強いドイツにはいつもいた…「失われた最強ストライカーたち」

先日日本代表との試合で1-4と敗れたドイツ。2014年にワールドカップを制覇したものの、その後の2大会で連続グループステージ敗退した。

さらに今回歴史上初めて契約途中で監督を解任し、ハンジ・フリック氏を更迭。マネージャーだったルディ・フェラーが暫定監督としてフランス戦に臨むことになった。

その原因の1つがストライカー不足であるとも言われており、エースの不在が勝負弱さに繋がっているという声も。

今回はドイツを彩ってきた最強ストライカーを7名ピックアップして紹介しよう。実はこれから日本代表と対戦するあのチームの監督も!

ミロスラフ・クローゼ

ドイツ代表:2001~2014

ドイツ代表成績:137試合71ゴール

現在:指導者

現代サッカーにおけるドイツ代表の最強ストライカーと言えば、もちろんミロスラフ・クローゼをおいて他にいない。年代別でも代表に入ったことがなかったカイザースラウテルンの若手FWが、2001年に23歳で初招集を受けてから13年にわたってエースストライカーとして欠かせない選手になるとは。その未来を想像できた者はいただろうか。

184cmと決して突出した長身ではないものの、豊かなジャンプ力と卓越したポジショニングセンス、そしてヘディングの精度を持っていた。全盛期は地上戦でもスピードや動き出し、戦術的知性で数々のDFを翻弄し、そしてピッチを離れれば紳士な態度で称賛された。

2002年ワールドカップでは1大会で5回のヘディングを決めて史上最多記録を更新。2006年大会は得点王となり、2014年大会ではドイツ代表引退を宣言して臨み優勝に貢献した。

ゲルト・ミュラー

ドイツ代表:1966~1974

ドイツ代表成績:62試合68ゴール

現在:死去

そしてミロスラフ・クローゼに更新されるまでドイツ代表の最多得点記録を保持していたのが伝説の点取り屋ゲルト・ミュラーだ。その成績はなんと1試合1ゴールを超えるもので、クリスティアーノ・ロナウドやリオネル・メッシもまったくかすりもしないほどの得点率である。

176cmという決して大型ではない体格で、派手な技術も備えていなかったものの、ペナルティエリアでシュートに持ち込むテクニックとその精度は抜群。一瞬の加速力と卓越したヘディング、頑健なボディバランス、ルーズボールにいち早く反応する読みに長けた歴史上最高のストライカーだ。

1970年のワールドカップでは予選で6試合9ゴール、本戦で6試合10ゴールと大爆発。そして1974年大会では西ドイツ代表の優勝に貢献した。しかも代表選手としての62試合で8回ものハットトリックを決めている。

オリヴァー・ビアホフ

ドイツ代表:1996~2002

ドイツ代表成績:70試合37ゴール

現在:前ドイツ代表テクニカルディレクター

ミロスラフ・クローゼの前にドイツ代表のエースを務めていたのが191cmの身長を持つ大型ストライカー、オリヴァー・ビアホフだ。珍しいことに、ドイツ・ブンデスリーガではほとんど実績を持っていないという選手でもある。

1990年にオーストリアへと渡り、それから当時世界最高リーグだったイタリア・セリエAへと移籍。アスコリ、ウディネーゼ、そしてミランで活躍を見せた。技術的な不足を補ってあまりあるフィジカルとパワーを持つターゲットマンであり、そして重要なゴールを決められる勝負強さがあった。

引退後もドイツ代表チームのマネージャーを2017年まで務め、広報活動に従事。さらにその後はテクニカルディレクターとなったが、2022年のワールドカップでの敗退によりその職を追われている。

ユルゲン・クリンスマン

ドイツ代表:1987~1998

ドイツ代表成績:108試合47ゴール

現在:韓国代表監督

そしてオリヴァー・ビアホフ以前にドイツ代表の最前線を務めた名ストライカーはユルゲン・クリンスマン。今となっては指導者としてのほうが有名であり、ドイツ代表やアメリカ代表、バイエルン・ミュンヘンを率いたほか、現在は韓国代表を指揮している。

2部のシュトゥットガルト・キッカーズでデビューし、2年後には同じ街の名門シュトゥットガルトに移籍。ブンデスリーガで5シーズンに渡ってエースとなり、その後インテルやモナコ、トッテナム・ホットスパーでもプレーした。国際的に様々なクラブを渡り歩き、それぞれの場所で活躍した。

23歳でドイツ代表に招集されてから1998年まで108試合に出場し、同国の歴史上8位の記録を保有している。ワールドカップでも3大会に出場して11ゴールを決めた。

ルディ・フェラー

ドイツ代表:1982~1994

ドイツ代表成績:90試合47ゴール

現在:ドイツ代表暫定監督

ハンジ・フリック前監督が解任されたことにより、ドイツ代表の暫定指揮官としてフランス戦に臨むことになったルディ・フェラー氏。日韓ワールドカップ時の監督だったことでよく記憶されている。

現役時代は「空飛ぶドイツ人」とも呼ばれたリアルストライカーであり、キッカーズ・オッフェンバッハや1860ミュンヘン、ヴェルダー・ブレーメンでプレーしたほか、ローマとマルセイユで国外リーグも経験。常に安定した得点力を発揮した。

ドイツ代表では80年代から1990年あたりにかけてエースとして活躍。2000年から2004年まで監督としてチームを率い、今年2月からはマネージャーとして裏から支える立場になっていたが…。

ユップ・ハインケス

ドイツ代表:1967~1976

ドイツ代表成績:39試合14ゴール

現在:元バイエルン・ミュンヘン監督など

ドイツの歴史上最も優れた監督の一人でもあるユップ・ハインケス。ボルシアMGやバイエルン・ミュンヘン、レヴァークーゼンなどを指揮して多くのタイトルを獲得し、2012-13シーズンには歴史上初の三冠を獲得している。

現役時代はボルシアMGのエースストライカーとして長く活躍を見せ、通算成績は394試合243ゴール。ゲルト・ミュラーと同時期にブンデスリーガを彩るスターとなり、得点王のタイトルを分け合う存在だった。

ドイツ代表ではそのゲルト・ミュラーと時期が被っていたことから39試合14ゴールという成績になっているものの、同国の歴以上最も優れたストライカーの一人として評価されている。

シュテファン・クンツ

ドイツ代表:1993~1997

ドイツ代表成績:25試合6ゴール

現在:トルコ代表監督

そしてこれからトルコ代表の監督として日本と対戦するシュテファン・クンツ監督も、かつてはドイツ代表のストライカーとして活躍していた選手だった。25capは寂しく思えるかもしれないが、実は「この25試合全てで負けていない」(20勝4引き分け、PK勝利1回)。これはドイツでは最多記録であり、唯一彼だけが保持しているものだ。

1983年にボルシア・ノインキルヒェンからボーフムへと移籍し、それからユールディンゲン、カイザースラウテルン、ベシクタシュ、ビーレフェルトなどでプレー。通算成績は600試合239ゴールで、1990-91シーズンにはブンデスリーガ優勝にも貢献している。

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引退後は指導者に転身し、2016年からはドイツサッカー連盟でU-21代表とU-23代表の監督を歴任。そして2021年からトルコ代表を指揮している。

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