スカウトは一切なし。居残り練習禁止。「1000日間の努力で1%の可能性を伸ばす」平岡和徳が全国に広げる“大津スタイル”

第100回大会の高校サッカー選手権で初の決勝進出を果たした熊本県の大津高校。同校で指導を始めて今年で30年目を迎え、長くチームを率いているのが平岡和徳総監督だ。現在、熊本県の55チームのうち19チームが教え子のチームだという。大津高校サッカー部を全国の強豪に育て上げた手腕はもちろん、「年中夢求」「人生我以外皆師」「24時間をデザインする」など、平岡語録とも称されるその言葉の数々は、高校サッカー界にとどまらず教育者として多くのファンを魅了している。プロの舞台で活躍するサッカー選手だけでなく、多くの指導者も輩出してきた教育者・平岡氏。大津高校で5年間 GKコーチとして時間を共にした澤村公康氏が、サッカー指導者たちの経験と知識が詰まった動画メディア「Footballcoach」の特別インタビューとして平岡氏に話を聞いた。

(インタビュー=澤村公康[ゴーリースキーム代表]、構成=多久島皓太[Footballcoachメディア編集長]、写真提供=yuzurukushida / Footballcoach)

50名以上のプロ選手と指導者が大津から育つ理由

――平岡先生に出会ってから、「人生我以外皆師」という言葉が自分の座右の銘にもなりました。先生の指導者としてのベースを初めにお伺いできればと思います。

平岡:父が教員ということもあり、教育に関しては厳しく育てられてきました。僕の名前は平和の「平」に、道徳の「徳」。両親からの思いを受け取り、生きています。小学校や中学校でも一期一会で全国大会に恵まれ、ましてや高校は帝京高校で古沼(貞雄)先生という師匠に出会うことができた。そういう意味では、出会いというものが自分の人生をいい方向に進めてくれているんだなと思っています。

僕の指導のベースは、オープンマインドでアスリートファーストというものが根底にあります。「子どもたちのCAN NOTをいかにCANにするか」、「内側のやる気スイッチをどうやってオンにするか」、「諦めない才能をどう磨くか」というのは、まずはわれわれがそれを実践し、継続するということがすごく重要だと思っています。それができているから今日もまたこうやって、素晴らしいチャンスに恵まれながら話ができているというふうに思いますね。

――現在、熊本県内ベスト16、ベスト8に入ってくるチームを率いる監督さんは、皆さん平岡先生の教え子の方だそうですね。どうして先生のもとからは日本代表レベルのプロ選手はもちろん、そういった指導者も輩出されているのでしょうか?

平岡:僕の一つの仕事は人づくりだと思っています。「人づくりというのは何か」というふうによく聞かれるんですけど、それは子どもたち一人一人の自信を育てる作業で、その上にサッカーの環境というのが整ってくると、子どもたちの才能が開花していくんです。逆にそれを無視すると、どうしても両輪がうまく回らない。基本的には文武両道、技術や体力、心技体というものがうまく掛け算で大きくなっていくことが理想的なんですよね。

そういった教育的なところを中心にサッカーに惹かれてサッカーに導かれている人生なので、その後ろ姿を見てくれた教え子たちが「自分も指導者になって大津スタイルをつないでいこう」と大津高校を卒業した後もしっかりと勉強して、熊本に帰ってきて、指導者として活躍してくれているのはとてもうれしいことです。今では熊本県の55チームのうち、19チームが教え子のチームで今年のインターハイ県予選ではベスト8がすべて大津高校OBのチームでした。当然、サッカー選手をつくるのはもちろんですが、そのサッカー選手を未来に導いていく指導者をどうつくるかということを心がけています。平岡イズム、僕のDNAをどう広げていくかを肝にしているので、指導者歴が30年を経過して、今のような形ができてきていることは指導者冥利に尽きます。

――教え子たちが「大津を倒してやろう」と貪欲に向かってくると思いますが、ベンチからどういった心境で見られているんですか?

平岡:本来であれば真ん中のテントで見なきゃいけない立場ですよね(笑)。しかし僕は大津高校総監督なので、大津高校のベンチから教え子たちを見ますが、大変有意義です。人が育ってくれているなと。教え子たちには本当に感謝しますし、こういった一戦一戦が本人たちを成熟させ、熊本県のサッカーの未来につながります。高校サッカーだけでなく、キッズ、ジュニア、ジュニアユースを合わせると教え子の指導者も50人以上になります。そういった大津高校のプライドを意識しながらアスリートファーストで人材育成に力を入れている仲間が全国各地にいるのはうれしいですね。

全国に拡大する“大津スタイル”

――第100回大会の高校サッカー選手権では決勝に進出し、ご自身が選手としても経験した国立に戻られました。感慨深いものがあったのではないでしょうか?

