長野久義が明かす、広島への感謝の思いを込めた誓い「目指すのは優勝だけではなく…」

2年前、広島の地へと降り立った。巨人生え抜き功労者のまさかの移籍劇に、多くの野球ファン、関係者が衝撃を受けた。だが男はすぐに、広島カープと広島の街を愛し、広島の人々に愛された。オークションサイト『HATTRICK』でサイン入りバットを出品し、その売り上げを広島の医療従事者へ寄付することを決めた長野久義が、広島への感謝の思いを語った――。

(インタビュー・文=花田雪、撮影=高須力)

長野久義、カープ移籍からの2年を振り返りながら、感謝の思いを語る

あれから、もう2年がたつ。

2019年1月7日、フリーエージェントで読売ジャイアンツに移籍した丸佳浩の人的補償選手として、「長野久義」の広島東洋カープ移籍が発表された。

プロ入り以来、新人王、首位打者、最多安打など、数々のタイトルを獲得してきたジャイアンツの看板選手が、突然チームを去った。

移籍後は代打稼業など、ジャイアンツ時代とは少し、違った役割も任されるようになった。

今季も広島でプレーを続ける長野久義本人は、この2年間をどう振り返るのか。カープというチーム、広島という土地、そしてファンへの思いを聞いた。

「とにかく、街全体でカープを応援してもらっていることを実感している」

「広島に住んでいる皆さんが、カープファンなんだということが、すごくよく分かりました」

広島という街の印象を尋ねると、長野はまず、こう答えた。

「とにかく、街全体でカープを応援してもらっていることを実感しています。夕方のニュース番組を見ても常にカープの情報が流れていますし、広島のみんなが、カープが好きなんです」

例えば、東京に住んでいても街全体が「ジャイアンツ一色」に染まることはほとんどない。地域密着路線が進む現在のプロ野球界では、北海道なら北海道日本ハムファイターズ、愛知なら中日ドラゴンズ、福岡なら福岡ソフトバンクホークスと、「街ぐるみ」で地元球団を応援することは決して珍しくなくなっているが、カープの場合はその歴史が違う。

「僕は2010年からプロ野球でプレーさせてもらっていますが、カープファンの気質というか、球場の雰囲気も年々変わってきたことを感じています。当時はマツダスタジアム(MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島)で結構ヤジも飛ばされました(笑)。でも、そんな声も年々、少なくなってきていて今ではほとんどなくなりましたね」

カープファンの熱さは、今も昔も同じ。しかし、球場の雰囲気はここ数年で一変したという。

「カープ自体が、強くなったというのもあると思います。2020年はコロナでそういうわけにはいきませんでしたが、お客さんも増えて、毎試合、スタンドが埋まる。あとは若い女性がたくさんマツダスタジアムに来てくれるようになったことで、ヤジが飛ばしにくくなったのもあるんじゃないかな」

2010年代から一大ブームを巻き起こしたカープ女子現象、加えて2016年からのリーグ3連覇。チームの強さとファン層の拡大が、マツダスタジアムの雰囲気を大きく変えた。

「恥ずかしくないプレーを見せることを心掛けている」

長野の移籍前年まで、チームはセ・リーグを3連覇。ライバルチームの主力として外から見たカープというチームの印象と、実際に中に入って感じるチームの雰囲気に、何か違うものはあったのだろうか。

「(対戦相手としてのカープは)黒田博樹さん、新井貴浩さんがチームに戻ってこられて、そこに勢いのある若手がうまくマッチしている印象でした。移籍してみても、そのイメージはほとんど変わりませんでしたね。今でもどんどん若手が出てくるし、チームには勢いも感じる。雰囲気も、すごく良いです」

長野自身、今季は石原慶幸の現役引退でチーム最年長選手となった。ただ、それを意識することはほとんどない。

「僕はもともと、リーダーとしてみんなを引っ張るような、そういうタイプではない。ジャイアンツ時代からずっとそうですけど、若い選手の後ろから、足を引っ張らないようにやる。ただ、『見られている』という意識は常に持っています。だからこそ、試合だけでなく練習から、恥ずかしくないプレーを見せることだけは心掛けています」

「チームには頼りになる選手がたくさんいる。だから開き直ることができた」

移籍後の2年間、ジャイアンツ時代とはチーム内での立ち位置、役割も変わってきた。ジャイアンツではプロ入り以来、一貫して「レギュラー」として起用され続けてきたが、この2年間ではスタメンだけでなく、代打での出場も増えた。

「特に移籍1年目は、慣れない代打への戸惑いが正直言ってありました。結果も出なかったですし、ふがいなさの残る1年になってしまった」

カープ移籍1年目の2019年。長野は72試合に出場し、打率.250、5本塁打、20打点の成績に終わる。出場試合数、打率、本塁打、打点、全ての数字が、自身ワーストだった。

