『センチメンタル・シティ・ロマンス』のサウンドから付き付けられる貫禄と奥深さ

『センチメンタル・シティ・ロマンス』('75)/センチメンタル・シティ・ロマンス

名古屋発、一部では“日本最古のロックバンド”とも言われているセンチメンタル・シティ・ロマンス。メンバーチェンジもあったし、鬼籍に入られたメンバーもいるが、結成以来、一度も解散することなく、今も現役でバンドを続けているのは天晴れのひと言である。偉業と言ってもよかろう。50周年を記念して、6月末にはオールタイムベストアルバム『50th Anniversary The Very Best of SENTIMENTAL CITY ROMANCE』がリリースされ、8月23日には1stアルバム『センチメンタル・シティ・ロマンス』と、2ndアルバム『ホリデイ』がBlu-spec CD2とLPレコードで再発となり、お祝いムードが続いている。遅ればせながら、当コラムでも取り上げてみたいと思う。

細野晴臣が絶賛したデビュー作

この『センチメンタル・シティ・ロマンス』は[細野晴臣がアドバイザー(クレジットはChif Audience)として関わった]という([]はWikipediaからの引用。原文ママ)。アルバム作品での“アドバイザー”とはまったく聞かないわけじゃないが、あまり聞かないクレジットだし、“Chief Audience”は初めて聞いた。これは、センチメンタル・シティ・ロマンス(以下、センチ)のデビュー作のプロデューサーを依頼された細野氏が、“このバンドには自分が手を加えるところはまったくない”とオファーを辞退したことによるのだそうだ。おそらくこのアルバムを誰よりも早く聴いたということもあって、“Chief Audience=観客の長”とクレジットしてもらったのだろう。もっともレコーディングにおいて、バンド側から細野氏へいくつかの質問はあったのだろうし、それに対して細野氏も助言くらいはしたとは思われる。それを考えて、のちに“アドバイザー”という言葉が使われたのかもしれない。

そんなエピソードを知った上で、本作『センチメンタル~』を聴いてみると、“なるほど”と思う一方、大変恐縮ながら“いやぁ、細野さんはそうは言ってるようだけど、それは彼らのデビュー作を売り込むための方便でしょ?”とすら思ってしまった。それほど、このアルバムはよく出来ている。少なくともこれが1stアルバム=初めての音源だとは思えないのである。逆に言えば、この演奏に嘘偽りがなれば、“何も手を加えることなく、そのまま出すに限る”と細野氏ならずとも思ったのではなかろうか(これまた恐縮ながら…)。しかし、1975年前後にデビューしたバンドには、センチに限らず、演奏の優れた人たちが多く、そのバンドはのちの日本のロックシーンに決定的な影響を与えているように思う。先週紹介した外道の『外道』もそうだし、四人囃子の『一触即発』(ともに1974年)、あるいはシュガー・ベイブの『SONGS』(1975年)、BOWWOWの『吼えろ!BOWWOW』(1976年)がそうだろう。それこそ細野氏や、山下達郎と関係の深い大瀧詠一といった先達からの流れもあったのだろうが、それにしても1970年半ばは日本のロックが胎動期を終えて草創期に差し掛かった頃だったのかもしれないと思う次第である。

さて、本題。『センチメンタル~』の収録曲を見て行こう。今回は意識的に、よりアンサンブルに注目しながら解説してみたい。すべてのアルバムを粒さに聴いてないものの、このバンドの妙味のひとつはその巧みなバンドアンサンブルにあると思う。『センチメンタル~』を聴いてそう感じた。いや、アンサンブルこそが最大の醍醐味と言ってもいいかもしれない。音が重なり合う様子は相当気持がいいし、実に面白く、とても味わい深い。もうそれで解説を終わりにしてもいいくらいではあるのだが、アンサンブルの何かがどういいのか、もう少し深掘りしよう。

