水難事故“命の分かれ目”は「救助される側」のシンプルな行動…「津波に流され7km」震災経た夫婦の“信念”

安倍淳さん・志摩子さん夫妻(撮影:加藤貴伸)

全国的な猛暑が続く2023年夏、各地から水難事故の報道が相次いでいる。警察庁の資料によると、2022年までの10年間、水難事故による年間の死者・行方不明者の数はほぼ横ばいだ(平均約740人)。

水難事故では、救助者が現場に到着したときにはすでに「救助するべき人の姿が見えない」というケースも少なくない。宮城県大崎市に住む安倍淳さん・志摩子さん夫妻は、「救助するには、要救助者が浮いて息をしている必要がある」との考えを軸に、水の事故から地域の子どもたちを守るための活動を20年にわたって続けている。

シンプルに「ひとつのことだけ」を体に覚えさせておく

2023年夏、宮城県内の地域紙で、淳さんと志摩子さんが宮城県沿岸部の石巻市立雄勝小・中学校の児童・生徒に着衣泳の指導をする姿が報道された。指導の軸となるのは落水時にあおむけに浮かんで救助を待つ「背浮き」とよばれる姿勢だ。淳さんは「背浮き」についてこう話す。

「水に落ちて溺れそうな人がその一瞬でできることは限られています。だから最低限、溺れず呼吸を続けるために、シンプルにひとつのことだけを体に覚えさせておく必要があるのです」

淳さんは宮城県鳴瀬町野蒜(のびる、現在の東松島市野蒜)に生まれ育ち、海上自衛隊勤務を経て独立。現在も志摩子さんとともに、潜水業務を請け負う「朝日海洋開発」を営む。一方で、水難救助のエキスパートとして、消防学校や警察学校などで水難救助法の指導者を長年務めてきた。

「救助のプロを育成することは重要ですが、それだけでは救えない命がたくさんあるのです。救助者が現場に到着したときには、もう要救助者の姿が見えないことも多いですから。救助するには、要救助者が浮いて息をしている必要があるのです」と話す淳さんは2004年、志摩子さんとともに、淳さんの地元である野蒜地区の小中学生を対象に水難事故防止の講習を始めた。

「2004年当時は自分の子どもたちが野蒜の小学校と中学校に通っていたこともあり、地元の子どもたちのためにできることがあるなら、と思って活動を始めました」

石巻市立雄勝小・中学校の児童・生徒に「背浮き」を指導する安倍さん(提供:石巻市立雄勝小・中学校)

津波に流され7km…震災を経験して強まった「信念」

2011年の東日本大震災当時、2人は野蒜地区に事務所と自宅を構えていた。一帯を襲った津波によって2人とも建物ごと流され、鳴瀬川を7kmほど遡上(そじょう)した場所に漂着した。途中で建物は大破し、淳さんは負傷して意識を失った。一時は死を覚悟したほどのこの経験は、2人の活動にも変化を及ぼした。

「震災前から講習でも『津波が来たら逃げる』と教えていたのに、結局、私たちが逃げなかった。隣近所に声をかけたり、会社の倉庫を確認したりしていてね。避難するには強い動機が必要なのだとあらためて感じました」と話す淳さんは震災以降、講習の受講者に「率先避難者」となることをより強く訴えるようになった。

「周囲に呼びかけながら率先して避難する人がいれば、みんなが逃げる動機になり、多くの命が助かるのです」

その一方で震災は、2人にとって、子どもたちに向けた活動への自信を深めるきっかけにもなった。野蒜地区の6年生の児童が落水しながらも「背浮き」で助かったとの報告があったのだ。

「その子は学校で毎年私たちの講習を受けて身につけていたから、とっさに実践できたのです。私たちもその話を聞いて、『同じことを毎年繰り返して教えることが必要』という思いを強くしましたね」(淳さん)

「今でも小中学生向けに講習するときは、実際に『背浮き』で助かった例として話します。事故に遭うのはたった1人。自分で判断しなくてはいけない状況になったときに大きな力となるのは、『背浮きをして助かった人がいる』という自信なのです」(志摩子さん)

「自然を遠ざけるのではなく、親しんで」

震災から12年以上がたった今も、2人は水難事故防止のための活動を続けている。一般社団法人水難学会の理事を務める淳さんは大学などで講義を行うほか、国内のどこかで水難事故が発生すれば現地に赴き潜水調査にあたる。

「現場には、今後のために伝えるべきことが埋まっています」と話す淳さん。調査で得たデータは最新の知見として整理し、学会で発表するなど、事故防止に最大限役立てる。

一方で淳さんは、国内の水難事故防止講習のあり方に不十分さも感じている。

「今は、水難学会に所属する消防士などが自分の時間を使って学校などに教えに行っています。しかし個人の善意に頼るやり方には限界があります。少しでも指導者が報酬を得られるようにするなど、制度を変えていく必要があると思います」

また、事故を恐れて子どもを水辺に近づけないことは得策ではないと淳さんは話す。

「一時的な危険回避にはなるかもしれないけれど、危険を察知する感覚は育たない。海に波があり、川に流れがあることは、実際にそこに行って水に触れてみないとわからないことなのです。だからむしろ、もっと水辺に行って五感で自然を感じる機会を持ってほしいと思います」

その点で淳さんは、冒頭の雄勝小・中学校のような取り組みがひとつの理想だと考えている。

「学校、保護者、私たち専門家が一緒になって、子どもたちが海に入る機会を作る。それは水難事故防止だけではなく、地域の自然を知ることにもなるのです。このような取り組みが、各地に必要なのではないでしょうか」

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