中村哲さんを日本メディアで初めて現地取材 きっかけは?/九州朝日放送株式会社 解説委員長・臼井賢一郎さん 

西日本新聞社北九州本社が制作するラジオ番組「ファンファン北九州」。地元新聞社ならではのディープな情報&北九州の魅力を紹介しています。ラジオを聞き逃した人のために、放送された番組の内容を『北九州ノコト』で振り返ります。

ペシャワール会の例会で思い切って現地取材を持ち掛け、OKに

甲木:おはようございます。西日本新聞社 ナビゲーターの甲木正子です。

井上:同じく、西日本新聞社 井上圭司です。

甲木:今週のゲストも先週に引き続き、九州朝日放送解説委員長の臼井賢一郎さんです。臼井さん、今日もよろしくお願いします。

井上:よろしくお願いします。

臼井:よろしくお願いします。

甲木:先週はですね、臼井さんが民放とか公共放送の枠を超えて、出版された著書、“ドキュメンタリーの現在 九州で足もとを掘る”についてお話を伺い、「ドキュメンタリーとは何ぞや?」というお話をしていただきました。今日は、臼井さんのライフワークとも言える、お亡くなりになりました、ペシャワール会の中村哲さんとのお話を、伺っていきたいと思います。臼井さんは日本のメディアで、いち早く中村哲さんを現地で取材した人なんですよね。

臼井:そうなんです。今から31年前、1992年の10月に、パキスタンのペシャワールからアフガニスタンに入って中村哲さんのルポをしました。今では、中村哲さんは偉人的な存在になってますけど、当時はそういう状況ではありませんでした。それでも福岡の人ということで、とにかく会いたいと思い、支援団体のペシャワール会を訪ねました。「中村さんは夏の間2ヶ月ぐらいは毎年帰ってきています」ということで、ペシャワール会の夏の例会にお邪魔をして会ったというのがきっかけです。いろいろと話すうちに、思い切って「現地取材はできますか?」と聞いたら「いいですよ」と言われまして、そのとき夏でしたのが、「それでは秋ぐらいにお見えになりますか?」といきなり言われたんですよ。「えっ!」と、思いましてね。

甲木:そうですよね。臼井さん、ペシャワール行きたいと会社に言ってなかったんですよね。

臼井:そうなんです。ビックリしまして、すごく不安ありましたけども、会社に持ち帰って許可を得てですね、20日間ぐらいだと思うんですけど、現地取材をさせてもらったというのがきっかけだったんですよ。

甲木:行った臼井さんも凄いけど、許可した会社もすごいですよね。決して安全な所じゃないですよね。

臼井:今の方がますます厳しくなっていると思うんですけど、それはありがたかったと思いますね。

30年間、中村さんが言い続けていることや活動は、いささかも変わらなかった

甲木:何を視聴者に伝えたくて、中村さんを30年余り追い続けてこられたんですか?

臼井:簡単に言うと、中村さんは当時、「困ってる人がいたら手を差し伸べるんだ」と言い続けていました。ずっと言葉通りのことをやって、私はその結果を見てきました。それを伝えたかった。30年の間にもいろんな展開があったのですが、まず一番大きかった転機は、2001年9月の同時多発テロですね。中村さんは「あの時にアフガニスタンが、全く意味のない空爆を受けて、地元の民ばかりが、意味もない亡くなり方をして、合わせて環境も破壊されている」ということをおっしゃっていて、「そういうところに居るがゆえに、私は、そこにいる困った人に手を差し伸べ続けるんだ」というふうに言ってました。そして、「人々の命を救うのは水だ」と、「そのための用水路だ」っていう話になりました。その時、中村さんは白衣を脱いだんですけども、それもまた中村さんだなと思ったんですよ。中村さんは、何も変わったことをしているわけじゃない。必要に応じたことをやっている。いささかも本質は変わらず生き抜いて来られたというところに、私は比較的早い段階から気付いていました。ぶれない本質を見せて貰ったということ。これが、結果としてライフワーク的になってるという感じだと思います。

甲木:ぶれない中村さんを、ずっとぶれずに取材しているという感じですか?。

臼井:そういうことですね。

ボソボソ喋るけど言葉はシャープ そのギャップに惹かれたのかも

臼井:もう一つ中村医師を取材しようと思った理由は、人間的な魅力でしょうか。中村さんは喋り方がボソボソという感じで雄弁に語る人ではありません。ところが言葉はシャープなんです。このギャップに惹かれたっていうのはあったかもしれませんね。

甲木:でも、決して雄弁に語らない人から言葉を引き出して、それこそ映像の世界に引っ張り出すっていうのは、結構な技量がいるんじゃないですか?

臼井:そうですね。正直に申し上げて、取材対象としては非常に取材が難しい方でした。中村さんは、直裁的に感情を、カメラの前であらわにすることはありません。おっしゃるように雄弁に語るということはしません。我々は、ドキュメンタリーを制作する場合、こういう話をしてほしいと想定は考えるんですけども、中村さんは全く反応がなく言うことはいつも同じです。だから演出とか構成を考えると困るんですよ。でもそれが事実なんです。それが中村さんの凄さなんですよ。そのことが若い時には分かってなかったんです。時が経ってその重みが分かるようになったことが、中村さんとの取材では、非常に不思議で独特の経験ですね.

今がどんな時代か、その断片を最初に目撃できるのがジャーナリスト

甲木:これからジャーナリストを目指す人たちに、臼井さんから何かメッセージをいただきたいのですが。

臼井:まず最初に、ジャーナリストの仕事は絶対面白いと申し上げたいんです。ジャーナリズムというのは、時代とか歴史に大きく左右されます。そこをきっちり見極めて今を伝えるということだと思います。今はどんな時代で、私たちが今どういう状況にあるのかというのを、的確に伝えなければならない仕事であって、その断片を最初に目撃できるのがジャーナリストだと思うんです。これは幸せなことだと思うし、僭越ながら「今こういう時代です」「私たちは今、こういう状況です」と代表して言わせてもらっていることに等しい訳です。人々が生きる上で相当に頼られる部分と思います。我々のジャーナリズムが健全で豊かじゃないと、絶対世の中は暗くなるし、笑いもなくなる、それぐらいのことだと思ってます。

甲木:ありがとうございます。先週、今週と2回に渡り、九州朝日放送解説委員長の臼井賢一郎さんにお話を伺いました。臼井さん、ありがとうございました。

井上:ありがとうございました。

臼井:ありがとうございました。

〇ゲスト:臼井賢一郎さん(九州朝日放送株式会社 解説委員長)

〇出演:甲木正子、井上圭司(西日本新聞社北九州本社)

(西日本新聞社北九州本社)

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