16人が犠牲、相模原「地震峠」の記憶を歌に シンガー・ソングライターが制作、3日に披露

「地震峠と十六の瞳」を作詞・作曲した芳晴さん

 関東大震災で16人が犠牲になった相模原市緑区鳥屋にある「地震峠」の記憶を伝える楽曲を、同区に住むシンガー・ソングライターの芳晴(よしはる)さん(58)が作詞・作曲した。当時の状況を地元住民から聞き取って作り上げたもので、震災100年に合わせ地元で9月3日に開かれる集いでお披露目される。芳晴さんは「地震峠のことを思い出してもらい、そしてまた未来につなげるために、いろんな人に歌ってもらいたい」と思いを込める。

 地震によって山の斜面が崩落する「山津波」が発生し、子どもを含む16人が犠牲となった鳥屋地区の土砂が堆積した場所は「地震峠」と呼ばれている。芳晴さんは、地震峠の伝承活動に携わる秋本敏明さん(71)=鳥屋地域振興協議会会長=から依頼を受け、この惨事を楽曲で表現した。作詞・作曲に当たっては、犠牲者の子孫から聞き取りをして想像を膨らませ、曲名は16人を念頭に「地震峠と十六の瞳」と名付けた。

 〈かわいいみっちゃん好きなのは 近所のカネちゃん お姉ちゃん うれしくて ついていったんだ お蚕さまの乾燥場あたり〉

 当時5歳だった「みっちゃん」は、近所に住む19歳の「カネちゃん」に付いて蚕の乾燥場の方へ行ったが、行かなければ助かったかもしれない-。「とてもその話が印象的だった」と、芳晴さんは歌詞に盛り込んだ。また、100年前の9月1日は土曜日。午前の学校を終えておなかをすかせて家に帰る子どもたちの様子など、地震が発生する前の平穏な日常を描いた。

 〈その時大地が揺れ動き 轟(とどろ)きわたる山津波 川の流れを堰(せ)き止めて みるみる深くなっていく〉

 曲調が変わり、突如として日常を奪った大地震と山津波の描写。土砂で川の流れがせき止められたことで二次被害が生じないようにするため、大勢が集まって作業をしたことなどもイメージし、歌詞に落とし込んだ。

© 株式会社神奈川新聞社