東京・歌舞伎町の雑居ビルで44人が犠牲となった「歌舞伎町ビル火災」から、1日で22年を迎えた。
2001年9月1日午前1時頃、マージャン店が入居していた3階のエレベーターホール付近から出火。同階のマージャン店と4階のキャバクラ店にいた客と従業員47人のうち、逃げ遅れた44人が死亡し、皮肉にも「防災の日」に国内で戦後5番目に多く犠牲者を出した火災となった。
この火災をめぐっては、階段に置かれた大量の荷物やゴミが導火線になったと見られ、防火扉も正常に閉まらない状態になっていたことから、ビルの実質的管理者らが防火管理を怠ったとして「業務上過失致死傷罪」などに問われ有罪となった。しかし、出火原因は放火の可能性が高いとされており、現在も警視庁が捜査を続けている。
火災現場の跡地へ…
1日朝、歌舞伎町へ向かった。遺族らは前日夜に現場で献花したと報道があったが、22年前の悲惨な火災の記憶は、今、歌舞伎町で生きる人たちにも語り継がれているのだろうか。
火災現場のビルは、歌舞伎町のシンボル「歌舞伎町一番街アーチ」からまっすぐ100mほど進んだところにあった。
歌舞伎町一番街アーチをくぐると、火災のあったビルと同じような小規模雑居ビル(いわゆる「ペンシルビル」)が左右にびっしりと連なっている。
徒歩1分ほどで現場に到着。搬入業者、観光客、夜勤明けと見られる人らが歩いていたものの、人通りはまばらだ。跡地に気を留める通行人はひとりもいなかった。
ビルは火災から5年後の2006年に取り壊され、現在は低層の建物で韓国チキンを提供する店が営業している。びっしりと立ち並ぶビルの間にひっそり立つその建物は、ここが歌舞伎町ビル火災の現場跡だと知らない人の目にも異質に見えるかもしれない。
被害拡大の背景に「ずさんなビル管理」
歌舞伎町ビル火災の翌年に消防庁が公表した「平成14年版消防白書」では、被害拡大の主な要因として
①物品や可燃物の存置、防火管理者の未選任や消防計画の未作成などの防火管理の不備
②自動火災報知設備が作動しなかったこと等による初期対応の遅れ
③直通階段が屋内に一つしかないビルの構造
④存置された物品等による防火戸の閉鎖障害
などを指摘している。
火災から2日後、消防庁は全国の消防機関へ向けて、火災現場と類似した小規模雑居ビルへの一斉立ち入り調査を行うよう求めた。その結果、検査対象となった小規模雑居ビル8407棟のうち、実に90%以上を超えるビルが何らかの消防法令に違反していることが明らかとなったという。
火災翌年の2002年4月には消防法が改正され(施行は10月)、消防機関が事前予告や時間制限なくビルへ立ち入り検査できることになったほか、措置命令に違反した場合の罰則が強化され、最大1億円の罰金が科されるようになるなど、ずさんなビル管理の是正に向けた対策が講じられた。
火災から22年…“違反”繰り返される現状
前述のように、再発防止へ向けた厳格な対応が明文化されたものの、依然として全国各地で違反を繰り返すビルは少なくない。
たとえば先日も、火災現場のすぐそばにある「東急歌舞伎町タワー」と見られる場所で、非常階段へ通じる扉の前に段ボールや業務用のビール樽などが放置されている画像がSNSで拡散され、歌舞伎町ビル火災を思い起こす声が散見された。
消防庁では、重大な消防法令違反をしている建物の情報をウェブサイトでまとめ、公開している(https://www.fdma.go.jp/relocation/publication/)。全国各地の情報を確認することができるので、自身の身近な建物について調べてみてほしい。