まずM1「うちわもめ」から。イントロでの鍵盤とリズム隊に乗ったツインギターの絡み。わずか20秒程度に、このバンドの何たるかが詰まっているように思う。このギターの妙味はこの楽曲で終始聴くことができる。歌の合間──サビで言えば、2度繰り返される《いいんだ、いいんだと》とのあとで、そのツインギターが小気味良く鳴らされる。ブルージーだが、カラッと明るい。ユニゾンではないけれど、リードとサイドという関係ではなく、ともに主旋律を司っている。また、ギターだけでなく、《流行歌 口にして》のあとでは、ベースのフレーズが聴こえてきて、その後半には鍵盤のグリッサンドが重なる。しかも、そのベースにはユニゾンのギターが添えられているのだから、バンドサウンドの構築に余念がないような印象すらある。このサビの回し(?)は同フレーズばかりではなく、後半ではさらにそれぞれの音が派手な動きを見せており、各メンバーがテクニックを鼓舞してるかのようでもある。話は前後するが、間奏もいい。アコギがユニゾンを披露し(マンドリンとかチターかもしれない)、そのあとでエレキギター×2を8小節鳴らしたと思えば、締めの4小節では同じくエレキ×2でもその前とはまったく趣の異なるフレーズを響かせる。とても贅沢な音像を聴かせている。全体を通して言えば、イントロで聴こえる音世界をその後まったく裏切らないばかりか、楽曲が進むにつれて、より濃厚な世界へといざなってくれるのである。

絶妙なバンドアンサンブルの数々

M2「うん,と僕は」はファンクと言ってよかろう。そうは言っても、頭からギター、キーボード、ベースも派手な動きは見せず、お互いがお互いの隙間を埋めるようなプレイを見せるのが何ともいい。抑制の効いたアンサンブルだ。しかし、アウトロではそれが一転。各パートの応酬という表現でいいだろうか。冒頭の比較的落ち着いたアンサンブルから解き放たれたようなワイルドな演奏が飛び出す。ギターソロにベースとドラムが突っ掛っていき、それに応えてギターがまた派手に鳴らされる。さながらボクシングで言うところのクロスカウンターのようだ…とは言い過ぎだと思うが、分かる人には分かってもらえるような気がする。そうした派手な動きの背後でサイドギターとキーボードは持ち場を堅持するように自らのフレーズを生真面目にキープ。その支えが合ってこそ派手な応酬が可能になるのだ。そうかと思えば、

続くM3「あの娘の窓灯り」、M4「庄内慕情」は、リズム隊は配されているものの、アコギ基調のミッドチューンとなる(M3はアコギ強め、M4はアコギ弱め)。アコギ基調でも、フォーキーなナンバーと片付けられないのは、ブルージーに鳴らされるエレキギターの存在感があるからに他ならない。ともに終始、登場するわけではないが、歌を追いかけるかたちで入ってくるエレキギターは、やはり米国の匂いがあるし、ロックバンドのそれである。加えて言うと、A面ラストのM5「籠時」はリズムレスで(トライアングルは入っているが…)アコギのアンサンブルと歌で聴かせるナンバーで、それこそフォークと括ってもいいようなスタイルだが、まったくそう思えないのは、M3、M4からの流れがあるからと睨んだし、何よりもそこにロックのスピリットが感じられるからだと思う。

B面1曲目は伸びやかでポップなM6「暖時」で始まる。バンドサウンドが軽快だ。相変わらず、ツインギターの絡み、やや喰い気味のドライブ感を見せるリズム隊はもちろんいいが、ここではキーボードに注目してみた。その後にギターが追いかけるイントロのフレーズ。Bメロで鳴らされる和音。間奏ではキーボードが2台重ねられている。さらに言えば、その間奏を挟んでからは、歌の背後でサイドギターばりに細かいフレーズが鳴らされ、ドラムレスになるアウトロではベースと共にやや幻想的と思える世界観を構築している。M6のサウンドの主役は鍵盤と言ってもいいと思う。センチのサウンドは(例えばギターが中心とか)どれかひとつのパートがけん引しているのではなく、楽曲に応じて誰もがメインを張れるものなのだ。楽曲優先という言い方でもいいだろうか。それがよく分かるM6でもある。

そして、だからこそ、続くM7「恋の季節Part1」のようにストリングスを入れることも可能なのだろう。A面で聴かせたように、バンドサウンドでメロウなナンバーの構築が出来ないバンドではない。前半がそうであるように、M7も楽器とハーモニーだけでも十分にイケると思う。だが、そこに外部から弦楽器を入れることで、楽曲の世界観の幅広がる。文字通り、“恋の季節”の空気を醸成させていくような意図もあったのだろう。歌詞にある《紅茶をすする》ような優雅さもあるし、恋愛におけるちょっとしたスリリングさも感じられる。必然性があって、絶妙な案配で外音が配されているのであるのは、おそらく間違いない。

