小津安二郎監督の映画音楽を担当、今も続く作曲家の古里愛

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 高校や大学時代を過ごした1980年代は、米国映画から多くのヒット曲が生まれ、よく耳にした。映像と相まって情感を高め、場面を盛り上げる映画音楽。たまに聴くと、当時の思い出がよみがえる。

 邦画からも時代を象徴する曲が数多く誕生している。昭和にさかのぼるが、日本映画界を代表する小津安二郎監督の作品で音楽を担当した作曲家の一人が、島根県邑南町(旧瑞穂町)出身の伊藤冝(せん)二(じ)氏(1907~2003年)だった。家族の日常や人生の悲哀を独自の撮影技法で描く小津作品を支えた。

 映画作曲家への道は平たんではなかった。松江の学校に進学したが、いじめに苦しんで退学。14歳で親元を離れて上京し音楽を学んだ。戦前、小津監督と出会い、代表作の「晩春」「麦秋」などで音楽を担当。やわらかな情感の曲調がぴったりと合った。

 根底には古里の風景や暮らしがあったのだろう。あまり帰郷することはなかったというが、古里への愛情は今も生き続ける。亡くなった後の音楽著作権使用料を「瑞穂小学校の子どもたちのために使ってほしい」と遺言。著作権使用料は、同校児童の文化的な活動や教育環境整備で有効に使われ、今も届き続ける。毎年4年生は授業で伊藤氏について学んでいる。

 今年は小津監督生誕120年に当たり、さまざまな催しがある。巨匠の作品に触れながら、伊藤氏の人生や功績にも理解が広がることを願う。

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