FIBAワールドカップでカーボベルデ代表と対戦することになったバスケットボール男子日本代表。
カーボベルデは国家として成立したのが1975年と比較的浅いため、今回対戦が決まっても「どこ?」という反応が多くみられた。
大西洋に浮かぶアフリカ最西端の島国で人口は60万人弱。ただ旧ポルトガル領であり、サッカーではそのポルトガルで生まれ育った選手たちが代表チームを支え近年力を付けている。
彼らはみな非常に優れた運動能力を持っており、実はこの島国にルーツを持つスーパースターも少なくない。
そこでここでは、カーボベルデの血を引いたサッカー界の超スーパースターたちを紹介しよう。
ヘンリク・ラーション
スウェーデン代表:106試合37ゴール(1993-2009)
ラーションは、あのイブラヒモヴィッチと並ぶスウェーデンのレジェンドだ。
スウェーデン代表では1994年ワールドカップ3位の原動力となり、セルティック在籍時代には公式戦315試合242ゴールという異次元の成績を残した。
最近、日本代表FW古橋亨梧が彼の古巣セルティックでゴールを量産しているが、毎度のように比較されているのがこのラーションである。
そんなラーションはスウェーデンに生まれ育ったが、父親がカーボベルデ人。名前は父親の親族であるエンリケさんが由来で、母親がポルトガル風の名前を拒んだため“ヘンリク”となったという。
ナニ(アダナ・デミスポル)
ポルトガル代表:112試合24ゴール(2006-2018)
マンチェスター・ユナイテッド時代に「クリスティアーノ・ロナウドの後継者」と期待されたナニ。
ゴールを決めれば楽々宙返りを披露し、ユニフォームを脱げばバッキバキの肉体。サッカー史上でも有数の身体能力を持つ選手といえるだろう。
そんな彼は両親がカーボベルデからの移民。カーボベルデとアンゴラからの移民が多いアマドーラの貧民街に生まれ育った。
父親はナニが5歳の頃にカーボベルデへ旅立ち、そのまま戻ってこず。母親はその数年後、より良い生活を求めてオランダへ旅立つなど厳しい幼少期を送ったという。
パトリック・ヴィエラ
フランス代表:107試合6ゴール(1997-2009)
パトリック・ヴィエラは、フランス史上最高のMFに数えられる一人だ。
ジネディーヌ・ジダンらと共にフランス代表の黄金期を築き、アーセナル時代には同胞アーセン・ヴェンゲル監督、ティエリ・アンリらとプレミアリーグの無敗優勝を達成した。
そんな彼はセネガルの首都ダカールに生まれ、8歳の時にフランスに移住したことが広く知られている。祖父もフランス軍に勤務した経験があり、もともとフランスとの縁が深かった。
ただ彼の姓である「ヴィエイラ」はポルトガル語。実はカーボベルデ出身である母親の旧姓を使用しているのだそうだ。
レナト・サンシェズ(ローマ)
ポルトガル代表:32試合3ゴール(2016-)
EURO2016では10代ながらポルトガル代表の中心選手として優勝を経験した天才アタッカー。
大会後にはボーナス含めて最大8000万ユーロ(およそ100.8億円)という巨額でバイエルン・ミュンヘンへと移籍し、誰もがその将来を嘱望した。
ただその後は怪我にも悩まされて存在感を見せられず。「消えた天才」という括りで語られることも多くなっていたが、フランスのリールで復調し昨シーズンまでPSGに在籍した。
そんな彼は父親がサントメ・プリンシペ出身、母親がカーボベルデ出身だ。
クリスティアーノ・ロナウド(アル・ナスル)
ポルトガル代表:200試合123ゴール(2003-)
言わずと知れたサッカー界のシンボル、クリスティアーノ・ロナウド。
レアル・マドリーで前人未到のUEFAチャンピオンズリーグ3連覇、ポルトガル代表ではEURO2016制覇を成し遂げ、代表での出場数は200、ゴール数は3桁を超えている。
移り変わりの早いサッカー界を宿敵リオネル・メッシと20年近く牽引しており、サッカー史上最高の選手の一人として記憶されている。
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そんな彼は見た目でいうと“白人”かもしれないが、実は父親側の曾祖母がカーボベルデからの移民であり、8分の1カーボベルデの血を引いている。