角田光代、石田衣良ら選考委員全員を戦慄させ、小説現代長編新人賞を受賞した神津凛子の禁断のベストセラーを、俳優であり、国内外の映画祭で8冠に輝いた長編初監督作『blank13』(18)で知られる齊藤藤工監督が映画化した『スイート・マイホーム』。
【写真22枚】『スイート・マイホーム』撮り下ろし写真&場面写真
極寒の長野県に住むスポーツインストラクター・清沢賢二は、愛する妻・ひとみ、幼い娘・サチのために念願の一軒家を購入する。
“まほうの家”と謳われたその新居は、地下の巨大な暖房設備が家全体を温めてくれるもの。
そんな理想のマイホームを手に入れ、充実した生活を始めた清沢一家だったが、その幸せな日々がある不可解な出来事をきっかけに身の毛もよだつ恐怖へと転じていく。
次々と起こる不可解な現象に翻弄されながらも、おぞましい真実に立ち向かう主人公の賢二を演じたのは窪田正孝。
家の中にいる“何か”に震撼するその妻・ひとみに蓮佛美沙子が、清沢家に“まほうの家”の営業をする住宅会社の社員・本田に奈緒が扮し、何者かの視線に脅える賢二の兄・聡に窪塚洋介がなりきり、さまざまな思惑と怪異が入り乱れる驚愕のホラー・ミステリーを誕生させた。
いったい、その“家”では何が起こっているのか? 誰もが凍りつく衝撃の真実とは? その恐怖の深淵を探るべく、齊藤工監督と主演の窪田正孝、本作のキーパーソンを怪演した窪塚洋介を直撃!
ほかの組とは違う齊藤組の撮影現場の様子からこだわりの演出と芝居、3人が実際に“怖い”と思っていることまでを語ってもらった。
背筋が凍るほど怖い同名小説を、齊藤工が映画化することになった経緯
――背筋が凍るほど怖い、神津凛子さんの同名小説を齊藤監督が映画化することになった経緯を教えてください。
齊藤 原作がほかのメディアでは辿り着けない恐怖の極地を描いていましたし、そういった作品の角をとってマイルドな形で不時着させることに甘んじた映画をたくさん知っていたので、まず最初に、本当にこの原作を映像化すべきなのか? ということをプロデューサー陣と話し合う期間がありました。
その中で、実写の最大の強みは、“何か”を宿しているのが見ただけで分かる生身の人間が演じるところにあるという考えに行きついて。
勝ち負けじゃないですけど、そこにひとつの活路があるような気がしたし、とてつもないスペックを持った窪田さん、窪塚さん、奈緒さん、蓮佛さんが集まれば原作に太刀打ちできるのではないか?
この人たちを撮影の芦澤明子さんの観点で切り取ることが唯一の光なのでは?
と思うようになったところから現実味の解像度が上がっていきました。
――窪田さんと窪塚さんは本作のどこに惹かれましたか? 何が出演の決め手になりましたか?
窪田 “工さんが監督”と聞いただけで、もうやるしかないなと思いました。
ただ、最初の台本ではネタバレのタイミングと言うか、真実が分かるのがものすごく早かったので、工さんと会って、話を聞かせてもらったんです。
そこで工さんの真意を聞いて、あっ、なるほどって腑に落ちてからは撮影に対する興味しかなかったです。
窪塚 僕は普段は監督のことを「工」って呼んでいるし、同じようなものが好きで、腸活や微生物、無農薬や無添加といったキーワードを通して実はプライベートで繋がっているんです。
そんなやりとりをしている中での今回のオファーだったので、“おお、仕事の話もあるんかい?”という嬉しい驚きがまずありました(笑)。
それに、一緒にクリエイトしてみたいという想いはもちろんずっとあったし、あまりやったことのない“部屋に引き籠っている”聡役を振ってもらえたのも嬉しくて。
と同時に、この役で自分には何ができるかな? どういう味をこの作品に残せるかな? という期待と不安みたいなものもありましたね。
窪塚洋介が持ち込んだアイデア
――齊藤監督はオフィシャルのコメントで「演者の方が自分の想像を超えるような素晴らしい演技をしてくれた」と語られていますが、窪塚さんが持ち込まれたアイデアにはどんなものがあったんですか?
