新婚なのに一緒に住めない。登坂絵莉、コロナ禍が「自分ごと」になった看護師の親友の経験

リオデジャネイロオリンピックで金メダルを獲得し、彗星のごとく女子レスリング最軽量級の主役に躍り出た登坂絵莉。152cmと小柄な彼女のキャリアは、ケガとの戦いでもあった。度重なる手術、つらく長いリハビリを支えてくれた医師、看護師への思い、親友を通じて感じたコロナ禍の医療従事者の窮地……。オークションサイト『HATTRICK』を通じて医療従事者への支援を呼びかける理由、チャリティー活動への思いを語った。

(インタビュー・構成=大塚一樹[REAL SPORTS編集部]、写真=Getty Images)

リハビリの苦しい期間に感じた“オリンピックの力”

――リオ五輪以降の登坂選手は、万全の体制で試合に臨めた試合があったのか? というほどケガに悩まされ続けました。そんな中で、地元開催、東京五輪の出場を目指して戦ったわけですが、どんな思いだったのですか?

登坂:苦しかったですね。私は他の選手と比べてもケガが多い選手ではあるんですけど、左足親指、母趾(ぼし)球の手術は特につらかったです。どんなに大きい手術でも、普通は段階を踏んで少しずつ良くなっていくじゃないですか。でも、私の場合は、手術後も全然痛みが取れなかったんですよね。リハビリをしていても少しずつ良くなっているという感覚もなかったので、そこが苦しかったですね。

――復帰後も痛みがあって自分の動きが本来のものじゃないという感覚?

登坂:もう全然。自分がやりたい動きもできないですし、頭では「できる」と思ってやるんですけど、体が反射的に引いちゃったりして……。足がよくならなくて、現在も思うような動きはなかなかできてないんです。

――金メダルという目標に向かって突き進んだリオ五輪までとは違い、ケガから元の自分に戻すのは、また違うモチベーションが必要ですよね。

登坂:ケガが続いて本当に苦しい時期が続いたんですけど、私が表舞台に出られないときも、ファンの方がメッセージをくれたり、「また戦う姿が見たい」と声をかけてくださったことがすごく励みになりました。近くにいてくれる人からの応援もそうですけど、直接お会いしたことがない人にもこんなに応援してもらっていると思うと、リハビリがつらくても頑張ろうとか、まだ諦めちゃいけないと思うことができました。いろいろな人から声をかけていただけるたびに、すごく“オリンピックの力”を実感しました。

――レスリング選手にとって、オリンピックは国民的注目を集める機会でもあり、本当に大きな存在だと思います。登坂選手はオリンピックがなくてもレスリングをやっていたと思いますか?

登坂:たぶん、やっていないと思いますね。私も世界選手権に4回出ていますけど、やっぱり全然違うものなんですよね。戦うメンバーは同じだし、会場も大きな変わりはないんですけど、オリンピックと世界選手権はやっぱり全然違いますね。

――登坂選手がレスリングに没頭したのもアテネ、北京、ロンドンの金メダリスト、吉田沙保里さんの存在があってのことだと公言していますよね。

登坂:そうですね。レスリングというスポーツは、まだ日本ではメジャーでもないですし、子どもたちが始めるのにハードルが高いスポーツ、どこでどう始めればいいんだろうというところもあると思います。私が沙保里さんに憧れたように、やっぱりオリンピックで選手を見て、子どもたちが憧れてレスリングを始めるというのはあると思うんです。

子どもの頃にオリンピック選手、沙保里さんに会えた経験は、私のその後のレスリング人生にもつながっていたと思っているので、機会があれば、私も子どもたちに指導したり、直接関わりたいなと思っています。

ユニフォームが担うスイッチの役割

――今回のオークションには、レスリングウエア(シングレット)を提供いただきます。ウエアについてのこだわりなどはありますか?

登坂:実はあんまりないんですよね(笑)。私はゆったり着るのが嫌なので、ぴったりサイズを選ぶことくらいです。

――レスリングでは、練習の時はユニフォームを着ないんですかね?

登坂:着ないです。基本的には練習はTシャツ、短パンでやります。本当に夏とか暑い時期になると、たまにユニフォームで練習する時期もあるんですけど、基本的には着ない。

――着るのは試合の時だけ?

登坂:ユニフォームは、試合の時に着るものというのがあって、逆に試合以外では着たくないなというのはあります。ユニフォームを着るとやっぱり、スイッチは入りますね。

新型コロナ病棟で働く親友への思い

――オークション収益の寄付先に、医療従事者への支援を指定していただきました。

登坂:子どもたちの将来や夢のためにということも考えたんですけど、今回はやっぱり大変な思いをしている医療従事者の方のお役に立てるのがいいのかなと思っています。

――ケガの治療や手術、リハビリを経験する中で、医師や看護師の方と触れ合う機会も多かったと思います。

登坂:リオ五輪後に2回手術をしているんですけど、1回目の手術が人生で初めての手術で、入院するのも物心ついてからは初めてだったんです。そこで感じたのは、「看護師さんってここまで献身的に尽くしてくれるんだ」ということですね。本当にびっくりするくらい。看護師の友達に、「看護師さんってこんなにサポートしてくれる心強い存在なんだね」と伝えたことを覚えています。

――お世話になった医療従事者の方々が、現在、新型コロナウイルス感染症への最前線で頑張っています。

登坂:本当に感謝の気持ちですよね。実は、看護師の友達というのが、小学校からずっと一緒で、今も一番仲のいい親友なんですけど、最近まで新型コロナに対応する病棟で働いていたんです。彼女からテレビを見ているだけでは知ることができない切実な話を聞いて、感謝の気持ちがさらに強くなりました。

――周りに感染者がいなかったりすると、当事者意識が持ちづらい面もありますが、親友がコロナ禍に看護師として働いていて、現場の話を聞いているとなるとまた違う感覚もありますよね。

登坂:話を聞いて衝撃的だったんですけど、友達は新婚なんですけど、今は旦那さんと一緒に住むこともできないっていうんです。

――感染リスクへの対策とか、そういうこともあるんでしょうね。

登坂:彼女の場合は、旦那さんが実家に帰って、彼女が家に残るという状況だったんですけど、ニュースではなかなか知ることのできないことですし、何より友達として、新婚なのに一緒に住めないなんてかわいそうという思いがありました。

<了>

“アスリートとスポーツの可能性を最大化する”というビジョンを掲げるデュアルキャリア株式会社が運営する「HTTRICK(ハットトリック)」と、アスリートの“リアル”を伝えることを使命としたメディア「REAL SPORTS(リアルスポーツ)」との連動企画として、【REAL SPORTS × HATTRICK チャリティーオークション】を開催。

PROFILE
登坂絵莉(とうさか・えり)

1993年8月30日生まれ、富山県出身。小学3年生からレスリングを始め、中学時代に全国中学生選手権で優勝。至学館高校、至学館大学時代にも数々の大会で優勝を果たし、大学卒業後は東新住建に入社。2013~2015年世界選手権48kg級3連覇、2016年リオデジャネイロ五輪同級で金メダルを獲得。

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