【マイヒストリー】スーパーボランティア 尾畠春夫さん③【大分県】 開業資金をためるために東京へ

神戸市の魚屋で働いていた頃の尾畠春夫さん(右)と職場の先輩

 <神戸市の鮮魚店で住み込みの修業を続け、夜は「飲む打つ買う」も学んだ>

 1961年、下関の魚屋をやめ、あてもなく訪れた神戸市。店員募集の張り紙を見て鮮魚店に飛び込み、働きたいと頼み込みました。すると、いきなり魚のさばき方の試験を10人の店員とオヤジさん、姉さんの前でさせられたのです。

 「好きな魚をさばいてみろ」と言われ、皆が見つめる前でハモ、グチ、シタビラメ、カレイなど次々とさばいてみせました。一人前の魚屋の証しでもあるハモの骨切には自信がありました。

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