オリアンティとのインタビューを振り返る:来日が迫る彼女が語ったその経歴

ラジオDJ、ライナー執筆など幅広く活躍されている今泉圭姫子さんの連載「今泉圭姫子のThrow Back to the Future」の第75回。今回は、2023年9月21日、22日に東京Zepp DiverCityで来日公演を行うオリアンティ(ORIANTHI)について寄稿頂きました。

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9月21、22日、Zepp DiverCityで来日公演を行うオリアンティ。2022年に発表した新作『Rock Candy』を引っ提げての来日となります。

オリアンティといえば、マイケル・ジャクソンに認められ、2009年のロンドン公演のリード・ギタリストとして抜擢されたことで、一躍脚光を浴びました。予定されていたツアーは、マイケルが亡くなったことによりキャンセルされましたが、公演を準備しているリハ風景をドキュメンタリー映画とした『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』が公開になったことは、皆さんもご存知でしょう。あれから14年、オリアンティは、ギタリストとしてのキャリアを積み、着実にアーティストとしてステップアップしています。

今回は、オリアンティが『THIS IS IT』後に来日したインタビューを振り返りながら、彼女のミュージシャンとしてのルーツを探ってみます。

ギリシャ語で“花”を意味する名を持つオリアンティは、オーストラリア出身。実はマイケルとの仕事で注目される以前、ポール・リード・スミスのギター・コンベンションのため、何度か来日していて、横浜「モーション・ブルー」のステージに立っています。みなとみらいの観覧車が印象的で、近くのショッピングモールでオフを楽しんだとのことです。

しかし、その時はあまりメディアから注目されることはなかったので、2010年の来日では、どこを歩いてもサインや写真を求められ、来日イベントには自分にそっくりのファッションで現れたファンがいたりと、驚きの毎日だったようです。

「私は、6歳でギターとヴォーカルを始めたの。しばらくはギターに専念しけれど、15歳でカバー・バンドを始めた時に、あらためてヴォーカルも担当するようになった。ボン・ジョヴィ、グリーン・デイ、ブラー、オアシス、キッス、サンタナからカイリー・ミノーグまで演奏していました。自分の好きな曲というより、トップ40ヒッツや、80、90年代の音楽を演奏していたんです。カラオケのようにね。ボン・ジョヴィを演奏するとかなり盛り上がったよ」

ギタリストとしてのスキルは、このようなキャリアの中で磨いたんですね。そういえば、リッチー・サンボラとのコラボレーションもありましたが、オリアンティにとってボン・ジョヴィは、子供の頃の大スターとの共演だったわけです。

憧れのギタリストはスティーヴ・ヴァイ。15歳の時に、スティーヴ・ヴァイのコンサートの前座で、バックトラックを流し、ギター1本で演奏するといったチャンスに恵まれました。オリアンティはこう振り返っています。

「彼のファンの前で演奏するなんて、ものすごくプレッシャーだった」

そのステージを見たスティーヴ・ヴァイが、2008年の自身のツアーのサポート・アクトにオリアンティを招き、彼女は6公演で演奏することになりました。このような活動が、マイケル・ジャクソンの目に止まったのでしょう。ちなみにオリアンティの大好きな三大ギタリストは、スティーヴ・ヴァイ、カルロス・サンタナ、スティーヴィー・レイ・ヴォーンとのことです。

そしてマイケル・ジャクソンとのことについてはこう語ってくれました。

「ツアーのリード・ギタリストに、とオファーが来た時は、あまりにもその立場が重すぎて、嬉しいという気持ちよりも、かなりのプレッシャーがありました。引き受けたのは、たくさんのことを学べると思ったから。エディ・ヴァン・ヘイレンのギターで有名な“Beat It”は、レジェンドである彼を手本にはしたけれど、彼のようにはできないってわかっていたから、そこに自分の個性を加えたいと思ったんです。私はどちらかというとブルーズ寄りのプレイヤーだと思っているから、マイケルにも私のスタイルを気に入って欲しかった。マイケルが私にオファーしたのは、きっと私の個性を活かして欲しい、という思いがあったと信じています」

13年前のオリアンティは、突然降って湧いたかのような輝かしい日々を振り返って、このように話してくれました。リッチー・サンボラと公私にわたってパートナーシップを組んでいた時の来日時にもインタビューしましたが、ジェネレーション・ギャップの会話に微笑ましい気持ちで見ていました。まあ、リッチーが気を遣っていましたが(笑)。

カップルは、それぞれの道を選ぶことになりましたが、オリアンティは、その後ギタリストとしての道をマイペースに歩んでいるように見えます。

Written By 今泉圭姫子

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