慣れない環境下でいきなり「結果を出せ」と言われても、なかなかうまくいくものではない。ただ長野は、移籍2年目の昨季。前年と同じくスタメンと代打の「併用」という形をとられながらも、95試合で打率.285、10本塁打、42打点と数字を大きく伸ばした。特に代打成績は25打数11安打、1本塁打、8打点。代打打率は驚異の.440を記録した。この数字はもちろん、代打で20打席以上立った両リーグの選手の中で断トツだ。

「スタメンで使われたり、代打で待機したり、難しい状況ではありましたけど、チームには若い選手もいるし、スタメンには頼りになる選手もたくさんいる。だから『自分が打てなくても仕方がない』くらいの気持ちで、開き直ることができました。そうやって楽な気持ちでいられたことが、結果につながったのかもしれません」

実績もキャリアもある長野だが、昨季は良い意味で「開き直る」ことができた。ただ、結果を残したとはいえ、まだまだ「代打」に手応えを感じているわけではない。

「スタメンで4~5打席立つのと、代打でたった一回のチャンスに懸けるのでは、精神的な部分でも大きな違いがある。楽しさよりもプレッシャーの方が大きいですし、今でも難しさは感じています」

「パ・リーグに勝てないといわれている中で、その悔しさは常に持っている」

新天地で、新たな役割を求められながら、そこにアジャストして結果を残した長野久義。しかし、広島で過ごした2年間、満足できたことは一度もないという。

「まずは、チームが優勝できていないことが一番大きいです。プロ野球選手として、いくら個人で結果が残せてもチームの勝利につながらなければ満足できることはありません。逆もそうですよね。チームが優勝しても、自分がその力になれていなければ納得はできない。チームと個人、その両方の成績がそろって初めて『良い1年だったな』と思えるんです」

3連覇中のチームに移籍しながら、移籍後の2年間はBクラスに沈んだ。「2年連続Bクラス」は、長野自身にとっても初めての経験だ。

「カープというチームにはまだまだ勢いがあるし、まだまだ強くなれる。もちろん、今季も優勝を目指してやる」

3年ぶりのリーグ制覇に、個人として力になる。強い決意を語ってくれたその直後に、長野はこうも付け加えた。

「もっというと、『優勝』しただけじゃね……という思いはあります。パ・リーグに勝てないといわれている中で、その悔しさは常に持っていますし、リーグ優勝だけではなく、日本一も目指さないといけない」

2020年の日本シリーズではパ・リーグ覇者の福岡ソフトバンクホークスがジャイアンツをスイープ。現在、ホークスは日本シリーズ12連勝中。さらに、8年連続でパ・リーグのチームが日本一に輝いている。

「セ・リーグが最後に日本一になった2012年、僕はジャイアンツのメンバーとしてシリーズを戦いました。それから8年間、自分が出場したシリーズはもちろんですが、そうでない時も、セ・リーグのチームが負けるとやっぱり悔しい。日本シリーズだけでなく、交流戦も含めて、パ・リーグ、ホークスの強さは感じます。試合を見ていると、力負けしている部分は確かにある。ただ、僕自身は交流戦に嫌なイメージはないし、まずはリーグ優勝、そしてその先の日本シリーズまで勝ちたい。これは、セ・リーグの選手全員が思っているはずです」

2021年も長野久義はカープのユニフォームを着てプレーする。

たとえ役割は少しずつ変わってきたとしても、それでもチームのため、ファンのため、広島という街への感謝の思いを込めて全力を尽くす姿勢は、何も変わらない。

<了>

“アスリートとスポーツの可能性を最大化する”というビジョンを掲げるデュアルキャリア株式会社が運営する「HTTRICK(ハットトリック)」と、アスリートの“リアル”を伝えることを使命としたメディア「REAL SPORTS(リアルスポーツ)」との連動企画として、【REAL SPORTS × HATTRICK チャリティーオークション】を開催。

PROFILE
長野久義(ちょうの・ひさよし)
1984年生まれ、佐賀県出身。筑陽学園高、日本大学を経て、社会人野球のHondaに加入。2009年都市対抗野球でチームを13年ぶりの優勝に導いた。同年ドラフト会議で読売ジャイアンツから1位指名を受け入団。1年目から新人王を獲得する活躍を見せ、2011年首位打者、2012年最多安打、2011~13年ベストナインを受賞した。入団から9年連続のシーズン100安打を達成し、3度のリーグ優勝、1度の日本一に貢献した。FA移籍した丸佳浩の人的補償で2019年に広島東洋カープへ移籍。2021年、チーム3季ぶりのリーグ優勝を目指す。

© 株式会社 REAL SPORTS