青森市出身のピュリツァー賞カメラマン、沢田教一(1936~70年)が遺族に残したネガフィルムの総数が1375本、プリント約2300枚に上ることが日本カメラ博物館(東京都千代田区一番町、谷野啓=やの・ひろし=館長)の調べで分かった。弘前市の妻サタさん(98)から2019年に関係資料の寄贈を受けていた同館が、4年がかりで整理作業を進めるとともに保存のためデジタル化処理に当たっていた。同館文化部係長で学芸員の宮﨑真二さん(48)は「4年費やすことでネガフィルムなど主要作品のデータ化の作業を終えることができた。50年以上も前の写真なのに保存状態が予想以上に良く、満足した結果が得られた」と話している。
整理作業は同館の写真担当の学芸員4人が担当。宮﨑係長によると、ネガフィルムは36枚撮りの白黒で米コダック社製が大半を占めた。合計カット数は約2万と膨大で、コダックフィルムの中でも「トライX」と呼ばれる報道用の種類が主に使われていたという。
撮影時期は米軍三沢基地内のカメラ店に勤務していたアマチュアの1950年代末から、カンボジア内戦中の取材で銃撃され殉職する70年まで10年余り。沢田の短いカメラマン人生のほとんどの期間を網羅しており、特に多いのは61年12月に入社した米UPI通信時代のもの。
「残されたフィルムのほとんどがUPI通信から支給されていたトライXということでもそれが分かる。当時の報道カメラマンにとって定番中の定番のフィルム。撮影時はもちろんのこと、現像環境も過酷な中で残されたフィルムの割には保存状態が想像以上に良く、作業も順調に進んだ」と振り返る宮﨑係長。
写真個々の細かい解析作業はこれから-と前置きしながらも「さまざまな素材が写されていてバラエティーに富んでいる。作業を進めていて気付いたのは、沢田が経験を重ねるにつれてどんどん前に踏み込んで撮るようになること。さらには人の表情を捉えるこつのようなものを覚えたようにも見える。それがのちのベトナム報道で生かされ、ピュリツァー賞やロバート・キャパ賞、世界報道写真展大賞など多くの国際的タイトル獲得につながったのではないか」と説明する。
同館はサタさんからの資料提供を受けて、没後50年の2020年に常設展示を開始。遺品保存に配慮した専用ケース(高さ1.2メートル、横1.5メートル、奥行き0.6メートル)を特別に設置し、ライカM2など愛用のカメラ2台のほか従軍取材に使った米軍用ヘルメット、IDカード、各種賞状などを陳列している。沢田の常設展示は国内で初めて。
谷野館長は「ネガフィルムとプリントのデジタルデータ化が一段落したので、次は少量ではあるがカラースライドに取りかかりたい。将来的に沢田をテーマにした特別写真展のようなものを開きたい」と語る。
同博物館は月曜休館。入館料は一般300円、中学生以下無料。