永源寺の山々と愛知川に囲まれた小さな集落に、ぽつんと飯屋がある。
一見、飲食店とは気がつかないような古民家であり、そもそも地元の人しか通らないような細い路地に佇んでいるだけあって、まさに秘境のようなお店。
それが【飯屋 ゐ処】である。
『日常でよろしい』
そんな謳い文句とともに、ランチは週替わり一品のみを提供する。
しかも、料理のイメージは、賄い飯。
非日常を味わえる”イマドキ”な料理や空間は、そこにはない。
日常が楽しくあればいうことなし。それぞれの日常のその一部として、ふらっと気楽にみなが行き交う場所に。
そんな思いを込めて、2022年10月1日にオープンした。
店を営むのは、「山好き」という共通点を持つ若い夫婦。永源寺出身の旦那様と東京出身の奥様の若いご夫婦で、主に奥様がお店を切り盛りしている。
彼女の経歴は異色だ。高校で美術を学んだのち、アウトドアを学ぶ専門学校へ進学。新潟の山の中で学び、その後、山小屋に就職。そこで賄い飯を作っていたのが料理と出会うきっかけとなった。それから無人島料理人などを経て、ここ永源寺へ。
そして、この古民家との出会いが彼女のキャリアを大きく転換させた。
東京を出て各地の自然の中で転々と暮らす20代を過ごし、彼女にはたくさんの”居所”ができた。そこは、行きたい時に行き、出たくなったら気兼ねなく出ていける、そんなふらりと立ち寄れる、でも確かに自分がそこにいていい場所だった。
自分でもそんな”居所”を作りたい、その想いで【飯屋 ゐ処】の空間を作り上げた。
店内は、7席のカウンター席と図書室、古もの屋があり、食事はカウンターで、食後のドリンクは広い畳敷の図書室でゆっくりとくつろげる。
庭にふらりと出るもよし(放し飼いの鶏たちがいる)、本を読んで過ごすもよし、ぼーっとするもよし、古ものを物色するもよし…。(値段がついていないものは店主にじゃんけんで勝つと100円で購入できるそう)
食事を楽しみにくる人だけでなく、のんびりお茶しにくる人、本を読みにくる人、古道具を買いにくる人、ただおしゃべりしにくる人…いろんな人がいろんな用途でふらりと集まってくる。
ここが近所なら、日常の延長にこんなワンシーンが広がっているのだろう。
今回、筆者は【飯屋 ゐ処】の賄い飯を求め、車で1時間以上かけてお店へ向かった。
メニューはたった一品。選択の余地のない賄い定食になぜこれほど惹かれているのかは自分でもわからなかった。
お店は想像以上に山の中にあり、田舎のおばあちゃんちを彷彿させた。
築300年の趣は、それだけで心が躍った。
ガラガラと網の引き戸を開けると、屈託ない柔らかな笑顔で店主は迎えてくれた。
彼女は終始、控えめで柔らかで、自然体という言葉がとても似合っていた。
今日の定食は『燻製鯖茶漬け』。
自家製燻製鯖、永源寺産の梅干し、温玉、昆布、モロヘイヤ、れんこん、海苔、桜海老、おかき、あられ、わさびがトッピングされ、貝と昆布出汁が効いた政所茶でサラリといただく。
丼いっぱいのお茶漬けはなかなかの迫力だ。
燻製鯖の香ばしい香りが上品に漂う中、お出汁の効いた政所茶を一口。
たまらなくうまい。
鯖は、食べるとさらに香りが広がり、あまりの美味しさにスプーンが止まらない。
梅と一緒に、卵と一緒に、モロヘイヤと、おかきと、桜海老と…いろんな食感や味を楽しめ、一杯の満足度が計り知れない。夏の疲れを癒せるような、ホッと一息つける優しい一品ではあるものの、ボリュームは満点だ。
箸休めの『ゴーヤのわさび漬け』もさっぱりうまい。なかなかパンチも効いていて、夏バテも解消できそうなほど。
セットのドリンクは数種類から選べ、プラス300円でクリームソーダも選べる。
一番人気の豆乳梅ラッシーと季節のデザートを注文した。
「50回かき混ぜて飲んでください」
大きなグラスに注がれた真っ白なドリンクが目の前に置かれた。
ぐるぐると混ぜる時間も楽しい。
自家製の梅シロップと混ざった豆乳は、爽やかで意外とぐびぐびと飲めてしまう。
ごろりと存在感ある梅の果肉もアクセントになっていて、飲みやすさ倍増。
これはハマる。
デザートは『ラム酒とライムが香る、キャラメルプリン』。
ラム酒を効かせたキャラメルプリンの上に、永源寺産の梨を使用したシャリっと梨ミルク。
そこへ更に、ライム果汁、藻塩、ブラックペッパー、ココナッツをふりかけて…
徐々に秋が混じる風に合わせて、爽やかさがありつつも、まったりなデザートです。
…これはどこを切り取っても美味しいに違いない。けれど、味の想像がつかない。
そしてその予想通り、間違いなく美味しいのに、味はどこを食べても初めて味わうような味だった。
爽やかで、まったり濃厚で、パンチもあるのに優しい。一口一口に違った楽しさや美味しさを感じる。
シンプルなようで複雑な、穏やかなようでパワフルな…。
ゐ処の料理は、どれも相反する食材たちが自由に躍っているようなものばかりだなぁと感じた。
それでもみな慎ましく、一杯を美味しく彩ろうと同じ方向を見てそこにいる。
清淑で天真爛漫なゐ処の料理は、店主の人柄や辿ってきた軌跡に通ずるのかもしれない。
食後のドリンクとデザートを平らげ、図書室や古もの屋を物色しながらのんびりと過ごしていると、気づけば二時間も経っていた。
時空がここだけ歪んでいるかのようにゆっくりと時が流れていた。
店を出ると、うだるような暑さの中、蝉がじりじりと鳴いていた。
なんとなく、まだ違う世界にいるような感覚のまま帰路に着き、お土産の古ものを眺めては、良い処だったなぁと余韻に浸った。
店舗情報
[店名]飯屋 ゐ処
[住所]滋賀県東近江市永源寺相谷町 749
[定休日]月・火(臨時休業あり)
[営業時間]季節によって変動あり。詳しくはお店のInstagramをチェック
[支払方法]現金
[お店のSNS]Instagram