岡山県井原市は「デニムの聖地」と呼ばれています。
デニムの町、井原。
井原のデニムは、国内はもとより海外からも高く評価されています。
井原にある、大正時代から綿織物を作り続けている機屋(はたや)、日本綿布(にほんめんぷ)株式会社(以下:日本綿布)。
機屋とは、機を織る建物や人のことです。
昔ながらの伝統技術を受け継ぎ、一つひとつ丹精込めて糸を染色し、ていねいに織り上げたデニムの風合いや表情にはこだわりがあります。
アパレル産業全体の低価格競争の時代にあっても貫いた非量産型、高付加価値。
井原の高品質デニムを全国へそして世界へ。
日本綿布のデニムに対する想い、地域とのかかわりについて紹介します。
日本綿布株式会社の概要
小田川のそば、のどかな田園風景が広がるなかに日本綿布の社屋と工場、併設されているファクトリーショップがあります。
ファクトリーショップは2022年(令和4年)9月にオープンしました。
ファクトリーショップでは、日本綿布のデニムで作ったジーンズやシャツ、小物を取り扱っています。
日本綿布は1917年(大正6年)に、備中小倉織物(びっちゅうこくらおりもの)の製造業者として創業しました。
染色から織布(しょくふ)までの一貫作業による婦人、子ども服の製造を始めます。
1926年(大正15年)には大正天皇の皇太子(昭和天皇)へ、贈り物として日本綿布の反物(たんもの)が使用される栄誉に浴します。
1985年(昭和60年)にデニムの生産が始まり、国内にとどまらず海外へ進出。
2007年(平成19年)、経済産業省より「井原市の綿産業関連遺産」として綿布工場、染色工場・事務所・食堂が近代化産業遺産に認定されました。
近代化産業遺産とは日本の産業近代化を物語る存在として、数多く継承されてきた建築物、機械、文書、先人たちの努力など、歴史的価値を地域活性化に役立てる目的として、経済産業大臣が認定したものです。
繊維産業が盛んな三備地区(さんびちく)
江戸の初期には木綿の生産はまだ少なく貴重品でした。
帯(おび)や袴(はかま)など、大名の間で贈答品などに使われていました。
木綿で織った生地は温かく肌触りも良く、庶民の衣服としても広まっていきます。
木綿の広がりとともに綿花(コットン)が全国の暖かい地域で生産されるようになりました。
井原市もその一つ。
井原市は岡山県南西部にあり、江戸時代には参勤交代の通り道でした。
山陽道の宿場町として、また備中小倉織の産地として栄えました。
綿織物も明治以降は工場制工業へと発展します。
岡山県から広島県にかけて、繊維産業が盛んな地域を「三備地区(さんびちく)」と呼びます。
三備地区
- 備前(びぜん):岡山県の南東部 児島
- 備中(びっちゅう):岡山県の西部 井原・倉敷
- 備後(びんご):広島県の東部 府中・福山
久留米絣(くるめかすり)、伊予絣(いよかすり)と並ぶ、日本三大絣の一つ、備後絣(びんごかすり)を作っていました。
備中小倉織や備後絣の伝統技術からデニムが生まれます。
備後絣の模様にある紺色がデニムの起源です。
井原から世界へ
日本綿布には海外の取引先が多くあります。
誰もが知っている有名なブランドの名前がでてきます。
ロサンゼルスのRALPH LAUREN(ラルフローレン)、Chrome Hearts(クロムハーツ)、サンフランシスコのLEVI’S(リーバイス)など。
RALPH LAURENのジーンズは1本10万円以上の値段がします。
他にもLOUIS VUITTON(ルイ・ヴィトン)、Hermes(エルメス)とも取引が。
井原デニムが海外で求められ、使われています。
海外で高い評価を得ている日本綿布のデニム。
国内でもEDWIN(エドウイン)などジーンズメーカーと、高品質、高価格帯のデニムの取引があります。
日本綿布株式会社のこだわり
国内や海外で高い評価を得ている日本綿布のデニムには、いくつものこだわりがありました。
シャトル織機とジャガード織機
糸を生地に織りあげる機械を織機(しょっき)と呼びます。
緯糸(よこいと)を通すためにシャトルを使うシャトル織機と、シャトルを使わない織機があります。
