大失敗に終わった「リヴァプールの大型補強」8名

このところは補強する選手の「当たり率」が上がっているリヴァプール。ユルゲン・クロップ監督のハッキリした指針が影響しているとも言われる。

ただ、それ以前には様々な失敗例も…今回は『Planet Football』から「リヴァプールが期待して獲得した大失敗選手」をお送りする。

アンディ・キャロル

英国人選手の記録となる3500万ポンド(およそ51.9億円)の移籍金でニューカッスルからやってきたストライカー。加入時にはヘリコプターがチャーターされてやってきたということからも、その期待の大きさが伺える。

しかしながら当時まだニューカッスルで14ゴールしか決めていなかった若きアンディ・キャロルには、その荷を背負う力がまだなかった。後に明かされたところによれば、彼は愛するニューカッスルを離れたくないと思っており、リヴァプールの選手のことも全く知らなかったという。

クリスティアン・ベンテケ

ユルゲン・クロップが就任するシーズンの開幕前にリヴァプールへとやってきたベルギー代表ストライカー。アストン・ヴィラで活躍を見せた点取り屋は、170分に1ゴールというそこそこの成績を残したにもかかわらず、クロップが求める戦術には全く合わなかった。

それからリヴァプールを離れてクリスタル・パレスへと移籍してからもあまり安定感がないシーズンが多くなり、リヴァプールに行ったことは彼にとってもクラブにとっても得なものではなかった。

アルベルト・アクイラーニ

シャビ・アロンソがレアル・マドリーへと移籍したあと、リヴァプールはローマからイタリア人ミッドフィルダーのアルベルト・アクイラーニを獲得。その移籍金は1710万ポンドに達したが、セリエAでエレガントなプレーをしていた彼にはそれだけの価値があるとみなされていた。

しかしながら彼は全くプレミアリーグに馴染むことがなく、体調も管理できなくなってしまい、パフォーマンスが低下。その後ユヴェントスとミランに貸し出され、そのままフィオレンティーナに売られていった。

ラザル・マルコヴィッチ

2014年夏にルイス・スアレスを売ったことで6500万ポンド(およそ96.3億円)を受け取ったリヴァプール。もちろんその資金は選手に再投資されたが、そのうち2000万ポンド(およそ29.6億円)はラザル・マルコヴィッチに費やされた。

ベンフィカからやってきたセルビアの若きウインガーは、チャンピオンズリーグでの暴力行為で4試合の出場停止処分を受けるなど不安定なプレーを見せ、1年でフェネルバフチェに貸し出された。それからローン生活を過ごした末にフラムへと売却されている。

スチュワート・ダウニング

ミドルズブラでブレイクし、アストン・ヴィラでジェームズ・ミルナーやアシュリー・ヤングとともに活躍したレフティ。左足から繰り出す精密なキックによって素晴らしいクロスを入れるウイングであった。

そしてリヴァプールにやってきた彼は、1年目のシーズンで36試合に出場しながらも0アシスト0ゴール。ファンによって真っ黒の映像が続くだけのハイライト動画まで作られてしまった。

エル・ハジ・ディウフ

2002年のワールドカップで大活躍したセネガル代表の中心的アタッカーは、マンチェスター・ユナイテッドやアーセナルとの競合の末にリヴァプールへと加入した。当時のクラブの歴史上2位となる1000万ポンド(およそ14.8億円)の移籍金が投じられたからだ。

しかし彼はその気まぐれなプレーと傲慢な態度によってチームと対立し、スティーヴン・ジェラードとは険悪な仲に。クラブの中で居場所を失い、2年でボルトンへと貸し出されていった。

ハリー・キューウェル

「ヤング・リーズ」と呼ばれた伝説のチームで活躍したオーストラリアの左ウイング。鋭いドリブル、ゴールとアシスト両面で結果を残せるプレーで注目を集め、2003年にリヴァプールへとやってきた。

しかし度重なる怪我のためにリーズ時代のパフォーマンスを再現することはできず、2005年のチャンピオンズリーグ決勝ではわずか23分でプレー続行不可能になり、ファンからブーイングをうけたことも。

マリオ・バロテッリ

バロテッリと契約することは常にリスクである。ルイス・スアレスを失ったチームが彼に1600万ポンド(およそ23.7億円)を費やして獲得したことは、まさに「百害あって一利なし」であった。

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リヴァプールにやっていた彼はSNSに反ユダヤ的投稿をして出場停止を受けたり、セットプレーの守備に入ることを拒否したり、2月まで全くゴールを決められなかったりと、全くチームのためにならない存在であった。

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