69歳の渕正信が復帰戦飾る テリー・ファンクさんへの思い語る「日本を愛していた。日本人が大好きだった」

全日本プロレスの代々木第二体育館大会が8日に行われ、網膜剝離のため長期欠場が続いていた渕正信(69)が復帰戦に臨んだ。土方隆司、カズ・ハヤシと組み、井上雅央&長井満也&西村修組と6人タッグ戦で激突。渕が9分47秒、井上から首固めで3カウントを奪い、自ら白星を導いた。

今年1・2後楽園大会以来、8カ月ぶりのリング。自ら先発を買って出ると、西村を相手にショルダータックルで先制。渋いグラウンドの攻防を展開した。井上、長井を相手に巧みな反則技を繰り出し、井上には往年の必殺技バックドロップを披露し、最後は丸め込んで3カウントを奪取。途中で苦しそうに膝をつく場面もあったが、観客の声援に背中を押され、復帰戦を白星で飾った。

試合後は「いやあ、きつい。ありがとう」と引き揚げた渕。しばらくして、改めて取材に応じ、自身の状況と、8月23日に79歳で死去したテリー・ファンクさんについて語った。

渕は「もうちょっと動けると思ったけれど、8カ月のブランクは大きいね。息も上がっちゃうし、自分の思ったとおりには動けなかった」と反省。それでもファンの声援に「うれしかったね。力になるよね。パートナーのヘルプも大きかったね」と感謝した。

来年で古希。リング生活は約50年に渡る。「自分なりに体を手入れしてきたけど、若い選手のはち切れんばかりの肉体を見ると…。行く末を考えちゃうな。声援に甘えちゃっているのかな」と自身をたしなめるように話した。

欠場期間中には、デストロイヤーと同じくらい世話になったとする、テリー・ファンクさんが死去。故人への感謝は尽きない。

渕は「新弟子時代、フレンドリーで威張っていなくて、これがトップ選手かと感激しました」と初対面の印象を吐露。1981年、米国・テキサス州のアマリロでは1カ月以上、自宅に居候し、世話になった。「最初の引退試合(1983年8・31蔵前国技館)の日、僕はチャボ・ゲレロとのNWA(認定)インタナショナル(ジュニアヘビー級選手権)があったんだけど、試合前に『渕、大丈夫か』と声をかけてくれたんだよ。自分の引退試合の前なのにね」と思い出を語り「変な言い方だけど、次から次へと新しい思い出が出てくるね。トップの選手がいなくなるのは、この年だと仕方ないけれど寂しいよ」と続けた。

「テリー・ファンクさんの所作を見てきたけど、あれほどのことはマネできないな。あの頃は、フェンスがなくてファンから体を触られて、僕はファンに『どいて、どいて』と大変でした。それなのに本当にファンを大切にしていた。そして日本を愛していた。日本人が大好きだった。アメリカで一緒になった時も、控室ではいつも日本のことを話していた。相当居心地が良かったんだろうなあ」

来年1月に70歳を迎える渕。「ここまで半世紀。自分の好きな仕事、今もジャイアント馬場さんがつくったところ(全日本)にいられているのは幸せなこと。若い人がどんどん出てきているから、少しでも手助けできたら」としみじみ語り、「同じ事を10年ほど前にも言ったんだけどな。アハハ」と豪快に笑った。

(よろず~ニュース・山本 鋼平)

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