日本綿布ではシャトル織機と、ジャガード織機を使っています。
旧織機と呼ばれるシャトル織機は、緯糸を乗せたシャトルが経糸(たていと)の間を何度も行き来しながらデニムを織りあげていきます。
布はシングル幅で80cm。
一日に織れる量は約50m。
ほかの織機に比べて織るスピードはゆっくりで、職人の技術や手作業も多く必要です。
糸に負担をかけない織り方なので、ふっくらと風合いのある丈夫なデニムができあがります。
ジャガード織機はパンチカードに穴をあける形で記録させるデータを使い、5,000本の糸をコンピュータ制御で1本1本に違う動きをさせながら織りあげていきます。
布はワイド幅で150cm。
立体感としっかりした厚みのあるデニムが織りあがります。
セルビッチデニム
シャトル織機で織られたデニムは、セルビッチデニムと呼ばれています。
セルビッチとは布を織る際に施される、デニム端の耳と呼ばれるほつれ止めのこと。
ほつれ止めに赤い線が入っているのが通称RED TAB「赤耳」で、愛好家たちの間で人気があります。
日本綿布では生産当初からセルビッチデニムに注目していました。
耳付きデニムは1870年代にアメリカで生まれ、ほつれ止めをしないデニム生地の生産効率を考えた作業着ジーンズに使用。
日本でも「赤耳」セルビッチジーンズ、リーバイス501は若者の間で人気となりました。
「赤耳」こそが1970年以前に生産されたビンテージデニムの印なのです。
「赤耳」以外にもセルビッチはあります。
セルビッチが見えるようにジーンズの裾を少し折り返して、「手の込んだジーンズを履いているよ」と、さりげなくアピールしているモデルもいますね。
世界中から厳選したコットンを輸入
日本綿布は世界中からコットンを輸入しています。
- カリフォルニアのサンフォーキンコットン
- 中国のトルファンコットン
- アフリカのジンバブエコットン
- トルコのオーガニックコットン
厳選して輸入したコットンは紡績工場で糸に紡がれ、何台もの大型のコンテナトラックで日本綿布へ運ばれます。
井原デニムができるまで
井原デニムが出来るまでの工程は、以下のとおりです。
- 綛揚げ(かせあげ)
- 精錬(せいれん)
- 藍染め(あいぞめ)
- ロープ染色
- 糊付け
- 綜絖通し(そうこうとおし)
では、順番に紹介していきます。
綛揚げ(かせあげ)
紡績工場から運ばれた糸を染色するためにほぐした状態に。
糸へんに忍と書いて「カセ」と読みます。
精錬(せいれん)
「カセ」にした糸を釜に入れて精錬する。
精錬とは糸の汚れや不純物を取り除く工程です。
ほぐされて精錬された糸の束はふっくらとして、染料が入りやすくなっています。
藍染め(あいぞめ)
藍(あい)や草木で染色。
職人がインディゴ槽(そう)に浸けて染め上げた糸は目の覚めるような藍色です。
徳島県の藍を使っています。
ロープ染色
経糸(たていと)は別の機械で染色します。
余分な液を落とすだけのロープ染色で、中心は染めません。
ジーンズをはき続けて出る「味」ユーズド感はロープ染色によって生まれます。
糊付け
織機で織る時に摩擦で糸が切れないように、澱粉や合成糊で糸をコーティングします。
綜絖通し(そうこうとおし)
糸を針金に小さな穴のついた綜絖(そうこう)に通していきます。
経糸(たていと)が3,000本あれば、3,000の綜絖に手作業で。
この工程は熟練した職人でも一日かかります。
ここまでがデニムを織る前段階。
これから、各織機でデニムが織られていきます。
川井眞治(かわい しんじ)社長に井原デニムの魅力や地域とのつながりについてインタビューしました。
日本綿布株式会社、川井社長にインタビュー
川井眞治社長に井原デニムの魅力や地域とのつながりについてお話を聞きました。
──井原デニムについて教えてください。
川井(敬称略)──
井原は参勤交代の宿場町で栄えた山陽道にありました。
三備地区では350軒の機屋がともに協力しあい、備後絣(びんごかすり)を作っていました。
備後絣の模様に織り込まれている藍がデニムの始まりです。
