90年代ドラマ最高視聴率「ひとつ屋根の下」主題歌は財津和夫が歌う「サボテンの花」  主演は江口洋介! 流行語にもなった「そこに愛はあるのかい?」

90年代に躍進するフジテレビのドラマに推された最強最適のドラマスター、江口洋介

先日放送された日本テレビのチャリティ番組『24時間テレビ愛は地球を救う』では、毎回テーマに相応しいスペシャルドラマが制作されることが恒例となっている。今作品のタイトルは「虹色のチョーク」。障がい者雇用に積極的に取り組むチョーク会社を描いた作品だが、その中で主人公の父親でチョーク会社の社長を演じていたのは江口洋介。年代や背格好、キャラクターイメージからいっても、この四半世紀というもの彼ほど 他人から頼られる役柄が相応しい俳優はいないのではないだろうか。

今からちょうど30年前、1993年4月期にフジテレビで放送されたドラマ『ひとつ屋根の下』が大変な人気を博していた。江口はその物語の主人公で、故障でその道を断念したマラソンランナーで、両親亡き後、離散してしまった兄弟たちとの家族の再生を担う長男の役を演じていた。

人情家で暑苦しいほどに兄弟たちを愛してやまないその姿とリーダーシップ、「そこに愛はあるのかい」などと歯の浮くようなセリフを臆面もなく口にする滑稽さとのギャップに多くの視聴者が魅了され、彼が演じる主人公のトレードマークであるベースボールキャップのかぶり方を真似る若者たちが続出した。

その後も彼の人気は続き、1995年には『僕らに愛を』では祖父の旅館を立て直す主人公を。1997年には続編の『ひとつ屋根の下2』で再び主演を務めたことで、彼はこの月曜21時のドラマ枠、通称「月9」だけで3作品の主演を務めた。元々1991年の大ヒット『101回目のプロポーズ』、『東京ラブストーリー』の2作品や1992年には木曜ドラマ『愛という名のもとに』でも脇を固める重要な役を演じたことが、高い評価を得てきたのは明らかで、この時期の彼にはオファーが相次ぎ、特にフジテレビのドラマには頻繁に出演していた。

また1998年に近藤真彦が冴えない私立探偵役で主演したドラマ『ドンウォリー!』も元々は江口がプライベートでのけがで辞退したもので、仮にそれを含めれば実に7本のドラマで主演、もしくはそれに準ずる役柄へのオファーがあったことになる。

これは90年代、主に月9枠で主演をつとめることが多かった三上博史、中山美穂の6本をも上回る数字だ。同じく月9枠で通算11本の主演を務めた木村拓哉の活躍のピークは2000年代以降のことで、ここまでは江口洋介の暫定王者。さらに活躍は1999年『救命病棟24時』まで続き、同作はシーズン5まで制作される人気シリーズとなる。

書くたびに主人公が不幸になるジェットコースタードラマの申し子、脚本家 野島伸司の哲学

キャストに関していえば江口だけでなく、医学生で長男と対照的にクールな性格の次男役を福山雅治が務め、実は血が繋がっていないことで兄弟たちに負い目を感じている長女を酒井法子、他人から誤解されやすくグレてしまい、なかなか立ち直るきっかけがつかめない三男をいしだ壱成、養女となった先の環境から悲観的な性格となった次女を大路恵美、交通事故で車いす生活となり自閉症を患う末っ子の四男を山本耕史が演じるという、いずれ劣らぬ人気俳優と好演が光る若手を起用して話題を呼んだ。

そしてその舞台設定… 今どきこんなことがあるのかという不遇をかき集めたような兄弟たちの境遇と、次々と一家に迫る困難の数々… いじめ、暴力、性被害、障害や差別、身内の借金から、遂には長女小雪の白血病まで、これでもかというようなトラブルを彼らに畳みかける展開は、脚本家である野島伸司の真骨頂で、ジェットコースターといわれ続けた、人々の目を捉えて離さない魅力であった。

彼は社会的弱者の立場から物語を描き、一見サディスティックなまでに主人公たちを苦境に追い込む作風を志向しているように思えるが、決してそればかりではない。プロデューサー大多亮氏の言葉を借りるならば、その本質は「清貧」というものの考え方に由来する。初期の野島作品の主人公は経済的には恵まれない設定のものが多いが、今「清く、貧しく、美しく」が、成立しにくくなっている世の中だからこそ、何とかしようと登場人物たちがもがく程、あらゆる壁に阻まれる。

主人公たちが出会うトラブルの数々は、すべて起こり得ることであって、当時のバブル経済下で、拝金主義が横行してモラルが問われる事件が目立つようになると、「正しく生きて幸福を掴む」ということがいかに容易でないか、だからこそそれこを目指す奮闘ぶりは、そのアンチテーゼとして人々の心に響くのかも知れない。

