ニューロティカ×亜無亜危異 - 新宿ロフト出演回数最多バンドによる渾身企画第9弾は、あっちゃんが10代からロフトで見続けてきた憧れの先輩バンド、亜無亜危異!

病院に着いて痙攣が治まったら、「いけねぇ、ライブがあったんだ!」って思い出した(茂)

アツシ:そうか、あれから1年経つんですね。……心筋梗塞ですよね?

茂:そうそう(笑)。はじめはね、胸の真ん中が苦しくて。朝方だったんだけど、目が覚めて胸が痛いから、身体の重さで痛くなったのかな? と思って、胸を開くストレッチをしてさ。

アツシ:身体を動かせば治るっていう、昭和の考えですね(笑)。

それでも苦しいから、窓開けて空気を入れ替えてさ。

アツシ:あはは。僕も調子悪いから、窓開けて寝てれば治ると思って。窓開けて寝てたら、糖尿でした(笑)。

そうなんだ(笑)。で、だんだん苦しくなってきて、救急車を呼んだんだけど。「家の場所が分からない」っていうから、着替えて家の外に出て待ってたらさ、どんどん苦しくなっちゃって。「早く来ねぇかな、この野郎」と思ってうずくまってたら、救急車じゃなくて、消防車が来たの。

アツシ:あははは、ヤバいなそれ(笑)。

それで「もう、何でもいいや」と思ってたら救急車が来て。あのときは苦しかったね。でも、一番苦しかったのが救急車に乗ってるときで、病院に着いたら痙攣が治まって。ふと考えたら、「いけねぇ、ライブがあったんだ!」って。

アツシ:さすが、ロック魂! そんな状態でもライブのことを考えてたんですね。

それでマネージャーに電話して、先生に説明してもらって。そっからすぐにカテーテルの手術だよ。ヘンゼルとカテーテルな。

アツシ:あははは! ちょいちょいとネタを挟んできますね(笑)。

そしたら、現代医学ってすげぇんだよ!? 「ちょっと熱いの入れます」って、手首からカテーテル入れて。「ここが詰まってるの分かります?」って、自分の血管がモニタで見れちゃうの。

アツシ:即手術、即入院だったんですか?

そう。そしたら詰まってるところにちっちゃいのが行って、バッと開いて。詰まった血管を開いてくれるんだよ。

アツシ:へ~~、ウルトラセブンみたいな話ですね(笑)。

ホントだよ? で、次の日に「退院です」って言われて。俺、ライブも飛ばして、一泊で出てきて、仮病って言われたらイヤだからさ。「先生、もう一泊していいですか?」って聞いたら、「ダメです」って(笑)。ライブ飛ばしてるから、「仲野茂、心筋梗塞で緊急入院」ってYahoo!ニュースにも出ちゃって。

アツシ:最初に聞いたときは、凄い心配しましたよ。まさか一泊で出てくるとは思わないですから(笑)。

糖尿病は手術や入院はしないの?

アツシ:しないです、薬だけですね。……ということで、心筋梗塞と糖尿病による対談ですけど(笑)。

──あはは。今日は『ビッグ・ウェンズデー vol.09』の対バンを控えた、仲野茂さんとあっちゃんの対談ですが。亜無亜危異とニューロティカは近いところだと『PUNK LIVES』でご一緒されてて、どちらも変わらぬ勢いに圧倒されましたが。ライブパフォーマンスってところでは、体力の衰えを感じることってあるんですか?

