<社説>関東大震災100年 確かな情報で防災、減災を

 関東大震災から1日で100年を迎えた。命を落とした10万5千人余の犠牲者を悼み、震災の教訓に向き合い、防災・減災の意識を高める日にしたい。 地震の規模はマグニチュード(M)7.9で、焼失や全半壊などで約37万棟の家屋が被害にあったとされている。昼食の準備のため火を使用していた家庭も多く、木造家屋が主だった東京の住宅地は丸2日間炎で包まれた。日本列島近くを通過していた台風の影響で強風が吹き、被害が拡大した。

 関東大震災から72年後の1995年、阪神・淡路大震災が発生した。耐震性が不十分で建物や橋が倒壊するなどして被害が拡大し、6432人が犠牲になった。早朝に発生したことで就寝中に家屋や家具の下敷きになり、圧死した人が大部分を占めた。時間帯や天候によって災害の被害がどう拡大するのか。私たちの想像力が防災や減災には欠かせない。

 反省は十分に生かされていただろうか。2011年の東日本大震災では最大9メートル以上の津波が押し寄せ、一部の堤防が決壊し、約2万2千人の犠牲者を出した。一方、耐震性の高い建物は倒壊せずに残った。耐震設計によって建物被害を防ぎ、死傷者を減らせることが証明された。

 巨大な地震や津波の被害をゼロにすることは難しいが、減災に向けた努力はできる。交通網や通信・電力などが各地で分断された教訓を十分に生かし、非常事態が長く続かないようにライフラインの代替手段の準備など災害に強い地域づくりをハード、ソフト両面で進める必要がある。

 「人災」の側面も教訓とすべきだ。関東大震災で壊滅的な被害を受けた東京や横浜で「朝鮮人が暴動を起こしている」など流言が広がり、軍や警察、自警団によって多数の朝鮮人が虐殺された。中国人の犠牲もあった。

 朝鮮半島の独立運動を機に仕返しを恐れた政府が警戒を強めていたとの指摘もある。内務省は事実を確認しないまま各地方長官に「朝鮮人は各地に放火」「爆弾を所持」などの内容の通達を出し、徹底的な取り締まりを指示した。

 その結果、各地域で在郷軍人会や消防団、青年団を中心に自警団が組織され、刀やこん棒などで朝鮮人が襲撃された。当時の政府資料のほか、軍人や目撃者の証言など事件が記録されている。甚大な災害の中で差別意識がむき出しになり、凶行を生んだ。

 関東大震災を上回る、最悪32万3千人が死亡すると想定される東海沖から九州沖の南海トラフ巨大地震は、30年以内に70~80%の確率で発生すると予測されている。

 耐震性の強化や救助体制、各家庭の防災グッズを再点検したい。同時に、真偽不明の情報に振り回された憎悪犯罪が繰り返されないよう、国全体で情報リテラシーを高める取り組みを進めるべきだ。

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