丈夫で厚めの備中小倉織や、備後絣を織る伝統技術からデニムが誕生しました。
三備地区は、藍染めや染色で戦後の洋服化における縫製加工やデニム生地生産地として地位を確立しましたが、1990年(平成2年)以降アパレル産業全体の低価格競争に飲み込まれていきます。
三備地区に350軒あった機屋は、2023年(令和5年)の現在では14軒です。
三備地区では量産型低価格ではなく、非量産型、高付加価値型の製品市場で、ネットワークを構築し府中、福山、井原はデニム生地を、児島がジーンズを縫製する形を築き上げていきました。
三備地区の特徴はジーンズ製品を個々の企業ではなく、地域で生産することです。
安価な輸入品に対する地域連携の具体例であり、中小企業が存続するための手段ともいわれています。
三備地区による「メイドインジャパン」の力ですね。
井原から海外へ
──日本綿布のInstagramは英語表記ですが、これは海外のお客さんに向けたメッセージですか?またInstagramの更新は川井社長がされているのですか?
川井──
Instagramの更新はスタッフがしています。
そうですね、海外お客さん向けの意味もあるかもしれません。
アメリカではニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコ。
ヨーロッパでは、パリ、ロンドン、ミラノなど海外のお客さんも多いですね。
井原デニムが世界中で求められて、使われています。
井原デニムが誕生して、海外に販路を広げていき、長い付き合いとなっています。
良いものを作り、海外からも求められるのは必然でしょう。
海外で、高品質デニムの取引が長く続いているのは信頼関係が保たれているからです。
シャトル織機の魅力
──デニムづくりで一番魅力的な工程はどこですか?
川井──
シャトル織機がデニムを織る工程ですね。
2023年(令和5年)現在、日本綿布では約150台のシャトル織機が現役で活躍しています。
シャトル織機のデニムを織る音は規則的にリズムを刻み、とても心地よいものです。
製造が終了した織機でデニムを織る
──シャトル織機は、今はもう製造中止になっているそうですが。
川井──
日本綿布で使っているタイプのシャトル織機は、現在では製造されていません。
近隣の機屋が工場をたたむ話があれば、シャトル織機を買い受けました。
──シャトル織機が壊れてしまったら、セルビッチデニムはもう作れないのでは?
川井──
シャトル織機が壊れてしまっても大丈夫。
シャトル織機が壊れる場所はだいたい決まっていて、その壊れたところを直す技術はもう確立しています。
いまあるシャトル織機を大切にメンテナンスしながらデニムを作ります。
効率を考えて最新の織機に買い替え、生産性を上げるのが一般的な考えですが、スピードはゆっくりでも、一番人間的な動きをするのがシャトル織機。
シャトル織機と熟練した職人の技術で、人の手で織られたようなデニムができます。
シャトル織機と熟練職人でないと出せない風合いが、そのまま日本綿布のデニムらしさとなり井原デニムの価値をさらに高めています。
──オーガニックコットンにもこだわりがあるそうですね。
川井──
日本綿布で使っているオーガニックコットンは、トルコで育てられています。
トルコのオーガニックコットンは、収穫期になりコットンがはじけてコットンボールになると、地中海から吹く潮風が農薬代わりになり茎やがくを枯らします。
コットンの栽培には育つまでには大量の水が、収穫期には乾燥した気候風土が必要です。
多くは、コットンがはじけてコットンボールと呼ばれる状態になると、農薬を使って綿以外の部分を枯らし綿を摘みやすくします。
いっぽう、土地の気候を利用して安全に配慮した方法で栽培されたコットンがオーガニックコットン。
オーガニックコットンと呼ばれるコットンは、国が定めた認証機関で、世界基準をクリアしていなければなりません。
質の良いオーガニックコットンを使うことが日本綿布のこだわりです。
──ファクトリーショップをオープンされましたね。お客さんの反応はいかがですか?