齊藤 実はすべてなんですね。喋り方も含めて、原作のキャラクターとはまた違う、窪塚さんオリジナルの聡にしてくれました。
撮影前もそうですけど、撮影中にもたくさんのアイデアをくださったし、原作を超える聡を作り上げ、それが現場でどんどん進化していく様を見せてくれたんです。
窪塚 齊藤監督は基本的にすべて任せてくれたんですけど、正直、何をどう表現していいか分からなくて(笑)。
だから撮影初日に、「全然違うと思ったり、こうして欲しいということがあったら忖度なく何でも言って欲しい」と伝えました。
そうすることで自分の不安を払拭し、例えば自分がこれまでの人生で触れてきた吃音の人の口調を聡に落とし込んだりして。やり過ぎかどうかのサジ加減は監督に委ねました。
――齊藤監督にとって、主人公の賢二を演じた窪田さんはどんな存在でした?
齊藤 窪田さんにはかなり初期段階からプロットやホン(台本)を見ていただいて、制作サイドの想いも共有した上で参加してもらったので、コンパスの軸のような存在でした。
特に今回は特殊な設定の作品なので、無対象の表現も多々あったし、中でも終盤の、異常な室温を表すところは大変だったと思います。
仕上げの段階で、それを表情や肉体の動きで見せてくれているのを知ったときは鳥肌が立ちましたね。
撮影現場で印象に残っていること
――窪田さん、窪塚さんは初めての齊藤監督の現場はいかがでしたか?
窪田 齊藤監督は普段はプレイヤー側の人だから、役者の気持ちをちゃんと汲んでくれましたね。
ただ、お芝居は監督とのセッションだけででき上がるものではない。
自然光で撮れるチャンスはいましかないとか、飛行機や自動車の音が聞こえなくなるのを待たなければいけないとか、状況に応じていかなければいけないケースもいっぱいある。
今回もロケをした現場ではたまに車の騒音に悩まされたんですけど、そんな状況でも役者にまったく圧がかからない環境を作り上げてくれました。
時間はないし、時間内に撮りきらなければいけないんだけど、監督自身が常に余白と余裕を持ってやってくれていたから、僕らはまったくストレスを感じることなく、自分がやることに集中できました。
娘のサチを演じてくれた子役の子たちとの時間もすごく大切にしながら演じることができたんです。
窪塚 あの子どもたちとの空気感はすごくよかったわ。
窪田 あっ、本当ですか? 作っていただいたんです。嬉しいです。
窪塚 しかも、ふたりいたじゃない?
――Wキャストだったんですね。
齊藤 そうなんです。体調などを考慮して、子役はそういう態勢にしたんです。
窪田 もうひとりの子は結局出番がなかったんですけど、そういうところもちゃんとケアしていたし、演出以前の、制作の中枢の部分から変えてくれていたから全然ストレスがなくて。それが本当に印象的でした。
窪塚 齊藤監督は人となりと言うか、自分を出す、出さないのサジ加減が絶妙だと思うんですよ。不自然な力のかけ方をすることなく、自然体でいることで現場がまとまっていくという。
これまでにやってきたことの評価や嫌味なく滲み出てくる彼の才能がみんなをそうさせているところもあるけれど、窪田くんも言ったように、役者としての目線を持ってくれているから、その目線で信じ抜いてくれているんだなと思うこともすごくたくさんあって。
だから、ホラー映画の撮影なのに、すごく柔和な現場で。
なのに、完成した作品を観たら、そういうものはきちんと排除されて、恐怖が凝縮されていたから改めてスゴいと思いました。
斎藤工の現場のこだわり
――監督の今回の現場のこだわりを教えてください。
齊藤 ちゃんと白旗を挙げようとは思っていました。
好きな映画をただ観てきただけで、血と肉が宿っていないのに、憧れていた監督のイメージだけで現場に立って、さも知識があるかのように決めつけた演出をしたら、各セクションの職人さんたちがアシスタントも含めて受身になってしまう。
もちろん、そのよさもあるとは思うんですけど。キャストだけじゃなく、スタッフの方々にも才能を遺憾なく発揮していただく場所を作るのが監督の役割だと思っているので、「アイデアをどんどん出して欲しい」ということはみなさんにお伝えしました。
そうやって内側から出てきたものをすべてまとめるのは難しいけれど、子役の人たちも含め、とにかく受身ではなく、好奇心を持ってやっていただくことを心がけていましたね。
あと、寒い冬の現場でしたから、プロデューサー陣に「スタッフやキャストの食事のときに、温かい味噌汁をなるべく提供して欲しい」というお願いをしました。
見直すべき撮影現場の問題点は労働環境や労働時間などの外的要素もたくさんあるけれど、内側から変えられるものもあるし、食べ物がクリエイティブに直結する、画に出るという確信を持っていたので、それは言わせてもらいました。
齊藤監督の演出で印象に残っていること
――窪田さん、窪塚さんは、齊藤監督の演出で何か印象に残っていることはありますか?
