「お父さんは人を殺す仕事をしているの?」 死刑執行に携わる刑務官の“知られざる苦悩”

拘置所に勤める刑務官は一般市民には想像しえない苦悩を抱えている(柳生 鉄心斎 / PIXTA)

内閣府が2019年に実施した世論調査によれば、死刑制度について「やむを得ない」と回答した人は80.8%で、「廃止すべきである」の9.0%を大きく上回っています。

しかし、国民は「死刑」の詳細を、どのくらい知っているのでしょうか。死刑執行当日の拘置所に流れる異様な雰囲気、刑務官たちの重すぎる心的負担、死刑囚の心のケアを行う教誨師の苦悩…。

死刑執行に携わるさまざまな立場の人たちへのインタビューをもとに、いわば“ブラックボックス化”したまま継続されている「死刑制度」の実態に迫ります。

(#4に続く)

【#2】「勘弁してください」ベテラン刑務官も“敬遠”する死刑執行の「重すぎる任務」とは

※この記事は共同通信社編集委員兼論説委員の佐藤大介氏による書籍『ルポ 死刑 法務省がひた隠す極刑のリアル』(幻冬舎)より一部抜粋・構成しています。

刑務官の重すぎる心的負担

死刑執行があった日、異様な空気に包まれるのは確定死刑囚たちが収容されているフロアだけではない。

「拘置所の職員全体に、どこか重苦しい雰囲気が漂います。誰が執行に立ち会ったかなどは、長く勤めていればだいたいわかるものですが、刑務官同士で死刑の話題に触れることはありません。触れたくないというのが正しいでしょうか」

現役の拘置所幹部は、声を落としながら、そう明かした。

日常的に確定死刑囚と接している刑務官にも、死刑執行は心的負担が重くのしかかる。

2000年代に入って東日本の拘置所で死刑執行された元死刑囚を知る関係者は、執行後、担当の刑務官が「辛い」とこぼしながら、独房の遺品を整理していたことを鮮明に覚えている。

「(元死刑囚は)部屋をいつもきれいにしていて、対応も素直でね。壁には子どもや家族の写真を貼っていて、おとなしく過ごしていた。やったこと(筆者注:元死刑囚は殺人および死体遺棄罪で死刑確定)は凶悪だけど、普段接していると情は移るよ。いつも見ているのは、そんな素直なやつでしかないんだから。(執行は)ただ悲しいとしか言えない。悲惨だよ」

その元死刑囚は刑場に連行され、目隠しや手錠をされる直前になり、抵抗をしたという。関係者は、かみしめるような口調でこう話した。

「最後になって、やっぱり嫌だったんだろうね。でも、暴れられると刑務官も嫌なんだよ。押さえつけて手錠して縛ってなんて、誰もやりたくない。できれば、素直に応じてほしいんだよ……」

こうした刑務官の心中は、収容されている確定死刑囚にも伝わっている。先に紹介した確定死刑囚アンケートの回答(編注:抜粋箇所外に掲載)には、拘置所内で接する刑務官の姿を通して、死刑制度に疑問を投げかける意見もあった。

名古屋拘置所に収容中の確定死刑囚(匿名希望)は、こう記している。

「名古屋での執行のとき、(刑務官が)苦しそうに辛そうに仕事をしておられ、執行があったのは(ニュースで)知っていたため、願い事など当時はいろいろとたのんでいたために、大変だと思ったので、私は今日は願い事とかいいので一日ゆっくり休んでくださいと言ったところ、今にも泣きそうな状況で『ありがとう。そんなこと言ってくれるのお前だけだわ』と言って、ポロッと『長いつきあいの奴を、なんのうらみもないのに……』と帰って行きました。国民は刑務官のこのような苦悩を知りません」

ある現職の拘置所幹部は「死刑執行の事実が法務省で公表されるようになってから、刑務官の心のケアに一層配慮するようになった」と明かす。法務省が死刑執行を公表する際には、執行場所である拘置所名も明らかにされる。それが報道されることによって「刑務官の家族はもちろん、親類や知人、子どもの学校にまで『死刑を行った場所に勤めている』というイメージを植えつけかねない」との懸念が生じているというのだ。

幹部は、こう続けた。

「子どもが『お父さんは人殺しだ』といじめられたらどうするのか、逆に子どもから『お父さんは人を殺す仕事をしているの?』と聞かれたらどうするのか。現場ではいろんな悩みが起きているのです」

刑務官の心のケアは重大な課題(ノンタン / PIXTA)

