チームの垣根をこえて宮市亮が愛され続ける理由。大ケガ乗り越え掴んだ「一日一日に感謝するマインド」

三度の前十字靭帯断裂を乗り越え、横浜F・マリノスの宮市亮がピッチで輝きを増している。8月19日のFC東京戦では、過酷なリハビリを支えた盟友・仲川輝人と試合前に熱いハグをかわす一幕も。プレミアリーグの名門アーセナルから4つの欧州クラブへの期限付き移籍と武者修行、度重なるケガとリハビリを経て、ピッチに立ち続ける30歳の宮市を支えるモットーとは? チームの垣根を越えて、背番号「23」が愛される理由に迫った。

(文=藤江直人、写真=YUTAKA/アフロスポーツ)

キックオフ前に交わした熱いハグ

運命に導かれた再会、と言えば大げさかもしれない。それでも、相手の先発メンバーを見た横浜F・マリノスのFW宮市亮は驚き、そして“ある行動”を取ろうと心に決めた。

ホームの日産スタジアムにFC東京を迎えた8月19日のJ1リーグ第24節。累積警告で出場停止処分を科されたFWエウベルに代わり、右膝の大ケガから復帰後で初めて先発に指名された宮市は、FC東京の先発陣のなかに「仲川輝人」を見つけた。

左膝を痛めて4試合の欠場を余儀なくされていた仲川は、67分から投入された京都サンガF.C.との前節で復帰。マリノス戦で6試合ぶりに先発に名を連ねていた。

しかも、他のFC東京の攻撃陣の顔ぶれを見た宮市の脳裏には「多分、そうなるだろうな」とひらめくものもあった。仲川のポジションは間違いなく右ウイング。そして、エウベルに代わって左ウイングに入る自身の対面でキックオフ直前に最も接近する。

実際にピッチに入場し、両チームの選手たちがポジションについた。キックオフを告げる笛を、飯田淳平主審が鳴り響かせようとしていた直前。宮市は意を決したようにハーフウェイラインを越えて、小走りでFC東京陣内に侵入していった。

宮市が目指したのは、予想通り対面に来た仲川のもとだった。右手と右手をタッチさせ、熱いハグをかわす。時間にしてほんの数秒。見逃しかねない場面でかわした言葉を、宮市は照れくさそうに「いや、頑張ろうね、という話を……」とだけ明かした。

代わりに語ってくれたのは、敵チームの一員で日産スタジアムに凱旋した仲川だった。 「すぐに主審の笛が鳴っちゃったので、そんなにしゃべれなかったですけど。膝の状態や体の状態はどうなの、みたいな話をしました。ポジション的にそう(対面に)なるし、亮との関係性もあるし、同じ境遇でもあるので。お互いに膝をケガしたし、同い年というのもあって、そういった意味で亮の方から来たというか。そんな感じですね」

過酷なリハビリを乗り越えて深まった絆と引き継がれた背番号

宮市はこのオフに背番号を「17」から「23」に変えた。昨シーズンまでマリノスでプレーし、15年ぶり4度目のリーグ戦制覇を達成した2019シーズンには得点王とベストイレブン、最優秀選手賞を受賞した仲川の象徴となっていた背番号だ。

たっての希望で背番号を変えた理由を、宮市は自身のインスタグラムで、仲川のアカウントを引用しながら「背負ってきた想いを今年から自分が引き継いでいきます!」と説明した。

昨シーズンのリーグ優勝にも貢献した仲川だったが、19シーズンと比べて先発は33試合から15試合へ、プレー時間も2796分から1472分へ大きく減少。出場機会を求めてFC東京へ完全移籍した。

一方で仲川はひとたびピッチを離れれば約10年ぶりに復帰した日本代表の一員として臨んだ、昨年7月の韓国代表戦で右膝の前十字靱帯を断裂する大ケガを負い、長期離脱と過酷なリハビリを強いられた同じ92年生まれの宮市を励まし続けた。

仲川も専修大4年時に右膝の前十字靱帯と内側側副靱帯を断裂する大ケガを負っている。戦列に復帰できたのはマリノス加入後の15年9月。ゆえに仲川は宮市に対して「同じ境遇」と言及した。

背番号変更を告げた宮市のインスタグラムへ、真っ先にコメントを寄せたのも仲川だった。

「頼んだぜ相棒」

短い文面から2人の絆の強さが伝わってくる。宮市も約10カ月のリハビリを経て、リーグ戦で復帰を果たした5月28日のアビスパ福岡戦後にこう語っていた。

「仲川選手にはケガをしたときからすごく支えてもらいましたし、彼から引き継いだ番号を背負って、彼のいるFC東京と対戦できるのが本当に楽しみです」

6月3日に敵地・味の素スタジアムでFC東京とのリーグ戦が待っていた。早くも訪れる盟友との再会へ向けた抱負だったが、先発した仲川に対して宮市は途中出場。2人がピッチ上で共有した時間はわずか3分で、試合中とあって言葉をかわす時間も余裕もなかった。 だからこそ、ともに先発した8月19日は千載一遇のチャンスだった。しかも、チャンスはキックオフ直前の一瞬しかない。仲川への感謝の思いが宮市を突き動かしていた。