窪田 僕が印象に残っているのは、外出先から帰ってきた賢二が新居の周りに張られた事件現場の黄色いテープをくぐって、ある人物が不慮の死を遂げた2階へと駆け上がっていくシーンの撮影のときのことです。
あそこは、カメラが家に入るところからずっと僕の背中を追いかけてきて、倒れている人物に寄るところまでをワンカットで撮ったんですよね。
そのときに、後ですごく反省したんですけど、僕は最後のところでわざと横顔を見せたんです。
窪塚 画的にその方がいいと思ったんだね。
窪田 ずっと背中だけよりも一瞬横顔が見えた方がいいんじゃないかという勝手な心理が働いてしまったんです。
監督から「すいません。背中だけを映したいんです」って言われて、いまの形になったんですけど、あのときは、なんて恥ずかしいことをしたんだろう?って思いました。
齊藤 いやいや、(役者の)当然の心理ですよ。
窪田 帰宅したら、自分の真新しい家の中でとんでもないことが起きていて、警察官がいっぱいいるわけじゃないですか!
そのときの“なんじゃ、こりゃ?”って慌てふためいている感じを背中だけで出せる自信がなかったから、無意識のうちに自分の防衛本能が働いちゃったんですけど、僕がプラスαをするなんておこがましい。あのときは本当に反省しました。
齊藤 いやいや、窪田さんの背中が物語をちゃんと語ってくれてましたからね。
それこそ実家のお母さんを抱きしめる終盤のシーンでは、最初はお母さんを演じていた根岸季衣さんの顔も撮っていたんですけど、窪田さんの背中だけですべてが成立しているなと思ったので、撮るのをやめたぐらいなんです。
窪塚 それを言ったら、僕はもう、すべてやり過ぎた感じ(笑)。
齊藤 とんでもないです(笑)。
窪田 (爆笑)
窪塚 ただ、さっきも話したように齊藤監督は懐が深いですからね。
子どもたちのいる現場は本当に大変で、俺が監督だったら撮影の2日目にはブチ切れそうだけど、怒らずにやっている。
そんな精神的に我慢が効くのも才能だけれど、だからこそ安心感があって。
自分は父親や母親、賢二との関係から聡のバックボーンを考え、何者かの視線に脅える彼のキャラクターを作り上げることに専念できたんです。
恐怖を表現する上で心がけたこと
――日常に潜む恐怖を体現する上で心がけたこと、意識したことはありますか?
窪田 「この“家”には何かがある」という設定にはなっているけれど、僕は賢二に対して現実主義的な感覚を抱いていたし、霊的なものを信じない強さがあると思っていたので、必要以上に怖がらないようにしました。
それよりもトラウマや内面の障壁と人知れず戦っている印象があったので、こういう人間ですという提示はなるべくしないようにしていました。
窪塚 僕の場合はそこも船頭任せでした。自分が用意したこの路線で行っても大丈夫だよね?っていう確認はとれていたし、やってみて違っていたら監督が微調整をしてくれる。だから、迷いなくやろうと思いました。
――齊藤監督は、小説とは違う、視覚に訴える映画ならではの恐怖表現の部分でこだわったことや工夫したところはありますか?