そりゃあ、あるって言えばあるけど。まぁ、ライブなんて長くても1時間くらいだからさ。

アツシ:僕は10代から亜無亜危異を見てますけど、あの時代はあの時代でカッコいいし、今の時代は今の時代でカッコいいし。凄い進化してるって言い方はあれですけど、ステージは全然変わらないというか、ずっとトガッてますよね。

でも、あっちゃんも元気だよな? 武道館とかさ、広いステージって疲れるもん、運動量が多いからさ。あと、あっちゃん凄いなと思ったのは、デカいステージとライブハウスは動ける範囲が違うじゃない? だからライブハウスばっかりやってるとさ、デカいステージって難しいんだよ。

アツシ:新宿ロフトだと3歩でモニターに行けるのに、ステップが合わなくて、「あれ!?」って思っちゃったりしてます(笑)。

大きいところに慣れてれば、なんとなく動きの感じも分かるけど。俺なんか、広いステージできないもんな。

アツシ:でも、フェスの出演も決まってますよね?

──『山人音楽祭』と『シネマジェットフェス』ですね。

『ジェットフェス』は、島根のセイジ(ギターウルフ)のフェスな。手作りのフェスで、クラウドファンディングとか凄い頑張ってるけど、やっぱり地方のイベントは企業が入ってあげなきゃダメだと思うよ。亜無亜危異で高知のライブハウス行ったとき、お客さんも入ってなくて、潰れちゃうんじゃねぇの? と思って。俺が言うのもなんだけどさ、企業や行政がもっとカルチャーにお金使ってあげないと、みんなやめちゃうよ? って。韓国って国内でやっても意味ないから、日本とかアメリカとかをターゲットにしてるでしょう? 良いか悪いか分からないけど、日本もそのうち、そうなっちゃうよ? って思うけどね。まぁ、世界はハードだから、行けば儲かるって話じゃないけどさ。あと、今はバンドなんか組まないで、みんな宅録でしょ? 俺なんか憧れた、ロックの不良性とかファッションとか言葉とか、もうラッパーたちにみんな持っていかれちゃってるから。ストリートの代表が、今ヒップホップに行っちゃってんだよね。売れてるロックバンドなんていないでしょう? ロックの匂い出して売れてるのって、The Birthdayくらいじゃん。あれ良かったな、「LOVE ROCKETS」。『スラムダンク』も偉いよな、The Birthday使って。ああいうロックの匂いを出しながら売れてるバンドっていないもんな。売れてる奴らなんて、みんな歌謡曲でしょ? 学歴だけで売ってんじゃねぇよ、この野郎! って。みんな、そんなに売れてるもんが好きなのかね? 自分で開拓する学がねぇのかよ? って。もういいよ、死んじまえ日本!

アツシ:出ました、ロックの名言が(笑)。

──えっと、無理やり話を戻して、亜無亜危異とニューロティカのツーマンライブについてですが……(笑)。

アツシ:亜無亜危異とは初のツーマンライブになりまして。

あ、そうなんだ? でも偉いね、あっちゃんは。武道館やって、野音やって、また新宿ロフトでマンスリー、マン・コスリーをやってね(笑)。

アツシ:あはは、マン・コスリー(笑)。

それも平日にさ、ツーマンのマン・コスリーって凄いよ。

アツシ:コロナも明けて、客が徐々に戻り始めてるんですけど。集客が土日に集中しちゃうんで、ロフトと「どうにか平日も盛り上げられないか?」ってところから始まったんです。

会社帰りでもライブハウスに来れるっていうかさ。弾き語りだと一杯やりながら居酒屋感覚で見れるけど、バンドは敷居が高いみたいなイメージもあるけど。それをもうちょっと「ふらっとロフト」みたいな感じで、一杯飲みながらバンドも楽しめるみたいな感じにできたらいいよな。演る側も敷居を上げちゃったところはあるかもしれないけど、その敷居をどう下げるか? っていうね。昼からセンベロタイムが始まったっていうけど。

アツシ:そうッスね、はい。

ライブハウスもリニューアルしていかなきゃいけないっていうかさ。新宿ロフトも小滝橋の頃は、バンドマンがやたらめったら飲みに来てたもんね? 「どこ行く?」「ロフト行くか」って、そういう感じに戻していくっていうかさ。また、打ち上げもいっぱい芸やってたしさ、KEITHは泊まってるしさ。「KEITH、住んでるんですか?」って聞かれたもん(笑)。俺もライブ終わった後に調子こいて、すっ裸でセッションやったりしててさ。そしたら、打ち上げだけ見に来る客がいたからね!?

