まとまらなかった知事会、「ともに闘う」転機になった出来事とは 

平井伸治鳥取県知事(資料)

 少しは肩の荷が下りるだろうか。2日の任期満了をもって、1期2年務めた全国知事会長を退く平井伸治鳥取県知事。先週の退任あいさつで「新しい『ともに闘う知事会』の姿をつくることができた」と自賛した。

 「単なる論争の場で結局まとまらなかった」と自身が振り返るように、かつての知事会は大都市と地方の対立の場として捉えられがちだった。それが「ともに闘う」姿勢に変わった要因は、共通課題である新型コロナウイルス対策だ。

 これまで会長は主に埼玉、京都、福岡など人口の多い都市部の知事が務めていた。それが全国最少の〝弱小県〟の首長が務めたのも、前会長時代に平井知事が知事会のコロナ対策本部の本部長代行を務め、感染対策の中枢を担っていたため。47人の知事が「ともに闘う」転機になった。

 その精神は今も続いているようだ。先週の知事会では大阪府の吉村洋文知事が、福島第1原発の処理水海洋放出を受けた風評対策として、全国の都道府県庁の食堂で福島県産の魚介類を食材として使うことを提案。賛同の声が多く上がったという。

 1日は「防災の日」。近年は甚大な地震や台風、豪雨が相次ぎ、災害対応も知事の重要な役目になっている。先月の台風7号で痛手を受けた鳥取県東中部では、迅速な復旧が喫緊の課題だ。知事会長を降りたからといって平井知事は、そう簡単に肩の荷を下ろせそうにないようだ。

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