「スリープ・コール」 大都会での日常生活が生み出す闇。女性の心の隙間の末路は 【インドネシア映画倶楽部】第59回

Sleep Call

大都会ジャカルタで生きる女性のストレスフルな毎日、そうした日常生活から生み出される闇を描いた傑作のサスペンス・スリラー。

文と写真・横山 裕一

大都会ジャカルタで生き、金銭問題や人間関係に疲れた女性が抱える孤独や寂しさといった心の隙間をどう埋めるか。精神的な溝に陥ってしまった女性を通して、現実と彼女の夢想といった心理描写をミステリアスに見事に描いたサスペンススリラー。

ジャカルタで一人暮らしをする女性ディナはOLとして貸金業の会社に勤めるが、電話による貸金勧誘や滞納者の返済督促とストレスの溜まる仕事をしている。さらに職場での人間関係も複雑だ。小さなオフィスの社長とは不倫関係だったこともある一方で、現場主任から再三交際を迫られる。精神科施設にいる母親の療養費用のため、会社に対しては自らも多額の借金をしている。

日々のストレスや孤独感からディナは出会い系サイトで知り合った男性ラマと毎晩、寝る前に会話することで心の隙間を埋めていた。ラマの素性は不明だが、煩雑な日常生活とは離れた男性の存在にディナは魅力を感じ始め、心の拠り所を求めていく。そんな折、仕事で返済督促対象の男性客が自殺する。追い打ちをかけるように、酒に酔った挙句無意識のまま現場主任と一夜を共にしてしまう。さらに社長からは再び不倫関係を強いられる。精神的に追い詰められたディナはラマに助けを求める。これを契機に不可解な事件が起き始める……。

作品では3つの世界から構成されている。現実世界とディナがラマと過ごす現実逃避の世界、それにディナが気持ちを吐露する夢の世界だ。これらが巧みに組み合わされていることで、ディナの心理的状況や移ろいが明確に映し出されている。言い換えれば、都会で働く女性の悩みや現代社会に生きる苦しみが的確に表現されている。

ディナの日常はどこにでもありそうな光景がシーンとして登場する。朝の電車通勤、職場での朝礼、仕事で課せられたノルマ、お茶やタバコと共に愚痴で一息つく休憩時間、酒やカラオケでストレスを発散する仕事帰りの職場仲間との飲み会など。こうした日常の中でディナが陥ってしまう心理状況を、本作品では誰にでも起こりうることだと警鐘を鳴らしている。社会生活での孤独感と自己の消失。インドネシアに限らず、仕事や時間に追われる現代に生きる人々に共通した精神的問題を浮き彫りにしているといえそうだ。

本作品でも何度か登場する、通勤電車であるコミューターライン(首都圏鉄道)は筆者も日常的に利用しているが、本作品を観た後に思い浮かんだのは、通勤帰りの満員の車内で疲れた表情でスマートフォンを覗き込む人々の姿だった。普段ゆったりと歩く人々も、電車に遅れまいとするためか改札や乗り換えの駅舎構内では早歩きをする人が増えている。こうした日本の都市部と同様の光景は、ジャカルタの人々も確実に現代社会に飲み込まれていることが窺え、本作品が生み出された背景ともいえそうだ。

この作品がさらに魅力的な点は、ミステリアスな事件がディナの心理状況を通して展開するが、終盤、ここまで観てきたことが真実と大きく異なっていたことが明らかにされることで、まさにサスペンススリラーとして傑作の部類に入るかと思われる。真実を知ってゾッとすると共に寂しさ、虚しさを感じてしまう。

監督は中堅実力派のファジャル・ヌグロス監督で、「ヨウィス・ベン」(Yowis Ben/2018年〜)シリーズなど若者を扱った作品やコメディ、ホラーも手がける一方で、ジャカルタの闇を描いた『モアンマル・エムカのジャカルタ・アンダーカバー』(Moammar Emka’s Jakarta Undercover/2017年)といった作品もある。今回の「スリープ・コール」もジャカルタの闇が描かれてはいるが、「ジャカルタ・アンダーカバー」が裏社会を描いたものとは対照的に、日常的な生活から生み出される闇だけに鑑賞者の共感を呼びそうだ。

職場での人間関係や恋愛、経済的苦痛、さらには家庭内暴力も含めて、現代人がが抱える様々な問題が日常生活に散りばめられている本作品は、今年のインドネシア映画祭でも高評価を受けるのではないかと予感させられるほど優れた内容であり、是非とも鑑賞していただきたい。(英語字幕なし)

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