JR北海道の「札沼線」(学園都市線)で、非電化ローカル線時代の記憶をたどりながら全駅で下車する旅

 【汐留鉄道倶楽部】JR北海道の「札沼線」は、札幌(正式には一駅先の桑園)と北海道医療大学間を結ぶ通勤・通学路線だ。その名の通り、1935年には留萌本線の石狩沼田まで全通したが、72年には石狩沼田―新十津川間34・9キロ、2020年には新十津川―北海道医療大学間47・6キロが廃止された。“生き残った”28・9キロは2012年6月に電化されている。

昭和の面影を残す篠路駅と、札沼線の電化に合わせて登場した733系電車。この駅舎には、やはり国鉄時代の気動車の方が似合う

 ちょうど40年前に故郷を離れた筆者の記憶にある札沼線は、キハ21やキハ40といった当時のありふれた気動車が走り、これといった撮影ポイントもなく、撮り鉄目線では魅力に乏しいローカル線だった。今の札沼線の路線図を見ると、短くなったと感じる以上に、知らない駅が多いことに驚いてしまう。なじみがあるのは札幌、桑園のほかは新琴似と篠路だけ。それ以外の11駅のうち、太美と当別は石狩太美、石狩当別が名称変更したものだと分かるが、残る9駅は「?」。大学名が付いた2駅に、チョコレートに関係がありそうな駅もある。

 新型コロナウイルス感染症が5類に移行し、久しぶりに札幌に帰省した。その折に、「学園都市線」の愛称の方がしっくりくる現在の札沼線で、非電化ローカル線時代の記憶をたどりながら「全駅下車」の旅をしてみた。

真新しいロイズタウン駅と、横浜市の会社が実証実験中だった自動運転EVバス。これは色合いもぴったりの組み合わせ

 前置きが長くなってしまったが、札幌発7時41分の列車で出発。函館本線の北側の別線を、ゆっくり走ってもすぐに桑園着。近くにはJRAの札幌競馬場がある。ぼんやりと覚えているこぢんまりした駅とは違う、堂々たる高架駅だった。

 桑園を出ると線路は函館本線と別れ、単線高架のまま右にカーブして八軒へ。1988年開業、96年6月に高架化された駅で初めて下車した。線路沿いの小学校へ、ランドセルを背負った子どもたちが登校する様子が見られた。

 八軒から、7駅先のあいの里教育大までは複線となる。次の新川も未知の駅だが、八軒と同じような住宅地の高架駅だった。北海道らしいフラットな屋根の家々を車窓に見ながら、新琴似に到着。手元には1976(昭和51)年5月11日の同駅の入場券がある。中学生になったばかりのころだが、なぜか切符(もちろん硬券)は右側が斜めに切り落とされた、子供用のもの。少ない小遣いで、「子ども10円」の切符を記念に買ったのだろう。ロータリーのある広々とした駅前広場から大きな駅舎を眺めても、当時のことは何も思い出さなかった。

 新琴似を出るとレールは地上に降りて太平着。その次の百合が原ともども、86年に臨時乗降場として誕生し、国鉄がJRになった87年4月に駅に昇格した。両駅とも跨線橋のある相対式ホームに、小さな駅舎がついていた。駅の周辺を散策すると、あらかじめ雪を積み上げるスペースを確保した広い車道に広い歩道、戸建て住宅の灯油タンク、シャッター付き車庫、そして昭和50年代から普及した、玄関をガラスで覆う「玄関フード」。“寒冷地仕様”の住宅地の光景は、初めて来たのにものすごく懐かしかった。

駅名は「とうべつ」に変わったが、44年前に寄贈された銘板はそのまま。「石狩」を冠した鉄道駅は、皮肉なことに、51年前まで札沼線の終着駅でもあった留萌本線の「石狩沼田」(沼田町)だけになった

 次の篠路で、ようやく「記憶の中の札沼線」に巡り合った。昭和レトロ感あふれる駅舎は、開業当時のものかどうかは分からないが、見覚えがある。昔の北海道の駅はどこもこんな感じだった気がする。76年5月23日の入場券が残っている。こちらは切符の中央に赤い「小」の字があり、はっきり「小児10円」と書いてあった。