齊藤 “家”にいる“何か”をヴィランのようにとらえるとモンスター色が前面に出過ぎる危険性があると思ったので、少しボカしたり、ちょっとだけナメるような、芯をとらえない映し方をしました。
欲を言えば、その“何か”が観ている方たちにも心あたりがあるような象徴にしたかったんです。
――描き過ぎない、見せすぎない、ということですね。
齊藤 そうですね。その代わりと言うわけでもないですけど、いろいろなものを随所に宿しました。十字架を背負った人たちの話なので、美術の金勝浩一さんに無理を言って、家具や窓枠などに十字架をサブリミナル的に入れてもらいましたし、そういう象徴するものをたくさん散りばめたんです。
願いとしては、劇中で起こることを対岸の火事としてではなく、その破滅の一歩が自分の身近でも起こり得るという感覚で観て欲しい。
僕が原作を読んだときに受け取った“遠いものが近くになる”という感覚を描いたつもりなので、それを体感して欲しいですね。
――参考にした映画はありますか?
齊藤 今回の僕の映画は、新築の家が舞台というところが特殊だと思うんですね。歴史のある家の中に“何か”が宿っているというのはJホラーでも散々描かれてきたけど、真新しいものの余白にある不気味さや表面的な笑顔、取り繕ったような生活感がないものの気味悪さを描いた映画は意外となくて。
そんな中で僕が気になったのは、『ビバリウム』(19)とM・ナイト・シャマラン監督が製作したApple TV+の「サーヴァント ターナー家の子守」(10)。
前者はマイホームを持ちたい主人公の夢が悪夢に変わるスリラーで、後者は子どもを亡くしたお母さんが人形を生きた赤ん坊のように扱うところから始まる戦慄のドラマシリーズです。
この2作品は、撮影中も頭の中にずっとこびりついていました。
この世の中でいちばん怖いことは何ですか?
――ちなみに、みなさんがいままでの人生の中でいちばん怖かった出来事、あるいは、この世の中でいちばん怖いこと、怖いものは何ですか?
窪塚 自分が自分自身でいられなくなるときですね。大ケガをして、人と上手く話せなくなったときが本当に嫌だったので、あれがまた起きたら怖い。
もちろんそうならないように、自分を信じて、身を引き締めて歩いてきたつもりですけど、あんな経験は二度とごめんです。
窪田 (少し考えて)学びと興味を失うこと…かな。
学びや興味って生きる活力だと思うから、そういうものがまったくなくなって、ただ生きているだけになったときかいちばん怖い。
せっかくある限られた時間を、何のために生きているのか分からない状態で生きるのは嫌だなって強く思うので、僕の場合はそれですね。
齊藤 「“正義”と相対するものは“悪”ではなく、もうひとつの“正義”だ」と宮﨑駿監督が語っているんですけど、それがまさにいま現実社会で摩擦を起こしているのかなと思います。
是枝裕和監督の『怪物』(23)もそうですけど、実はこの作品も原作ではひとつの事象が賢二だけではなく、住宅会社の社員の本田や賢二の娘のサチなどいろいろな角度から描かれているんですよね。
そういった、反対側から見える景色を自分が失ってしまったら怖いなと思います。
本作の撮影現場の環境が劣悪なそれとは違う心地よいものだったことが3人の話を聞けば聞くほど伝わってきて、そういう場所でしか洗練されたクリエイトが起こり得ないことを改めて実感。
と当時に、映画オタクとは一線を画す齊藤工監督のただならぬ才能と確かな眼差し(演出)を知ることができ、第一線の実力派俳優たちが彼のもとで自らの力を全開させたことも分かった。
映画『スイート・マイホーム』の“恐怖”は、そんな齊藤監督とキャスト、スタッフが英知を結集して産み落としたもの。だから、怖かったはずなのにもう一度観たくなるのだ。
(Medery./ イソガイ マサト)