シベリア抑留の過酷体験語る 山中ゆかり、西野さん金沢で講演

シベリア抑留の経験を語る西野さん=金沢市文化ホール

 全国強制抑留者協会の「シベリア抑留体験の労苦を語り継ぐ集い」(北國新聞社後援)は2日、金沢市文化ホールで開かれ、抑留経験者の西野忠士さん(97)=札幌市=が収容所での約3年間にわたる過酷な体験を語った。旧山中町にルーツを持つ西野さんの話に約100人が聞き入り、ロシアによるウクライナ侵略が長引く中、戦争の理不尽さをあらためて知った。

 西野さんは旧満州(中国東北部)で航空情報連隊に所属していた1945(昭和20)年8月に捕虜となり、ソ連中央に位置するタイシェット郊外の収容所に収監され、森林伐採や鉄道建設などの強制労働に従事させられた。20歳の頃だった。

  ●零下40度で強制労働

 収容所では、豆の浮いた塩味のスープや黒パンなど十分な食事が与えられず、栄養失調で亡くなった人も多かったという。作業での厳しいノルマや零下40度の寒さにより、地面に置かれた丸太を飛び越えられないほどに体力が消耗していた人もいた。

  ●朝起きると仲間が息絶え「諦めの気持ち強く」

 朝起きると、仲間が息絶えている日々が続き、「死を悼み悲しむ感情がなくなり、生きることへの諦めの気持ちが強くなった」と振り返った。

 西野さんは48(昭和23)年6月、日本に帰国した。「日本に帰る船が目の前にあったときのうれしさは今でも忘れられない」と講演を締めくくり、平和の尊さをかみしめた。

 西野さんは加賀市の紙谷用水を引いた西野庄与門のひ孫にあたる。戦後は郵便局長などを務めた。

 抑留に関する展示会は3日まで同ホールで開かれている。

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