みんなのお家 ハルハウス ~ こども食堂をきっかけに誕生した水島地域の人々が集う居場所

筆者が子どもの頃は、ご近所づきあいが盛んにおこなわれていました。

家のカギがかかっていたら、隣のおうちで待たせてもらったり、おすそわけに野菜をもらったり、それが当たり前だと思っていました。

現在では、住民同士の関係が希薄化しており、隣の家にどのような人が住んでいるかもわからない状況も珍しくありません。

そのせいか、困りごとがあっても誰にも相談できずに、人知れず悩みごとを抱えている人もいるかもしれません。

地域とのつながりを大切にしたい人と人とのかかわりを取り戻したいと、水島に一軒家を借りて地域の困っている人のために支援を続けている人がいます。

水島こども食堂ミソラ♪並びにみんなのお家 ハルハウス(以下、ハルハウス)代表の井上正貴いのうえ まさきさんです。

井上さんが、なぜ地域の人々のために一軒家を借りてまで、「ハルハウス」を設立しようとしたのか、「ハルハウス」でどのようなストーリーが繰り広げられているのかを紹介していきます。

「みんなのお家 ハルハウス」とは?

2020年12月、毎日5人から10人が集まれる居場所を作ろうと「水島こども食堂ミソラ♪」の代表である井上正貴さんが開所しました。

地域の子どもたちや大人が集える場、地域の団体や個人が交流し、研鑽(けんさん)しあえる場

一人親の家庭を招いての食事会や、支援者同士の打ち合わせなどさまざまな企画が実現できる場所になっています。

井上さんのこれまでの取り組み

水島こども食堂ミソラ♪とハルハウス両方の代表である井上正貴さんは、2017年から困窮(こんきゅう)家庭を支援するため、地域のボランティアの人々と協力しながら以下のような活動をおこなってきました。

  • 水島こども食堂ミソラ♪
  • フードシェア会
  • フードシェアカー
  • みんなのお家 ハルハウス

水島こども食堂ミソラ♪

2017年8月に水島に開設された、水島こども食堂ミソラ♪。

当時は予約制ではなかったこともあり、月1回の開催で、ボランティアを含め最高69人もの人が参加したこともあったそうです。

2年半の間に1,500食を作り、人々と一緒にご飯を食べ、何気ない会話に花が咲き、参加したみんなが安心して過ごせる温かい居場所として確立しました。

2023年8月に開催された水島こども食堂ミソラ♪での調理のようす

フードシェア会

2020年3月、新型コロナウイルス感染症が蔓延(まんえん)し、みんなでご飯を食べるイベントができなくなったため、個人や企業からいただいた食べ物を困窮家庭に提供したフードシェア会。

水島こども食堂ミソラ♪の公式LINEに登録している個人の人々に呼びかけ、月に1回必要な人に受け取りにきてもらっていました。

この取り組みは、2023年5月まで約3年間続きました。

写真提供:ハルハウス 「 ハルハウス」でのフードシェア会

フードシェアカー

緊急事態宣言が発令され、人が集まること自体許されない状況のなか、困りごとを抱えた家庭は増え続ける一方。

この状況をなんとかしたいと考えた井上さんは、物資を自家用車に積んで持っていく「フードシェアカー」での支援を始めました。

みんなのお家 ハルハウス

2020年11月、井上さんが「フードシェアカー」で困窮家庭の支援をしていたときに、いつでも誰でも立ちよれる居場所が必要だと考え始め、2021年1月に現在の「みんなのお家 ハルハウス」を開所。

困りごとの相談に乗ったりすることはもちろん、他の団体と連携した企画をおこなったり、高校生が考えるイベントを実現したり、人と人をつなぐ活動の拠点になっています。

「 ハルハウス」の室内

「ハルハウス」で、これまでおこなわれたイベントを一部紹介します。

みんなのお家 ハルハウスでおこなわれたイベントの数々

  • 芋煮会
  • ユースデイ
  • 夏休み宿題&ごはん会
  • ウサギ食堂 (ペアレント・サポートすてっぷ主催)
  • おかんのしゃべり場&まなび場
  • しえんしや食堂ヨゾラ☆
  • クリスマス会