日本語ロックの正統なる系譜

M8「小童」はエレピの音色が引っ張る、フレンチポップス的なメロディーとリズムを持った楽曲と言えるだろうか。ポップで可愛らしいナンバーだ。とはいえ、それだけで終わらず、間奏がジャジーだったり、2番からはやはり…と言うべきか、ブルージーなギターが歌に絡んだりするのは、センチらしさ。M9「おかめとひょっとこ」はカントリー。スライドギターも跳ねたピアノもハーモニカもいい感じだ。管楽器こそ入ってないけれど、間奏で見せるスウイングジャズっぽい演奏もいい。後半、バンジョーが入ってからはカスタネットも景気よく鳴らされてアップテンポに展開。歌やハーモニーというよりもシャウトと言ったほうがいいような声も入って、楽しさを演出する。カズーが入っていても違和感がないであろう、ファニーな感じである。さらに、アウトロの後半ではバンジョーに乗せて例のツインギターの絡みが聴こえてくる。最後まで贅沢な作りである。

M10「マイ・ウディ・カントリー」は30秒程度の短いミドルバラード。頭のハーモニーが何かそれっぽいと思っていたら、コーラスには山下達郎が参加しているとのこと。センチとシュガーベイブはコンサートで共演したこともあったようで、その流れだったのだろう。ボーナストラックのようでもある。そのスキットから披露されるアルバムのフィナーレがM11「ロスアンジェルス大橋Uターン」。各パートが絶妙に絡み合うバンドアンサンブルは、ここまでアルバムを聴いてくると、センチの王道と判断できる。やはり間奏が顕著で、ベースから始まってギター、キーボード、ギターと順に音が重なってサウンドを構築していき、テンションが上がっていく様子は、“待ってました!”というか、歌舞伎の大向こうじゃないが、“センチ!”と叫びたいほどだ(ゴロが悪いから、告井屋とか中野屋とかメンバーの名前がいいか)。アルバムの大団円である。

巧みなバンドアンサンブルがセンチの最大の醍醐味と書いたが、無論それだけではない。歌のメロディーのポピュラリティーの高さ、親しみやすさも忘れてはならない。とりわけ音符へ言葉がはっきりと乗っている点は特徴的だ。言ってしまえば、はっぴいえんど的というか、その系譜を受け継いでいる印象が強い。細野氏がセンチを絶賛したのは、この歌にもその要因があったのではないかと勘繰ってしまうほどである。実際にその辺はどうだったのだろう。

また、単に歌詞がメロディーに上手く乗っているだけでなく、その歌詞も個性的。M1の《兜の緒をしめても》や《腹の虫が治まらねえだ》、M6の《ちょっぴり しょげかえる》《目抜き通りとにらめっこ》、あるいはM11《へのへのもへじの へそまがり》がそれに当たる。M1では《どうせ涙にゃ縁がにゃあ》と名古屋弁もある。M9の《シッシと追っぱらうオカメときたら/空虚な眼(まなこ)をこすりながら/日除け笠で顔隠し言うにや/「あんたは ひょっとこ」》辺りは、ロックはおろか、日本のポップミュージックではまったく他でお目にかかったことがない代物だろう。ロック、ポップスで見かけないのは、そもそもタイトルがそうで、「籠時(こもりどき)」「暖時(くつろぎ)」「小童」もさることながら、このバンドを知らない人であれば、「庄内慕情」や「うちわもめ」からウエストコーストサウンドはおろか、ロックもポップスも想像しないであろう。そうしたところもセンチの面白さであることは間違いない。ロックは米国生まれのものであることは疑いようもない事実であり、そこに対する徹底したリスペクト、オマージュは貫きながらも、自らの足場が日本や地元・名古屋にあることを忘れていない。そんな印象がある。忘れていない…というよりも、忘れようがないのかもしれないし、上記のような歌詞があるのは極めて自然体で臨んだ結果だったのかもしれない。いずれにしても、米国への憧憬だけでなく、オリジナリティーのあるところにバンドの志しを感じざるを得ないところである。そういう人たちだからこそ、センチは結成から一度も解散することなく、50年の長きに渡って存在しているのだろう。

TEXT:帆苅智之

アルバム『センチメンタル・シティ・ロマンス』

1975年発表作品

<収録曲>
1.うちわもめ
2.うん,と僕は
3.あの娘の窓灯り
4.庄内慕情
5.籠時
6.暖時
7.恋の季節Part1
8.小童
9.おかめとひょっとこ
10.マイ・ウディ・カントリー
11.ロスアンジェルス大橋Uターン

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