 簡素な駅舎に自動改札機は場違いな印象だったが、チェーンを引いて頭上のタンクから水を流すトイレを久しぶりに見た。このあたりにも再開発、高架化の計画があるといい、昔ながらの駅舎がいつまで生きながらえるかどうか。

 次の拓北も知らない駅と思ったら、67年12月に「東篠路」として開業、95年3月に現駅名に改称していた。駅舎も外壁がレンガ調のシンプルな造り。篠路が「昭和」の北海道の駅のスタンダードなら、拓北はその「平成版」か。駅前には北海道ではおなじみのコンビニ「セイコーマート」があった。

北海道医療大学駅の少し先で見つけた廃線跡。切断されたレールの断面が痛々しい

 その先は「あいの里」の地名が付いた駅が続く。まずはあいの里教育大。駅から徒歩20分のところにある北海道教育大学札幌校が駅名の由来だ。同校はこの駅が開業(86年11月)した翌春に現在地に移転、もともとの最寄り駅だった札幌市電の「教育大学前」は、その後大学跡地に中央図書館が移転したことで「中央図書館前」になっている。駅舎は正面の三角屋根と大時計が誇らしげで、駅前の花壇のラベンダーが北海道らしい雰囲気を醸しだしていた。ここから先、沿線は郊外の住宅地から田園風景に変わってゆく。

 次のあいの里公園も、改名歴のある駅だった。アイヌ語に由来する「釜谷臼(かまやうす)」(58年開業)がオリジナルの駅名。現在の駅は、あいの里教育大駅の開業に伴って東に360メートル移転した場所にあり、95年3月から近くの公園にちなんで今の名称になった。駅舎は赤レンガに丸いドーム屋根があるユニークなスタイル。ここまでが札幌市内の駅だ。

札沼線(学園都市線)の路線図

 当別町に入って最初の駅、ロイズタウンは、北海道みやげの定番の一つ「ロイズ」のチョコレート工場の最寄り駅として、2022年3月に開業した。大きな窓が並ぶ駅舎は、外壁が青と白に塗り分けられ、内装には当別町の木である白樺を使用しているという。体験、見学施設やショップを併設した工場には駅から歩いても行けるが、無料のシャトルバスが運行しており、訪問時には自動運転バスの実証実験が行われていた。

 いよいよ旅も大詰め。札沼線の開業時からある次の太美とその次の当別は、ロイズタウン駅の設置と同じタイミングで駅名から旧国名の「石狩」が外れた。隣接する石狩市の駅と誤認されないよう、当別町が要望していたそうだ。前回2010年の訪問時にホーム側の壁に掛かっていた「いしかりふとみ」「いしかりとうべつ」の銘板は、駅名が変わっても健在だった。当別町はスウェーデンと交流があることから、太美駅の駅舎は正面に時計台を配した北欧風の建物。当別駅は町の中心駅にふさわしく、2面3線に側線もある立派な橋上駅だった。

 札幌駅を出発してから、1時間に3本程度はある列車を乗り継ぎ、一駅一駅下車しながらほぼ7時間かけて終点の北海道医療大学に到着した。1982年に仮乗降場から駅に昇格(駅名は95年3月まで大学前)、2020年5月に札沼線の終着駅となったこの駅は、変則的な2面2線の構造。新十津川方向に向かう線路には1番ホーム、行き止まりの線路には2番ホームがある。1番ホームの少し先には車止めが設置されているが、その先の廃線区間にも線路が延びていた。

 駅と大学の間の道路を新十津川方向に少し歩くと、線路を横切る場所に出た。警報器と遮断機があったかは定かではないが、道路上の線路は跡形もなく撤去されていた。道路の両側に残ったさび付いた線路は、組み合わせた鉄パイプでものものしくガードされていた。「立入禁止 JR北海道」の看板が、廃線の現実を物語っていた。

  ☆共同通信・藤戸浩一 札沼線の列車が発着する札幌駅11番ホームは、北海道新幹線の札幌延伸に向けた駅構内の改修工事に伴い、廃止となった1番ホームに代わって昨年10月に新設された。駅の周辺ではさまざまな関連工事も始まっており、延伸開業は2030年度の予定となっている。

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