井上さんの経歴

代表の井上さんは、倉敷市水島で生まれ育ちました。

井上さんが子どもだった頃、水島コンビナートの夜空が真っ赤に染まっていて怖かったと言います。

水島の町の雰囲気や公害の歴史が、この町の貧困や格差社会を作っているようで正直嫌だと思っていたこともあったそうです。

そんな想いを抱きながら、なぜ水島こども食堂ミソラ♪や「ハルハウス」を設立しようと思ったのか、井上さんにお話しを聞いてきました。

代表 井上正貴さんにインタビュー

コロナ禍のなか、目まぐるしく変わる時代に困っている人たちに手を差し伸べ、相談に乗っている井上正貴(いのうえ まさき)さん。

今までの活動やこれからの活動のお話を聞いてきました。

「ハルハウス」を立ち上げるまでの経緯

──こども食堂がきっかけで「ハルハウス」を立ち上げたそうですが、そのいきさつを教えてください。

井上(敬称略)──

地域の人々から、水島の地域にこども食堂を開設してはどうかとの提案があがりました。

当時困窮家庭の学習支援の仕事をしていた関係で私もその会議に出席し、こども食堂を立ち上げることになります。

「水島こども食堂ミソラ♪」と命名し、2017年1月から7月の間に準備をし、8月にプレオープンを迎え、その後約2年半の間 毎月開催していました。

当時はボランティアや地域の人々が集まり、みんなでご飯を作り、家庭の団欒(だんらん)のようなアットホームなこども食堂の活動をしていました。

そんななか、新型コロナウイルス感染症が蔓延し、みんなでご飯を食べるこども食堂の開催ができなくなったのです。

しかしコロナ禍によって、困窮家庭はさらに増え続けます。

そこで考えた末、「フードシェア会」に切り替えます。

米や野菜、冷蔵品など寄付いただいたものを小分けにして、必要な人に取りに来てもらっていました。

その直後、緊急事態宣言が発令され、人が集まること自体許されない状況になります。

コロナ禍で仕事もなくなり、家計がひっ迫する家庭からの連絡を受け、いてもたってもいられなくなり、車に食べ物を積んで走る「フードシェアカー」を始めました。

今でも月に1・2回は、緊急に食べ物が必要な家庭に持っていくことを継続しています。

コロナ禍当時はルートを組んで、1日に2・3か所回り、毎日のように自家用車を走らせていました。

写真提供:ハルハウス フードシェアカーのようす

SNSを使っての寄付や支援物資のお願い

──困窮する家庭に配る物資はどのように集めたのですか。

井上──

真備の災害(平成30年7月豪雨)のときにできたネットワークがありました。

これは災害の情報しか発信できないのですが、コロナ禍で今日食べるものもないという災害級に困っている家庭があることを伝え、支援物資のお願いを呼びかけさせてもらいました。

またあらゆるSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)を使って拡散したのです。

そのおかげでたくさんの物資が届き、困っている人たちに渡せました。

最近では、インターネット販売サービス(Amazonほしいものリスト)に必要な支援物資を載せています。

支援いただいた企業や個人のかたには、お礼の手紙を書いたり、電話をしたり、SNSに掲載したりと、感謝の気持ちを伝えています。

Amazonほしいものリスト

水島こども食堂ミソラ♪ほしいものリスト

「ハルハウス」開所の理由

──そこからどのように「ハルハウス」を開所しようと思ったのですか。

井上──

「フードシェアカー」では、支援先の人たちのプライバシーを守るため、近所のスーパーマーケットなどで待ち合わせをし、食べ物を渡し、そこで立ち話をしては相談に乗っていました。

200世帯以上に物資を配り、相談件数も50世帯以上ありました。

自家用車で支援物資を運ぶためには、食べ物などの物資をキープしておく場所が必要になります。

またスーパーマーケットの駐車場での立ち話では、なかなか深い話もできません。

コロナ禍もあり、月に1回50人を集めて食事をすることはできないが、毎日5人から10人の相談に乗ることができる場所が必要だと考え、物件探しを始めました。

そして、現在の「ハルハウス」となる一軒家を個人で借りたのです。

当時は自己負担で家賃を支払っていました。

まだ寄付の見通しがたっているわけではありませんが、現在はスタッフと相談し、家賃、ガス、水道、光熱費、通信費など寄付の中から捻出しています。

写真提供:ハルハウス フードシェア会時にハルハウスに届いた支援物資の数々

「ハルハウス」の名前の由来

──「ハルハウス」という名前は、どのように決めたのですか。

井上──

「ハルハウス」のハルには、奄美大島(あまみおおしま)の「瑠璃(るり)色の波」という意味も込めています。

実は私が、7・8年前に体調を崩し、仕事が出来ない状態のときがありました。

そんなとき近所の人から、知人が経営する奄美大島での仕事の手伝いに行ってみないかと誘われます。

そのときすでに家族はいましたが、思い切って奄美大島へ単身渡りました。

奄美大島は、海と空一面の風景が目の前いっぱいに広がり、おだやかな波と瑠璃色をした海が私を迎え入れてくれました。

その景色にふれ毎日を過ごしていると、私の心も体も癒されていったのです。

もうひとつの理由は、シカゴに社会福祉の母と呼ばれるジェーン・アダムスが設立した慈善施設「ハルハウス」という施設名だったことです。

これは運命だと思い、「ハルハウス」と命名しました。

代表の井上正貴さん(左) 奥様の井上倫子(いのうえ みちこ)さん(右)