平岡:なかなか選手で行って、指導者としてまた戻ってくるのは簡単なことではないですよね。それが現実としてできていることは、諦めずに頑張ってきて良かったなと思っています。この大津イズムを、どんどん指導者として引き継いでいってくれる教え子が出てきてほしいなという思いです。あそこに大津高校サッカー部がいくことで、OBたちもまた国立競技場の意味を理解するわけです。

OBでいうと特に今、柏レイソルトップチームGKコーチの井上敬太なんかは、高校時代レギュラーではなかったですが、日本代表GK中村航輔選手を育てました。彼のサッカーに対しての取り組みや情熱、人間力は当時から試合に出る11人に匹敵するものがありましたよ。「これはチームに加わる大きなエネルギーだ」と思ったら、チームスタッフとして試合にも帯同させます。そういったこちらからの働きかけが、彼の指導者としての未来の入り口にもなりました。選手たちを信頼して、未来への入り口を提供するのもわれわれ指導者の役目だと思っています。

――僕が大津高校でGKコーチをしていた時の選手権で、僕と井上敬太をGKコーチとして平岡先生がエントリーしてくれたことは印象深いです。なかなかない発想ですよね(笑)

平岡:そう(笑)。ない発想というのが私の武器といえば武器で、つまり0から1をつくる。ファーストペンギンが必ず必要なので。0から1をつくりさえすれば、あとは才能のある人たちが1から10、10から20にしていきますから。その0から1をつくる根気強さだったりチャレンジャー精神、これは今でも、今後も持ち続けたいと思っています。

――よく平岡先生から「Oから1をつくる作業が重要」「0に何を掛けても0」というお話をお聞きしたことはよく覚えています。

スカウトは一切なし。選手自らが選択する未来への扉

――大津高校は毎年かなりの大所帯でありながら、やめる部員が少ないという印象があります。

平岡:「来るもの拒まず去る者おらず」と僕たちは言っているくらい、途中でやめる子はいません。それは、僕がスカウトを行わない中で、一人一人が15歳の決断で入部してくれているから。高い志を持って入ってきてくれているぶん、やめる子が少ないのかなと思いますね。何かを求めて来てくれている子たちの可能性が1%であったとしても、それを100%信じてあげる環境をつくりたいと常に考えています。

大津高校では、「必ずの成功は約束できないけど、必ずの成長は約束できる」。一人一人のスタッフが選手と向き合い、寄り添い、プレイヤーズファースト・オープンマインドで一緒に素晴らしい環境をつくってくれています。「24時間をデザインする」「年中夢求」「凡事徹底」、こういったスローガンのもと、うまく機能しているのかなと思います。

――近年いろいろなチームがスカウティングにエネルギーを注ぐ中で、チームづくりでも大津スタイルを徹底されています。

平岡:「広告やチラシにお金を出さなくても行列ができるラーメン屋」は一回店に入っちゃえば、味や店内の雰囲気などでファンをつけることができますよね。味や店内の雰囲気は、うちでいうとトレーニングメニューや練習環境。プロ意識を持ったわれわれが継続してきたものの表れです。入部前のトレーニング参加をフリーにしているので、自分で覚悟を決めて変化を求めにきている子たちであふれています。すべて入り口は平等。1000日間の努力が本人の未来を変えていく。やっぱりそれが理想的なわけです。

日々のトレーニングも100分しかしませんし、練習後の自主練も禁止しています。トレーニング中に足がつるほどの全力でその100分を過ごし、徹底的にストロングを伸ばしながら牙を磨いていく。一人一人をしっかり認めてあげて、そして励まして、褒めて、伸ばしていく。トレーニングの終わりはみんな笑顔で、明日を楽しみに思うことが重要です。そうした毎日の繰り返しが、大津高校での1000日間となり、それぞれの未来につながります。

――僕が大津高校でGKコーチとして指導させていただいていた時も感じていましたが、選手たちは本当にいい環境でトレーニングできますよね。

平岡:子どもたちと同様、保護者との連携も重要ですし、選手たちが主体的に自ら行う姿勢を大切にしています。考えることを日常化してから、サッカーを行うことでプレーにもいい影響が出ると思いますしね。僕流にいうと学びの取れ高は、「いかに言語化するか」。こういったものが昭和の名将、名伯楽は適切だったんですよ。僕は昭和、平成、令和とつないできたので、今度はこれからの未来に残していかなきゃならないんです。選手のみならず指導者がこの熊本県から育ってくれているっていうのは、澤村くんも含めてすごくありがたいことですね。

(本記事は、Footballcoachの特別インタビューより一部抜粋)

<了>

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[PROFILE]
平岡和徳(ひらおか・かずのり)
1965年生まれ、熊本県出身。大津高校サッカー部総監督。高校時代には帝京高校サッカー部の主将として2度の全国制覇を経験。筑波大学進学後も主将として総理大臣杯準優勝や関東大学リーグ優勝などの戦績を残す。大学卒業後は熊本商業高校で5年間指導、1993年より大津高校へ赴任。本校サッカー部を高校サッカー界を代表する強豪校に育て上げ、多くのJリーガーを輩出している。日本高校選抜の監督や日本サッカー協会技術委員会(日本代表強化部)、日本オリンピック委員会強化スタッフを歴任するなど、多方面で人材育成に尽力する。2017年4月から宇城市教育長に就任。

[PROFILE]
澤村公康(さわむら・きみやす)
1971年12月19日生まれ、東京都出身。GKアカデミー「ゴーリースキーム」代表。三菱養和SCユース、仙台大学でプレー。1995年に鳥栖フューチャーズの育成GKコーチに就任。以降、ブレイズ熊本アカデミー、大津高校、日本高校選抜、JFAナショナルトレセンコーチ、浦和レッズアカデミー、女子日本代表、川崎フロンターレアカデミー、青山学院大学、浜松開誠館中学校・高校などさまざまなカテゴリーでGKコーチを歴任。2015年からロアッソ熊本、2019年はサンフレッチェ広島でトップチームのGKコーチを務めた。これまでシュミット・ダニエルや大迫敬介など日本代表GK、JクラブのGK、GKコーチなどを数多く輩出している。

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