関東大震災の津波、伝承も解明いまだ 犠牲者は200~300人?

瀧門寺にある関東大震災の石碑に目を凝らす川口住職。津波を意味する「海嘯」の文字が刻まれている=7月、真鶴町

 10万5千人余りが死亡・行方不明となった関東大震災では、その9割近くを火災による犠牲者が占めた。津波が原因で亡くなった人は200~300人とされているが、詳しい実態はつかめていない。

 震災の被害に詳しい名古屋大の武村雅之特任教授(71)よると、相模湾に延びる「相模トラフ」で起きた関東大震災の本震で三浦半島などの地盤が隆起。そのため、沿岸部によっては津波の影響を受けにくかったとみられる。県内に数多く残る震災の石碑も大火について刻んだものが多く、津波の教訓に関する碑文はほとんど見られないという。

 一方、当時の鎌倉町が編集した「鎌倉震災誌」は津波について「2回襲来し、1回目よりも2回目の方がはるかに大きかった」などと記載。逗子町小坪で津波を経験した髙嶋フジさん(112)もかつて「三つ目の津波が大きかった」と語っていた。津波が繰り返し押し寄せ、後続波の方が高かった可能性を示している。

 髙嶋さんへの聞き取りと小坪での現地調査を重ねてきた市民グループ「ジオ神奈川」の蟹江康光代表(82)と妻の由紀事務局長(74)は「証言のおかげで津波の実態がつかめた。小坪の津波は7メートル以上、場所によっては10メートルを超えていたのではないか」と分析する。

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