[食の履歴書]坪井慶介さん(サッカー解説者・タレント)移籍に遠征、環境変化 行った先で食楽しむ

坪井慶介さん

僕は東京で生まれたんですけど、両親は岐阜県中津川市の出身で、よく岐阜の実家に行きました。

祖父はお米を作っていました。祖父はみそも手作りしていましたし、しょうゆはみそを造る時にできるたまりしょうゆを使っていました。

祖父は東京にお米とみそとしょうゆを送ってくれました。これがうちの食卓の3点セット。決して外せなかったですね。

お米はたしか「ササニシキ」だったと思います。ものすごくおいしかったから、たくさん食べました。みそはごく一般的な茶色いもので、どちらかというとしょっぱかったです。そしてしょうゆ。独特の風味がありました。それに慣れていたから、友達の家とかで黒いしょうゆが出ると「アレッ?」て感じでした。

母は料理が好きでいろいろ作ってくれましたが、洋食が多かったと思います。特に煮込みハンバーグがおいしくて。たっぷり野菜の入ったトマトベースのソースに片栗粉を入れてとろみを付け、その中に一口大のハンバーグがボンボンボンボンという感じで入っていたんです。それでひたすら白飯を食べました。ご飯がよく進むんです。

親からは「とにかくたくさん食べなさい」「出されたものは残さず食べなさい」と言われて育ちました。

僕は三重の高校に進みました。高校の寮の料理が悪いというわけではないんですが、最初のうちは実家で食べていた3点セットが恋しかったですね。でも不思議なもので、だんだん三重の食事に慣れました。

高校卒業後は福岡の大学に進学し、福岡の料理にどっぷりはまりました。独特の甘口しょうゆを初めて口にした時はびっくりしたんですが、すごくすんなりと受け入れられて。たまりしょうゆを卒業して、九州の甘いしょうゆでないと駄目になってしまったほどです。浦和レッズに入団して関東に戻ってきてからも、しょうゆは福岡県産。今でも北九州から取り寄せています。

僕は、その土地その土地の食べ物を好きになるようです。ですから海外遠征中は、海外の地のものを食べていましたね。中東や東南アジアに行くと匂いの強い食材が多くて嫌がる人もいましたけど、僕は平気でバクバク食べていました。パクチーとか好きですよ。

海外遠征ではシェフが帯同して食事を作ってくれるんですが、僕はそれも食べつつ、地の料理にもしっかり手を出していました。その土地の料理を食べることを面白く感じていましたけど、チームとしてはあまり食べてほしくないというのがあったでしょうね。でもそれで体調を崩したことは一度もありません。

選手は、いろんな環境でプレーをしなければいけません。食の環境を整えてもらうことはありがたいですけど、イレギュラーなものにも対応しないといけない部分もあります。遠征先のものを食べられるというのは、大事なことだと思いますね。

僕が現役生活の最後を送った山口は、何を食べてもおいしかったです。日本海、瀬戸内海、それと関門海峡。3カ所も海に面しているんです。それぞれの海で取れた魚介類がとにかくおいしい。

山口の魚といえばフグを思い浮かべる人も多いと思います。もともと僕はテッサが好きなんですけど、ある店でフグを普通の刺し身の厚さで出されたんです。衝撃的なおいしさでした。山口の中でもそのように出してくれるところは、そんなに多くはないと思います。

山の幸では「けんちょう」という郷土料理が良かったですね。豆腐、ダイコン、ニンジンなどを甘辛く煮たもので、白飯が進むんですよ。

行った先々で、地のものを楽しんできたんだと、改めて感じています。 聞き手・菊地武顕

つぼい・けいすけ 1979年、東京都生まれ。四日市中央工業高校、福岡大学卒。2002年に浦和レッドダイヤモンズに入団し、新人王などを受賞。以後もディフェンスの要として、Jリーグ、天皇杯、AFCチャンピオンズリーグなどタイトル奪取に貢献した。06年ドイツワールドカップでも主軸として活躍。15年から湘南ベルマーレ、18年からレノファ山口でプレー。19年シーズンを最後に引退した。

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