アツシ:俺なんかが高校生のときは、下のテーブルはバンドマンが飲んでて、上は一般人が飲んでて。「お、茂がいる! (石橋)凌もいる! 池畑(潤二)来たぞ!」みたいな感じで、みんなジロジロ見てて。茂さんはトイレ行くと、股間を紙コップで隠しながら出てきて、「お~い、呼んだかぁ?」って(笑)。

あはは。あの頃は石橋も酔っ払うと「久留米音頭」を唄い出したりな。だからバンドマンもカッコつけて違う飲み屋に行きだしたりして、そういうのも悪いなと思うし。ゴールデン街も映画監督と役者のたまり場だったけど、そいつらが売れたら銀座行くようになっちゃって。また、今は若い奴らが再建したり、外国人が来るようになったから、違う感じで盛り上がってるけど。バンドマンもライブハウスをどう大事にしていくか? ってところでさ、地方のライブハウスも地方のヤツが来てくれないと潰れちゃうから。どうなの、ロティカは?

アツシ:いや~、地方は厳しいですよ。「来て来て」って言われるのは嬉しいですけどね。

鮎川(誠)くんの葬式のときにさ、下北の中華屋でみんな集まって、「どうなの、ツアーは?」なんて話して、やっぱり地元のヤツが動いたりしてくれないと難しいって話したり。たまにはこうやってみんなと話さないとダメだなって思ったんだけど。なんか大きな企業がさ、サポートしてくれないと終わっちゃうなって。

アツシ:そうですね。ロックは40~50代が元気ですからね。

なんでも世代交代していくのが世の常だけどさ、あまりにもロックバンドがいないからね? OLEDICKFOGGYくらいじゃない? 期待の若手が。若手ったって、けっこういい歳だけどさ(笑)。デビューしたばっかの頃はさ、「上が詰まってるから悪いんだ! いつまでやってんだ、このジジイ!!」って思ってたけど。そんなの余裕で超えちゃってるしね。

アツシ:でも元気いいですからね、50~60代のバンドが。茂さんはそれを引っ張ってますしね。

──そして、その姿に下の世代が憧れて、ライブハウスの伝統が続いていくわけですからね。

ただ、日本の売れてねぇロックバンドが貧乏すぎてさ、余裕がないんだよな。相変わらず、レコード会社はパーだしさ。早くみんな潰れちまえっ! て思うんだけど。この前、三宅伸治の磔磔に呼ばれて行ったんだけどさ。磔磔は凄いわ! 「磔磔を磔磔らしく戻そう」みたいな動きがあるみたいで、また元気でさ。ホトケ(永井隆)とかさ、「山岸潤史、生きてたんだ!」みたいな(笑)。大阪と言えばブルースだったから、ウエスト・ロード・ブルース・バンドとサウス・トゥ・サウスとさ、憂歌団は残念ながら解散しちゃったんだけど、そんな感じでやってて。俺も木村(充揮)くんとやったんだけど、木村くんもピーズのハルと演ってたりして。特色があればいいわけじゃないけど、今はなんかオーバルすぎるなと思って。日比谷の野音だって、昔は集会かロックしかなかったのが、アイドルとかが出てきてから、野音の威厳がなくなっちゃって。別にアイドル出るなとは……まぁ、言いたいけど(笑)。昔は「あそこはパンク小屋だから」とか、「鹿鳴館はヴィジュアル系だから行くなよ」とかさ、小屋の色がしっかりあったもんな。

俺は「一日浮かれていたい、一日イカれていたい」。それだけです(アツシ)

──そんな中でも新宿ロフトというのは、バンドマンにとってやっぱり特別な場所で。それを守ってきたのが、亜無亜危異であり、ニューロティカであり。その伝統は今も守り続けられてます。

