宮城・石巻市の漁業復興を担う外国人技能実習生 日本の漁業技術を伝えようと支援

震災後、漁業の担い手が減った宮城県石巻市では、インドネシアから多くの若者を技能実習生として受け入れてきました。実習生の制度には大きな課題もあり、それを変えようという動きが始まっています。

午前1時。暗闇の中で灯りをともした船が出発を待っています。船で働くソレさん(27)はインドネシアの水産高校を卒業し、5年前に技能実習生として石巻市へやってきました。現在は、特定技能の在留資格で働いています。
ソレさん「(起きたのは)12時ごろです。眠いね。この仕事やるから早く起きてますよ」「船に乗るのは大変だね。波あるし風あるから大変ですよ。魚いっぱいだから休憩はないですね」

インドネシアからの技能実習生

ソレさんたちは、投げ入れた網を船で引いて海底にいる魚を狙う底引き網漁です。夜明け前から昼過ぎまで網を引きます。
午後5時半。宮城県の金華山沖で漁を終えたソレさんたちが戻ってきました。この日の水揚げはサバやイカ、タイなどです。船の上で仕分けをして次々と水揚げします。船頭を務めるのは木村優治さん(52)です。
木村優治さん「(漁は)まあまあ、まあまあです。(作業に必要な人数は)これでギリギリかな。あしたも午前1時半にまた出ます」
陸に上がってからも作業が続き、仕事が終わったのは午後7時半ごろ。過酷な仕事です。

石巻市では現在、インドネシアから来た多くの若者が漁師として働いています。震災や高齢化で人手不足が深刻な石巻市の漁業にとって、彼らの力は欠かせません。
木村優治さん「日本人よりも一生懸命で何も言うことないね。いなくなったら大変だね、もう何十隻も止まるんじゃないですか船」

ソレさんたちは、漁港からほど近い一軒家で共同生活をしています。彼らは漁業の技術を学ぶ技能実習生として来日していますが、帰国後に漁業に就く人は多くありません。インドネシアでは、漁師は収入が低く社会的地位も低いからです。
ソレさんは、それでも将来漁師になることを目指しています。ふるさとの西ジャワ州で定置網漁を営む父親の跡を継ぐためです。

祖国で漁師を目指す

石巻市で漁業を学んでも、その経験を生かせない若者もいるという現状を、木村さんは変えたいと思っています。
2012年に仲間の船主5人と支援団体を立ち上げ、インドネシアの若者300人ほどを受け入れてきました。
技能実習生たちの気持ちや生まれ育った環境を知りたいと実行してきたのが、インドネシアへの訪問です。驚いたのは日本とは、かけ離れた現地の漁業の実態でした。
木村優治さん「魚がいても冷蔵設備だったり冷凍設備がインドネシアには無い。市場はあるんですけど全然氷が無いし、船も中古のトラックのエンジンばらして裸で積んでるから」

彼らの実家を訪れた時に、家族からの言葉が木村さんの意識を変えました。
木村優治さん「お母さんが当然だけども心配しながら泣いていました。『社長さん、よろしくうちの息子』って。『けが心配です』とか『よろしくお願いします』って。
泣きながら」

日本の漁業技術を伝える

日本の漁業技術を伝え、彼らがインドネシアに帰った時に稼げるようにしてあげたいと考えています。
木村優治さん「石巻市に来て良かったな、お正月はとても寒かったけど寒くて荒波の行ったけど、行って良かったねって思われた方がいい。会社としては従業員の乗組員が1番の財産じゃないですか、宝」

もうしばらく石巻市に残り、技術を身につけたいというソレさん。帰国したらかなえたい夢があります。
ソレさん「インドネシアに帰ったらいっぱい作りたいです。船とか網とか。新しい船作りたい」

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