3度の前十字靱帯断裂を乗り越えて。「また這い上がっていこうと思います」

宮市が右膝の前十字靱帯を断裂したのは昨夏が2度目。ブンデスリーガ2部のザンクトパウリへ加入した直後の15年7月に初めて左膝の前十字靭帯を断裂し、17年6月に右膝を負傷した。過去2度はともに復帰まで10カ月近くもの時間を要した。3度目の昨夏は心が折れかけた。

「受傷直後『やってしまった』と同時に『もう現役を終えよう』と思っていました。自分の職業はプロサッカー選手、プロアスリートです。これまでのケガ歴、稼働率、本当にプロアスリートとして褒められたものではありません。チームを離脱する期間も長く、その都度チームに迷惑も沢山かけてきました。多くの人を失望もさせました。だから辞めようと思いました」

一時は「引退」の二文字が脳裏をかすめたと、宮市は自身のインスタグラムで明かした。しかし、SNS上であふれ返っていたファン・サポーター、サッカー界の先輩や日本代表の同志、そしてマリノスのチームメイトからの熱いエールで翻意したとインスタグラム上で綴っている。

「心から嬉しかった。多分自分は、やっぱりサッカーがやりたいんだなと、そのとき思い知らされました。サッカーが大好きだと。だからまた這いあがっていこうと思います。(中略)ラストチャンスと思って、そういう覚悟で頑張りたい。(中略)この涙が喜びに変わる日が来るよう頑張りたいと思います!」

以来、仲川との一件に象徴されるように、宮市は周囲へ捧げる感謝の思いを前へ進む力に変えてきた。同時にポジティブな思考回路を常にフル稼働させる。例えばマリノスのケヴィン・マスカット監督は、リハビリへ向けて宮市と話し合った際のエピソードを明かしている。

「話し始めて2、3分が経ったときに、彼は自分のことではなくチームのことを気にかけ始めていた。あれだけの大ケガを負い、悔しい思いをしているにもかかわらず、彼は『ピッチに立つことはできないけど、ピッチの外で最大限、クラブに貢献していきたい』と言ってくれたんだ」

野心が焦りにつながったアーセナル時代。地道なリハビリで「一日一日に感謝するマインド」に

周囲が宮市へ力を与えたように、宮市のひたむきな姿勢もまた周囲を動かした。例えば首位を走るマリノスのなかで生まれた合言葉。それは「勝ち続けて優勝して、亮にシャーレを掲げさせよう」であり、3年ぶり5度目のJ1制覇を果たしたヴィッセル神戸との最終節で具現化する。

敵地・ノエビアスタジアム神戸のピッチ上で行われた優勝セレモニー。キャプテンの喜田拓也に続き、チームの総意で優勝シャーレを掲げたのは応援に訪れていたリハビリ中の宮市だった。

30歳の誕生日を目前に控えていた宮市は恐縮し、さらに「最近はなぜか涙腺がもろくなって」と照れ笑いを浮かべながら、人生初の経験を振り返っている。

「今シーズンを戦ってきた重みや優勝という重みもあり、シャーレは想像以上に重たかった。僕なんかが2番目に掲げさせてもらって、本当におこがましいぐらいなんですけど」

オフの間も地道なリハビリに取り組んできた宮市を支えてきたモットーがある。右膝の前十字靱帯を初めて断裂した、ザンクトパウリ時代の17年6月から抱き続けてきたものだ。

「手術の前に医師から『最悪、引退しなければいけないかもしれない』と言われました。プロ選手としてプレーできる、というのは当たり前じゃないと身を持って体験してから、毎日に感謝できるようなりました。試合に出られなくても、サッカー選手でいられるだけで幸せなんだ、と」

愛知・中京大中京高から11年1月に、プレミアリーグの名門アーセナルへ加入。4つのクラブへの期限付き移籍を繰り返し、武者修行を積んだ若かりし頃の胸中を「アーセナルでトップに上り詰めたい、という焦りもありました」と明かす宮市は、その後の心境の変化をこう語る。

「いろいろな経験をしたおかげであまり先を見なくなったというか、目の前の一日一日に感謝するマインドになりました。野心を抱きすぎていた十代の頃を振り返れば、自分はメンタルコントロールの部分で気負いすぎるとうまくいかない。5年後、10年後にはこうなっていたいとよく考えていたのが、いまは次のトレーニングや試合を、より現実的に考えるようになりました。何よりも大事なのはチームのために何ができるか。試合に出る、出ないに関係なく、チームのために自分ができることに最大限集中する。そうすれば、自ずといろいろな結果がついてくると」