井上さんが支援を続けている理由

──井上さんの原動力はどこからきているのでしょうか。

井上──

私の父親が、ぜん息の子どもたちの健康回復のための施設「あおぞら学園」の指導員として働いていたこともあるからか、困っている人を見ると自然に体が動いてしまうのです。

あおぞら学園とは

あおぞら学園は、病院の近くで、ぜん息児が集団生活する施設です。医師、看護師、保育士等も含めた集団でぜん息児や家族の援助を行いました。1978年に開設され、1989年に閉鎖されるまでのべ50人の患者を受け入れています。

しかし思春期のころは、歴史的な背景や、貧困の差などを目の当たりに見てきて、水島という町が不幸を作っていると感じていました。

けれども、町のせいにしてなにも行動しないか、少しでも変えようと努力していくのか。

私は人として成長し続けたいし、成長できない自分は嫌だと思ったのです。

嫌な状況を変えようと奮闘する自分が好きだし、その人生のほうが絶対幸せだと思っています。

結末をハッピーエンドにするために、どんな状況でも笑いに変えて乗り越えようと決めているのです。

井上さんの想い

──「ハルハウス」で活動をしていてどのようなことを感じますか。

井上──

コロナ禍のとき「フードシェア会」の開催は、「ハルハウス」の庭先でおこなっていました。

食料品や日用品など大量の支援物資を取りに来た人に渡すと、こんなにたくさんもらえるのかとびっくりしながらもだんだんと心を開いてくれるようになるのです。

何回か会っているうちに関係性ができ、悩みをポロっと話してくれ、必要な機関につないだこともあります。

またいつも支援される側だった人が、支援物資を持ってきてくれたこともありました。

今までは、自分のことだけで精いっぱいだった人に心の変化が現れ、逆に助ける側に回ってくれるのです。

私は支援活動をおこないながら、日々感動しています。

困難な家庭の支援でも基本的に発見の連続で、私も一緒に成長できているのです。

相談に訪れる人をどうサポートすればいいか、当事者の気持ちを尊重しながら、解決策を一緒に考えています。

写真提供:ハルハウス ハルハウスでのフードシェア会のようす

これからの活動について

──これからどんな活動をおこなっていきたいですか。

井上──

食料支援などは、ほぼボランティアですので収入にはなりません。

「ハルハウス」を運営しながらできること、そして困窮家庭が無料で食べられる仕組みを考えたときに、チケット制を導入したカレー事業の考えが頭に浮かびました。

一般の人がカレーを購入して食べることはもちろんのこと、困っている誰かの為に善意の食事チケットを購入し、そのチケットを使えば、誰でも無料でカレーを食べられる仕組みです。

この新しい仕組みを地域に導入して、より良い社会のお手伝いができればと思っています。

現在カレー販売は、火曜日と金曜日のみですが、変更することもありますので、Instagramを確認していただき、DM(ダイレクトメッセージ)にてお問合せください。

テイクアウトもできますし、「ハルハウス」でも食べられます。(予約制)

ぜひ一度食べてみてください。

Instagram

ハルハウス/カレー事業部(curry)

「ハルハウス」のカレーを試食

筆者は、さっそく「ハルハウス」に行ってカレーを食べてみました。

井上さんは、以前にフランス料理店に勤めていたこともあるらしく、料理は本格的。

家で作っているカレーとはまるで違い、程よくスパイスがきいた優しい味のカレーでした。

話を聞くと、あめ色に炒めた玉ねぎとトマトを半分、ミキサーを使って絶妙な舌触りにしているとか。

おかずもたっぷりのっていて、大満足なカレーランチでした。

一皿800円で販売 テイクアウトは容器代+100円 ※売り上げの一部は、こども食堂やハルハウスを通じて支援活動に使われます。

おわりに

井上さんは、常に子どもたちや弱者のことを一番に考えて行動していました。

カレーの事業部を立ち上げるときも、給食以外での食事を取れない子どもたちに食べてもらうためにはどういう形態で販売したらよいか、また地域の人たちにも協力してもらうにはどうすべきか。

みんなにとってベストな方法を絶えず思案していました。

いつも真剣に相手のことを考え、親身に接する井上さんだからこそ、地域の人たちもサポートしてくれ、困っている人たちも心を開くのでしょう。

子ども食堂をきっかけに誕生した「ハルハウス」は、大勢の人は集まれないけれど、水島地域で生活する人々の心の拠り所になっていると感じました。

『私たちの活動は、普通のこども食堂とは違うかもしれません。

「ハルハウス」はこども食堂を進化させた仕組みで、このような施設が地域に複数存在することが理想です』

と井上さんは言います。

井上さんの地域に浸透するための活動はこれからも続いていくでしょう。

筆者はこれから先も、井上さんの作る美味しいカレーを食べにいこうと思いました。

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