川井──
とても好評ですよ。
海外のメーカーには、たいてい工場併設のファクトリーショップがあります。
日本綿布も同じようにファクトリーショップを建てたのです。
──日本綿布では、今は縫製をしていないとお聞きしましたがファクトリーショップの商品はどこで作っていますか?
川井──
ファクトリーショップに置いてある商品は、EDWIN(エドウイン)など国内ジーンズメーカーや、海外のお客さんの商品です。
日本綿布のデニムを使っている商品がお店で取り扱う条件。
私が理事長をしている井原被服協同組合と、備中織物構造改善工業組合の会員にも作ってもらっています。
10年前、井原のデニムをもっと知ってもらいたいと最初にやった仕事は、井原市長と井原駅に井原デニムストアを作ることでした。
井原デニムストアは井原被服協同組合が運営しています。
井原市や日本綿布、井原被服協同組合など地域の力で、井原デニムストアは十分な成果をあげました。
海外有名ブランドが最高品質と認める井原デニムの発信本拠地の役割を担っています。
そして10年後、日本綿布のファクトリーショップがオープンし、井原デニムの魅力を伝えるお店がまた一つ誕生しました。
地域とのかかわり
──倉敷市児島はジーンズの縫製、井原はデニム生地でつながりがあると思いますが、倉敷とのかかわりはどうですか?
川井──
すごくあります。
倉敷のジーンズメーカーとの取引があります。
BOBSON(株式会社ボブソン)や、BIG JOHN(ビッグジョン)など。
児島は学生服が出発点で、そこからジーンズに変わっていきました。
児島にもデニムや帆布の機屋がありましたし、そのルーツは児島も井原も同じ備後絣。
三備地区のなかでそれぞれの役割を持ち、ジーンズ産業を育ててきました。
児島と井原は一緒に歳を取った、仲良しの関係です。
児島のジーンズメーカーが頑張ってくれて、おかげで井原もうるおった。
ありがたいことです。
──日本綿布のこれからの展望は?
川井──
井原で最初は小さなことから始めて、大きくなってきました。
今、日本綿布で働く社員は65名。
自然な形で若い従業員に技術が引き継がれています。
100年以上続いた伝統技術を守りながら、おもしろいもの、新しいもの、個性的で斬新な生地作りをしていきたい。
まだまだやりたいことはたくさんありますよ。
おわりに
高梁川流域、水鳥が遊ぶのどかな小田川のそばに日本綿布があります。
社屋は近代化産業遺産に認定された趣のある外観。
デニムの機屋らしいジーンズが飾られたアメリカンな雰囲気の応接室。
川井社長も取締役経理部長の山本さんも、日本綿布のジーンズとオリジナルTシャツを粋に着こなしていました。
応接間には幼稚園児さんが書いた、工場見学お礼のかわいらしい手紙が貼ってありました。
近所のかたから、土地の使い道について相談も受けたことも。
近所からは親しみをこめて「綿布さん」と呼ばれています。
「いいところよ。ここは」と川井社長。
デニムの聖地にある日本綿布。
広島の府中、福山、倉敷の児島、そして井原から世界へ。
三備地区で生まれたデニムをもっと知ってほしいと思いました。
染まった糸はキリッとした藍色で目の覚めるような美しさ。
シャトル織機がリズムを奏でながら、デニムを織っていくようすは軽快です。
ていねいに織られたデニムの優しい手ざわりが忘れられません。
日本綿布のデニムで作ったジーンズの裾を少し折り返して、おしゃれに履いてみたいと思いました。