でもやっぱあれだね、こっち(歌舞伎町)に移ってきてから、やっぱり世代交代みたいなのはあったし。あっちゃんとか、G.D.FLICKERSのJOEとかが引き継いで。あそこは分かりやすかったよね。ARB、ルースターズ、亜無亜危異から世代交代して、最後の小滝橋もニューロティカとG.D.FLICKERSがやって。「あぁ、時代が代わって、あっちゃんとJOEのロフトになっていくんだな」と思いながら見てたけど。あっちゃんは頑張って武道館やって、武道館にロフトの時計まで持っていったからね。

──あっちゃんは、そんな新宿ロフトでの初のツーマンへの意気込みはいかがですか?

アツシ:そりゃあ、嬉しいよね。ありがちな言葉で言うならば、高校生の頃の自分に自慢したいですよ。

──今回、ロフトでのマンスリーをやるにあたって、亜無亜危異はどうしてもお声がけしたいバンドだった?

アツシ:もちろん。僕の50歳祝いのときも出てもらったりしたんだけど、そんな簡単に呼べる存在じゃないっていうか。なにか大義名分がないと呼べないんで、大切に取っておいて、ようやくこの日が来たってことで。当日は後輩なんで、ウチが先に演奏をやろうと思ってるんですけど……。

えぇ!? いやいや、亜無亜危異が先でしょう。

アツシ:そこは年功序列でやらせていただいて、最後に「ジョニー・B・グッド」で僕が飛び入りさせていただきます。

あ~、なるほどね。

アツシ:12月は毎年お菓子の大売り出しをしていて凄く忙しくて、『New Year Rock Festival』に一度も行けたことがないんですよ。だからテレビでしか見たことないですけど、亜無亜危異の「ジョニー・B・グッド」の凄さは伝説でした。凄いですよね、ステージに50人くらい乗ってきてるのに、関係ナシで唄ってて、「カッケェ!」って。西新宿のロフトもそうでしたもんね?

みんなステージに上がってきてね。初めて『New Year Rock Festival』に出たとき、浅草の国際劇場だったけど。客がバーッと上がってきて、もみくちゃになっちゃって。(内田)裕也さんはそういうの凄い嫌うのよ。で、裕也さんが出てきて、「やめろ!」って怒ってるんだけど、セキュリティもいないから、裕也さんも巻き込まれちゃうんだよね。そしたら俺も余計なこと言うから、「うるせぇ、関係ねぇよ!」って唄い続けて、30分のステージが15分くらいでぐっしゃぐっしゃでできなくなっちゃって。俺なんかからすりゃ、「やってやったぜ!」くらいの気持ちだったんだけど、裕也さんから呼び出されて。あのときは「あぁ、俺の芸能人生これで終わりだ。短かったな……」と思ったね(笑)。

アツシ:あははは、凄い話だなぁ!(笑)

分かった。じゃあ、「ジョニー・B・グッド」やろうか?

アツシ:お願いします! あとこれ、(島田)紳助さんから聞いたんですけど、紳助バンドと亜無亜危異が対バンしたとき、暴走族が凄い集まって。それを見た紳助さんが、「これで対抗するしかない」って、白ブリーフで出ていったんですよね?(笑)

そう(笑)。京都花月でやったんだけど、凄かったよ。花月でやったロックバンドって亜無亜危異だけじゃない? その頃、紳助・竜介は革命的なことを起こして凄い人気あったけどさ、嫌がってる人もいたんじゃない? だけど、「なにやるんだよ、紳助」って興味津々で、楽屋も漫才師だらけで。(桂)三枝もいたよ、「いらっしゃ~い!」って言ってたもん(笑)。そういや、亜無亜危異がライブやったときは若手の子もたくさん見に来ててさ、北野誠がいたり。そういう奴らって、現場を見れば、いろいろ学ぶこともあるじゃない? 若い奴らもさ、家でパソコン見てるなら、ライブハウスに来ればいいんだよ。いくらヴァーチャルで世界を見てても、それは世界じゃねぇからな?

