中の災害について本当に知っているのか-。東日本大震災に視点を移し、地元テレビ局のカメラマンにもインタビューを行うことで、そのような問いも投げかける。

 神戸・元町映画館で9月2~8日上映(いずれも午前10時から)。同館TEL078.366.2636

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 また、関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺をテーマにした映像作品が9月10日、大阪市生野区中川西2の在日韓国基督教会館で上映される。青丘文庫研究会(神戸市)などの主催。

 第1部は、虐殺の犠牲者追悼に取り組む神戸在住の林伯耀さんを主人公にしたドキュメンタリー映画「老華僑は黙らない」(仮題、武田倫和監督)の予告編と「80年前何があったのか」(2003年)を上映。第2部は、在日朝鮮人史研究者の塚崎昌之さんが「関東大震災の流言飛語と大阪の朝鮮人」と題して話す。

 第3部は、アーティストの飯山由貴さんの映像作品「In-Mates」(21年)などを上映。虐殺に触れた表現のある同作を東京都人権部が上映不許可とした問題を巡り、飯山さんや出演者のラッパーFUNI(郭正勲)さんらがトークを行う。

 午後1時から。1500円、学生千円。神戸映画資料館TEL078.754.8039 (田中真治)

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