【関東大震災100年】神奈川を襲った震度7の激震 壮絶な被害の爪痕 死者・行方不明者は3万2838人

倒壊した鎌倉・鶴岡八幡宮の舞殿=「大正十二年九月一日大震災記念写真帖」から

 関東大震災による神奈川県内の死者・行方不明者は3万2838人に上ったと報告されている。横浜周辺や三浦半島、湘南、県西部など広い範囲が震度7相当の激震だったと分析されているが、被害の要因は地域によって異なる。複合的な被災で壊滅したまちも少なくない。

 当時の横浜市では2万6623人が亡くなり、その9割超の2万4646人は火災が原因だった。確認されている出火地点は289カ所。火災旋風も発生し、市街地が焦土と化す中、焼け落ちた橋の周辺などで大勢が命を落とした。火災による犠牲者は東京も含め9万人を超え、震災の被害を象徴することとなった。

 県内全体を見渡すと、家屋の倒壊に巻き込まれたケースが多い。当時の横須賀市では死者665人中、家屋倒壊が495人と大半を占め、火災は170人だった。

 一方、隣接する浦賀町では様相が異なり、亡くなった307人の約半数が土砂崩れに巻き込まれた。港に迫る愛宕山が大きく崩れ、大勢が生き埋めになったという。

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