アツシ:ヴァーチャルは世界じゃない、いいですね。

そうだよ。そしたら、「いや、家でヴァーチャル見てるんじゃなくて、ばあちゃん見てます」つってな、「じゃあ、いい子だね」だって。ふざけんな、この野郎!

アツシ:あははは! 「ばあちゃん見てる」って、最高傑作ですね。

──『ビッグ・ウェンズデー』も、ぜひ亜無亜危異やニューロティカを見たことのない若い子たちにも見て欲しいですね。

昔は「ライブハウスって恐ろしいところじゃねぇか?」とかさ、地下にある暗黒な感じがしたじゃない?(笑) でも、その世界に行けたときの喜びもあるんだよな。

アツシ:そう。俺もアンダーグラウンドだけど、クラスで俺しか知らない世界だと思って、ロフトに通ってました。亜無亜危異がいて、ARBがいて、ルースターズがいて。「この世界が最高だ! 俺は今一番カッコいいところにいるんだ!」っていうのは、凄く思ってました。

俺もライブハウスに足を踏み入れるようになったとき、「いっぱしの悪になったぜ!」と思ったもん。高校の修学旅行で京都行ったとき、外道が拾得でライブやるって知って。「おい、拾得見に行こうぜ!」って、そんな遅い時間にやるとは知らずに拾得まで行ったら、店の中を見せてくれたんだよ。そしたら凄い狭いステージでさ、「ここでライブできるの!?」って思ったのを覚えてるけど、「拾得に来たんだな」っていうのが凄い嬉しかったね。

──茂さんはあっちゃんに『ビッグ・ウェンズデー』にお声がけがあっての感想はいかがでしたか?

まず、「マンスリーやるんだ! 凄いな」と思って。月イチだよ? 月イチでやろうってのが凄いよね、よく飽きないなと思って(笑)。対バンがいるにせよ、ロティカはロティカだから。

アツシ:毎月が戦いですからね。対バンとも、お客さんとも(笑)。

それが凄いなと思ったのと。会ったとき、何か協力したいなと思ったんだけど、亜無亜危異とのツーマンが初めてっていうのは知らなかった。ゲタカルビとか、他のバンドはやってるよね?

アツシ:やってます。仙台とか、地方も行ったことあります。

だから俺からすると、亜無亜危異 vs ニューロティカって、もうやった気になってたの。毎年、俺の誕生日にも出てもらってるし。初めてってのが衝撃だったな。

──そしたら、あっちゃんにしたら、満を持してのお誘いだったという。

ずいぶん前から話はもらってて、なかなか合う月がなくてさ。「誰だよ、そんな忙しいのは? ふざけんな、亜無亜危異!」と思ってたけど。ようやく、亜無亜危異 vs ニューロティカが実現したよ。

──ツーマンへの意気込みはいかがですか?

ロフトだし、ニューロティカが相手だし。なかなか言葉にするのは難しいけど、どっちもいろんな思い入れがあるからね。「ありがとう、新宿ロフト。ありがとう、ニューロティカ」という気持ちもあれば、「なんだよぉ!」という気持ちもあって。あっちゃんもそうだと思うけど、ロフトは特別だからね。ここはバンドマンの憧れの場所であり続けて欲しいし、「やっぱり新宿ロフトに出たバンドはすげぇよな!」と思わせたいし。「やっぱ、ロックバンド良いよな!」って思ってもらえればいいよね。

アツシ:俺は「一日浮かれていたい、一日イカれていたい」。それだけですね。

亜無亜危異がツーマン企画やってたときにさ、磔磔で頭脳警察とやれたんだよ。もうシビレてさ、だけどやんなきゃいけないじゃん? あのときは、「うわ~、失敗した! 客で来れば良かった!!」と思った(笑)。ツーマンはやりたいけど、それを客で見たかった! だから、あっちゃんにもそういう思いをさせたいね。

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