復興ピアノ、ハマに奇跡の音色 保土ケ谷の修復師がつないだバトン

東日本大震災後、家屋の取り壊しのため瓦礫が広がる中に置かれたピアノ(松木さん提供)

 東日本大震災で津波の被害を受けながら奇跡のバトンがつながり復活を遂げたグランドピアノが、横浜市内にやってくる。宮城県塩釜市の音楽講師・櫻井由美さん(58)が所有する復興ピアノ「ローラ」。横浜市保土ケ谷区で工房を営むピアノ修復師の松木一高さん(63)が、困難な修復を手がけた。復興した仙台空港でのイベントなどでその奇跡の音色を奏でてきたが、関東大震災から100年に当たることし9月は、横浜でその音を響かせる。

 2011年3月11日の震災発生時、櫻井さんの七ケ浜町の実家にあったピアノは、津波に襲われたものの大破を免れた2階で何とか原型を留めていた。ただ、地元では修理もできず2階の建物もろとも取り壊すしかないと諦めていた。

 ところが不思議な縁が重なる。重機の作業員は、なぜかピアノを建物からがれきの広がる屋外に出して置いていった。それを震災ボランティアに来ていて偶然目にした女性シンガー・ソングライターのメティスさんが、修復へと動く。東北や関東圏のピアノ工房や調律師に片端から掛け合い、約130軒に断られた末にたどり着いたのが松木さんだった。

 松木さんは高校卒業後この道に入り、30歳で独立後、工房「クラビアハウス」を設立。腕を磨いてきた。100年ほど前の中古ピアノを欧州で買い付け修復して販売する。スタインウェイやヤマハなどの有名メーカーのみならず、欧州で大事にされた個性あふれるメーカーのピアノも直す。

 そんな腕があっても海水の塩分が染みこんだピアノの修復は困難を極める。ピアノを分解し水洗いしても弦のサビを回避するには大手術が必要。半年近くかけチューニングピンを打つ板や、弦の振動を響板に伝える駒という板などを自ら切り出し取り換えた。こうした木工の技術を要する修復を行う工房は、日本では珍しいという。

 「修復のおかげか、被災前より音色がよくなったように感じます」と櫻井さん。ただ、音色に影響のない鍵盤や脚の部分、屋根などの外観の傷は当時のまま。「ローラ」の愛称は、櫻井さんの教え子が「『傷だらけのローラ』(西城秀樹さんのヒット曲)だね」と言ったのがきっかけ。一時は町の公民館が預かっていたローラだが、今は七ケ浜町の櫻井さんが借りているレッスン室に置かれる。

 これまで東北以外でのお披露目は少なかったが、横浜での演奏は櫻井さんや松木さんらの働き掛けもあって実現した。

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