制作者のこだわりが呼び寄せた主題歌「サボテンの花」が視聴者の心にしみる理由

このような野島作品のテーマは、時としてドラマの制作方針やポリシーとして全体に影響を及ぼすことがあった。一つの例としては主題歌の選定時に彼はレコード会社とのタイアップを好まなかったということがある。この時期既に楽曲タイアップはヒット曲を生み出す原動力ともなっており、各レーベルが虎視眈々と機会をうかがっていることは半ば常識であった。

だが、彼はそこで双方にメリットがあるからこそ成立する “大人の事情” 的なものを敢えて排除して、本来あるべき姿にしようと、歌詞の内容や楽曲のイメージが作品のテーマに沿ったものであることに常にこだわった。創作の際、楽曲からインスピレーションを得ることが少なくなかったからである。

必然的に各レーベルから持ち込まれる新譜は選ばれにくくなり、あくまで彼の良く知る楽曲の中から選ばれることになっていった。先のドラマ『愛という名のもとに』の浜田省吾「悲しみは雪のように」をはじめ、1993年のTBS『高校教師』での森田童子「僕たちの失敗」など、他局の作品までもそれは徹底されていた。この『ひとつ屋根の下』の主題歌もその例にもれず、数多ある既存の楽曲の中から選ばれた。それが財津和夫「サボテンの花」であった。

作者である財津も語っているように「サボテンの花」という楽曲自体、歌詞を追えば共に暮らす恋人との別れを描いた曲であることに違いないのだが、以下の通り、その情景と心情をドラマのシーンに重ねると、数々の点で物語の舞台と重なる要素が浮き彫りになる。

 ほんの小さな出来事に愛は傷ついて  君は部屋を飛び出した

これは7年ぶりに再会した家族の再生の物語だが、兄妹6名それぞれにやまれぬ事情もあって、急に同居を始めるといってもハナから丸く収まるはずもない。些細なことで行き違いが生じて、実際に部屋を飛び出すシーンは幾度も繰り返される。

 洗いかけの洗濯物  シャボンの香りがゆれていた  君の香りがゆれてた

何より柏木家の生業は “クリーニング屋” である。部屋にはシャボンの香りも漂い、その香りは家族の象徴ともいえるだろう。余談だが “サボテン” の語源を “シャボン” とする説もあるらしい。サボテンは外来植物だからその名称は日本語の造語である。なんでも一部のサボテンの成分が石けんとして用いられたとかでシャボンから “サボテン” に転じたということだ。

 絶え間なくふりそそぐこの雪のように  君を愛せばよかった

後付けなのかも知れないが、物語のキーパーソンである長女の名前は “小雪” だ。物語の序盤、主人公の唯一の理解者である彼女は、実はまだ血のつながらない兄への思いを秘めていた。主人公は家族の再生に取り組もうとするが、様々な問題に直面する度に、かつて夢を追って兄弟たちを顧みなかった自らの過去を悔いている。“君” とは小雪のことかも知れないが、長男である達也にとっては兄弟一人一人のことでもあるのだ。

第1話の終わり、再会した兄弟の面々に冷たくあしらわれ「よくわかったよ! 兄妹なんてそんなもんさ」と嘆き涙する達也とそれを慰める小雪、気を取り直して末弟の文也を訪ね、心を閉ざしてしまった彼を涙ながらに抱きしめるシーンでこの楽曲が流れた瞬間、このドラマの成功はもう約束されたように思えた。

番組は高視聴率を維持。野島の筆が一家を痛めつける度に数字は跳ねてクライマックスとなる最終回では番組平均で37.8%に達した。これは連続ドラマとしては90年代を通じて第1位となる数値であった。

現代に通じるドラマ制作の基盤が形成された90年代を代表する作品「ひとつ屋根の下

主題歌「サボテンの花」が、悲恋を暖かいメロディーで包み込んだ楽曲だとすれば、この『ひとつ屋根の下』というドラマは、ハードなテーマを伝統的なホームドラマのフォーマットに包み込んだ、まさに油断ならない、新境地を開くドラマでもあった。

キャスト、脚本、主題歌といった、今日ドラマのヒットを左右する数々の要素やノウハウが、それまでになく見直されて、より洗練されていった90年代。フジの制作するドラマは多くの視聴者を引き付け、その考え方は局の壁を越えて影響を与え、引き継がれていった。

『ひとつ屋根の下』というドラマは視聴率もさることながら、それらの要素が結実した一つの象徴として、今後も時代を超えて語り継がれていくことだろう。

カタリベ: goo_chan

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