現役拘置所幹部への異例インタビュー

刑務官、とくに死刑執行施設のある拘置所に勤務している刑務官にとって、確定死刑囚や死刑執行は特別な処遇を要するものだ。それだけに、関係者にとっては重苦しいものであり、日常的に話題にするのは一種のタブーとなっている。

記者会見や国会答弁で法相が死刑制度について語ることはあるが、収容施設の幹部が死刑について公に語ることは滅多にない。

2012年10月、私が東京拘置所に取材に訪れた際、幹部職員が施設の概要説明をしてくれたが、収容者数の内訳に確定死刑囚は含まれていなかった。東京拘置所内に死刑執行施設があることも、説明では触れていない。

その点について質(ただ)すと、幹部職員は「死刑や死刑囚に関しては、こちらから積極的にご説明することはしておりません」と、やや困惑した表情で答えていた。それほど、死刑とは関係者にとってデリケートな問題なのだろう。

この取材の際、被収容者の生活全般を担当する部門の責任者である松田治処遇部長(当時)にインタビューする機会があり、確定死刑囚に関する質問も短時間ながら認められた。確定死刑囚を収容する拘置所の幹部に、死刑について話を聞くことができるのは異例と言ってよい。

──確定死刑囚にはどのように接していますか。

「死刑囚だけ特別に処遇することはありません。しかし、死刑囚は執行によって刑を受けたことになるので、適切に受刑させるのがわれわれの役割だと考えています」

──確定死刑囚の処遇で気をつけていることは何でしょうか。

「東京拘置所には確定死刑囚が六十数人います(当時)。彼らの心情は変化しやすく、拘置所は、そうした変化に細心の注意を払っています。一般の人は普通、死ぬことについて病死ぐらいしかイメージを持っていません。しかし確定死刑囚は執行で死ぬ現実を突きつけられています。やむを得ないと思っている人もいれば、冤罪だから納得できないと思っている人もいます。彼らはいつお迎えが来るかわからない心情で平日の朝を迎えています。だからこそ、綿密な動静視察が必要となってきます。

また確定死刑囚は、執行されたくない気持ちも抱えているわけで、どうすれば執行されないかということを考えています。再審請求すれば執行を免れると考えている人もいるかもしれないし、執行を免れるために、逃走、自殺、あるいは職員を殺傷して刑事事件になれば公判中は執行されないと考える人もいるかもしれません」

──心情の変化とは何でしょうか。

「確定死刑囚は、自分を取り巻く外界の変化で気持ちが変わります。例えば、死刑廃止論者が法相に就任すると(死刑執行がないのではないかと)期待します。逆に言えば、執行が続くと不安になる。再審無罪のニュースがあると、自分も再審が認められるのではないかという期待を持ったりもします。家族や支援者が亡くなるということでも、大きく心情が変化します」

──執行があったことを死刑囚は知り得るのでしょうか。

「執行に関する新聞記事は黒塗りにしません。昼のラジオニュースで執行が報道されたら、夕方に録音したものを(独房や共同房に)流します」

──職員の精神的ケアはどうしていますか。

「担当職員は毎日会っているので当然、一定の感情がわきます。個人個人の確定死刑囚の処遇が、全体の中で公平かどうかを注視しています。支援者から得た情報で、自分はほかの確定死刑囚に比べて差別されていると思う人もいます。そういう人は訴訟、国会議員、弁護士、役所などあらゆる手段を用いて、自分は不遇だと訴えようとします。

処遇する職員はたいへんだから、ベテランの有能な人が担当として当たっています。担当職員は神経をすり減らしますから、定期的に交替しないといけません。確定死刑囚の処遇には、上層部を含めて組織的に対応することが重要です」

──死刑囚とはどのような人たちでしょうか。

「ある意味でわがままな人が多いと感じます。自己中心的なところが見えますね。そうでないと、他人の命を奪えないのではないかとも思います」

このインタビューの約2カ月前には、東京拘置所で1名が死刑執行されている。松田処遇部長に「立ち会ったのですか?」と尋ねると、やや顔をこわばらせながら「それは、職務ですから」と短く答えた。独居房から連行されるときの様子はどうだったのかとの質問には「私はその場にはいなかったのでわかりません」と話し、それ以上、言葉を続けようとはしなかった。

インタビューに加えて直近の執行に対する質問で、松田処遇部長の脳裏に重苦しい記憶がよみがえっていたことは想像に難くない。こわばった表情からは、拘置所内で日常的に死刑囚と接しながらも、いずれその死を見届けなければならないという刑務官の厳しい現実がにじみ出ているようだった。

(第4回目に続く)

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