両輪番が意気込み 2日午後から浄土真宗東西合同法要

東西協力の拡大を願う中村輪番=金沢市笠市町の金沢西別院(左)と金沢御堂跡地で営む法要の歴史的意義を語る髙桒輪番=金沢市安江町の金沢東別院

 浄土真宗東西合同法要「いのちのつどい」は2日午後2時から、金沢城公園三の丸広場で営まれる。宗祖親鸞聖人(しゅうそしんらんしょうにん)御誕生850年と立教開宗800年、北國新聞創刊130年の節目に合わせ、両派の石川県内組織と北國新聞社でつくる実行委員会が主催する。準備に奔走してきた浄土真宗本願寺派(西)金沢別院の中村祐順輪番(65)、真宗大谷派(東)金沢別院の髙桒(たかくわ)敬和輪番(57)=南砺市出身、圓浄寺住職=の2人が、法要の意義や意気込みを語った。

  ●スタートの地で祈る

  ●東・輪番 髙桒敬和氏

  ●信仰の「相続」問われる

 浄土真宗の東西は、お経の読み方も違うし、気質も違う。そんな中でこのたび、かつて金沢御堂(みどう)のあったとされる金沢城公園で、ともに法要を営みます。そのことに、大きな歴史的な意義があると考えています。

 昨年、公園内に初めて、「金沢御堂」の案内看板が立ちました。この地は「御山(おやま)(尾山)」と呼ばれた仏法の山です。後に東西に分かれますが、ここが金沢の両別院のスタート地点なのです。法要の準備を通じて、その歴史をあらためてかみしめました。

 北國新聞の連載「百姓ノ持(もち)タル国の百年」で書いてあったように、金沢御堂は小立野台地の端に建てられました。金沢城公園内には、多くの井戸の跡があります。なぜこんな高台に水が湧くのだろう、と不思議に思いますが、先人は「ここは水が出る」と知っていたから、御堂を建てたのでしょう。

 おそらくは御堂のできる前から、この地では人が祈り、暮らしていたんだろう、と想像はふくらみます。

 前回、25年前の合同法要の参詣者は、主催者発表で3千人とのこと。今回は、どれだけの人がお参りしてくださるのでしょうか。信仰は、どれだけ「相続(そうぞく)」されているのでしょう。正直、怖いような気持ちも少しありますが、楽しみです。

  ●全国に協力の動きを

  ●西・輪番 中村祐順氏

  ●真宗王国の力垣間見た

 東西合同の法要は、よそではまず例がありません。両総長が列席され、全国的に注目されています。

 江戸時代、本願寺派第14世宗主(しゅうしゅ)の寂如(じゃくにょ)が大谷派との差別化を図るため、お経の節回しや作法を変えました。おかげでいさかいは減りましたが、東西が簡単には近づけない距離ができてしまいました。

 だから、合同法要を執り行うのは難しい。今回も当初は、一部のみ合同、あとは東西で別個に行う、との案が出ていました。ただ、それでは合同の意味が薄れてしまう。北國新聞さんの仲立ちで、互いに歩み寄ろうと話し合いを重ねました。作法の違いを認め合い、理解し合う、いい機会をいただいた、と思っています。

 浄土真宗は「家庭の宗教」といわれます。だが今、教えに親しむ子どもは多くありません。その中で、3日の稚児行列には250人もの参加申し込みがあり、真宗王国の力を垣間見た気がしました。

 宗教離れが進み、同じ教えを持つ東西が今までのように別々に歩んでいても、衰退する一方だと感じています。一緒になるのは難しくても、今回のように協力し合うことで、より広く念仏を伝えることができます。金沢での合同法要をきっかけに、東西が協力する動きが全国に広まれば、と期待しています。

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