[食の履歴書]井土紀州さん(映画監督・脚本家)酸っぱさ ルーツの味 遠い土地で思い出す

井土紀州さん

真夏にロケをすると、汗をものすごくかくじゃないですか。するとね、梅干しを食べたくなるんです。それもかなり酸っぱいやつを。日中の仕事を終えて梅干しを食べると、あの塩分がじわっと染みる感じがします。

この感じって懐かしいなと思っていたんですけど、懐かしさの原点を思い出しました。

僕は瀬々敬久監督の脚本を長いこと書いていたんですね。台湾で撮影した「MOON CHILD」(2003年)という映画も、僕が脚本を担当したんです。撮影の前にプロデューサーから「瀬々監督が大きな作品を撮るのは、これが初めて。不安がっているから、一緒に行ってくれよ」と言われたんです。そこでメイキング映像のディレクターという役職で、一緒に行ったんですね。

2カ月くらい台湾にいたんです。食事はうまいんですけど、やっぱり飽きてきましてねえ。朝昼晩と毎日中華を食べていますと。

そんな時、プロデューサーが日本からやって来たんです。差し入れとして梅干しを持って。こんなに梅干しがおいしいと思ったことはありませんでした。体の中に染み入りました。真夏の台湾ロケで、全スタッフが梅干しを奪い合ったんです。

台湾での思い出はもう一つ。撮影が休みの日に、半ば観光地化されている先住民族のいる地域に行ったんです。そこでの食事で、だしを取った汁ものがありました。魚のだしだと思います。非常に日本的な感じがして、こんな料理があるんだと感動した記憶があります。

僕の実家の方では、だしといえばかつお節でした。

僕が生まれ育ったのは、三重県。和歌山県寄りの北牟婁郡という所です。食卓にはとにかく魚が並んでいました。うちのほうではガシラとかガシと呼ぶカサゴ、ブダイ、アジ、サンマ、カマス、そしてブリ、カツオ、カンパチ。

地元で取れる魚ばかり食べていました。逆に北の魚は食べたことがなかったんです。東京に出て来て、サケやタラコやシシャモを初めて食べました。それまでメディアでは見たことはあっても食べたことがなく、へーって感じで食べました。

とはいっても金のない学生ですからね。北のうまい魚よりも炭水化物ばかり食べていたと思います。よく作っていたのは、インスタントの袋麺の焼きそば。でもそれだけだとおなかがすくから、食パンに挟んで食べていました。焼きそばパンですよ。コッペパンでなく、食パンで挟んだ焼きそばパン。

スパゲティ用のインスタントソースというか、ふりかけみたいなものもありましたよね。ソースの袋一つで、スパゲティを山盛り食べたりしていました。

タンパク質は卵。安かったですから、ゆで卵をたくさん作って。それを食べすぎてじんましんが出たりしました。腹が減っていたから、つい食べ過ぎちゃったんですよね。

そんな食生活を送っていたところに、時々父親が甘夏をボンと箱で送ってくれたりしたんです。父親の実家で甘夏やスイカなどを作っていたので、それを送ってくれたんです。

子どもの頃は、父の実家で作る甘夏は酸っぱいなあと思っていました。でもその酸っぱさがいいということを、東京に出て来てから知りました。東京で買った甘夏は甘いしおいしいんだけど、何かが違うんです。父親の実家で作っていた甘夏の野生的な酸っぱさこそが、僕のルーツの味かもしれませんね。

父は今年の4月に亡くなりました。この間、初盆であいさつに行ったんですけど、さすがにもう甘夏を送ってくれる人もいなくなりました。

あの野性的な甘夏を食べることもないのかと、ちょっと感傷的になった。そんな夏です。 聞き手・菊地武顕

いづち・きしゅう 1968年、三重県生まれ。瀬々敬久監督と出会ったことを機に、95年からシナリオを書き始める。主な脚本作品に「雷魚」「HYSTERIC」「溺れるナイフ」など。98年に「百年の絶唱」を監督し、以後は映画監督としても活躍を続ける。主な監督作品に「ラザロ―LAZARUS―」「彼女について知ることのすべて」「マリア狂騒曲」など。谷崎潤一郎作品を映画化した「卍」が公開中。

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