復帰戦で掴んだ自信。「プロを続けてきて良かった」

リーグ戦で復帰を果たした前出の福岡戦の終了間際には、思わず背筋を凍らせる場面があった。

こぼれ球を78分から途中出場していた宮市が必死に追いかける。福岡のDF三國ケネディエブスも懸命にカバーに戻り、最後はこん身のスライディングタックルでボールを弾き出した。

次の瞬間、勢い余って宮市の両足をも激しく刈ってしまった。しかし、主審の笛は鳴らない。吹き飛ばされ、ピッチ上に転がされた宮市の姿にマスカット監督が我を忘れて激怒。ペットボトルを投げつけた行為に対してイエローカードが提示された。

宮市の復帰を間近で見守ってきたマスカット監督は、またもやケガをしてしまったのではないかと案じていた。一転して試合後の会見で、指揮官は笑顔を浮かべている。

「宮市の自信になったと思われるプレーだった。あれだけ激しいタックルを受けながら、すぐに立ち上がってプレーを続けた。喜びをかみしめながらプレーしている彼の姿が本当に嬉しい」

以心伝心というべきか。福岡戦後の宮市も「自信」の二文字を口にしている。

「自分を試すというか、僕としては行きたかったし、行けるという感覚もあった。公式戦の舞台で、あのようなシーンで恐怖心を抱かずに飛び込んでいけたのは、ひとつの自信になりました」

福岡戦でも昨夏に受傷した韓国戦でも、味方からのパスを必死に追いかけた。最も大事なのは目の前の試合であり目の前のワンシーン。モットーを実践した宮市は、日産スタジアムのスタンドで無数に揺れた、新たな背番号「23」が記されたユニフォームが力になったと感謝している。

「僕を待っていてくれた、という思いがすごく伝わってきました。プロを続けてきてよかった、という思いと、そういう人たちがいなかったら現役を続ける選択肢もなかったとあらためて思いました」

ゲームチェンジャーから先発へ。連覇をかけて挑む残り8試合

福岡戦以降の宮市はリーグ戦で、後半途中からの出場が続いた。投入されたときの状況は1点差でリードしている試合が2、同点の試合が4、追う展開が1を数えた。そして、接戦だった7試合の最終的なマリノスの試合結果は4勝2分け1敗となっている。宮市が言う。

「後半の途中からプレーする場合は、どの試合でも流れを変える、という役割が求められる。だからこそゴールに絡む最後の質という部分をもっと、もっと上げていきたい」

コロナ禍で「3」から「5」に拡大された交代枠が継続されているなかで、マリノスでは後半に投入される選手をゲームチェンジャーと呼ぶ。昨シーズンは仲川が担った役割を引き継いだ宮市は、1点を追っていた6月10日の柏レイソル戦の97分に、復帰後初ゴールでチームを逆転勝ちに導いている。

一転して出場停止やケガ人などの事情もあり、FC東京戦からは3試合連続で先発している。

「めちゃくちゃ疲れましたし、恥ずかしながらスタミナ切れです。約10カ月というブランクを埋めていくのは簡単ではないと感じていますし、途中出場で入るときとまた感覚も違う。焦りと焦らない、という間での駆け引きというか、そこのせめぎ合いで頑張っています」

FC東京戦後に先発とゲームチェンジャーの違いに言及した宮市はさらにこう続けた。

「どんな立ち位置にいてもチームのために、という思いが自分のなかにある。個人のパフォーマンスはどうでもいいというか、与えられた役割のなかで勝ち点3を取ることに貢献していきたい」

途中出場で32分が最長だったプレー時間が、先発した3試合で64分、63分、67分で推移している。しかし、FC東京戦こそ勝利したものの、続く横浜FC戦と柏戦で今シーズン初の連敗を喫したマリノスは、首位の座を神戸に明け渡してしまった。

残り8試合。そのなかには神戸を日産スタジアムに迎える今月29日の天王山も含まれる。今度は自分もプレーしたピッチの上でシャーレを掲げるために。チームの垣根を越えてサッカーファンから愛される宮市は、ひたむきで献身的なオーラを全開にしながら、連覇をかけた正念場の戦いに挑む。

<了>

「宮市亮は必ず成功する」“サッカーと音楽”の共通点から見る日本のガラパゴスと可能性

鈴木彩艶が挑み続ける西川周作の背中。「いつかは必ず越えたい」16歳差の守護神が育んだライバル関係と絆

マリノス優勝を「必然」にした改革5年間の知られざる真実 シティ・フットボール・グループ利重孝夫の独白

なぜ湘南ベルマーレはJ1で生き残れるのか? 今季の降格枠は「1」。正念場迎えた残留争いの行方

今季浦和レッズが上位に食い込めている理由とは? 堅守確立も決めきれない攻撃陣に中島翔哉は何をもたらすのか

© 株式会社 REAL SPORTS