「この日のことは忘れられません」死刑囚の“精神的支え”教誨師が語る「執行の日」

仏教系の教誨師がもっとも多いという(※写真はイメージ Fast&Slow / PIXTA)

内閣府が2019年に実施した世論調査によれば、死刑制度について「やむを得ない」と回答した人は80.8%で、「廃止すべきである」の9.0%を大きく上回っています。

しかし、国民は「死刑」の詳細を、どのくらい知っているのでしょうか。死刑執行当日の拘置所に流れる異様な雰囲気、刑務官たちの重すぎる心的負担、死刑囚の心のケアを行う教誨師の苦悩…。

死刑執行に携わるさまざまな立場の人たちへのインタビューをもとに、いわば“ブラックボックス化”したまま継続されている「死刑制度」の実態に迫ります。

(#5に続く)

【#3】「お父さんは人を殺す仕事をしているの?」死刑執行に携わる刑務官の“知られざる苦悩”

※この記事は共同通信社編集委員兼論説委員の佐藤大介氏による書籍『ルポ 死刑 法務省がひた隠す極刑のリアル』(幻冬舎)より一部抜粋・構成しています。

刑場へと見送る教誨師の苦悩

確定死刑囚が執行の直前、接することのできる人のなかで、刑務官や立ち会いの検事でもない唯一の「民間人」が教誨師だ。

教誨師は、牧師や神父、僧侶などの宗教人で、それぞれの宗派の教えに基づき、刑務所や拘置所などの被収容者に対する心のケアを行う。全国教誨師連盟によると、全国には1820人の教誨師がおり、仏教系が1191人、キリスト教系が252人などとなっている(2020年1月現在)。

活動はボランティアが基本で、定期的に刑務所や拘置所に通い、集団または個別で教誨を行う。とりわけ、死の運命に直面している確定死刑囚は、教誨師を心の大きなよりどころにしていることが少なくない。

全国教誨師連盟は教誨の目的について、ホームページの中で次のように記している。

「教誨は自己の信ずる教義に則り、宗教心を伝え、被収容者の徳性を涵養(かんよう)するとともに、心情の安定を図り、被収容者には自己を洞察して健全な思想・意識・態度を身につけさせ、同時に遵法の精神を培(つちか)い、更生の契機を与える。もって、矯正の実をあげ、社会の安定に寄与することを目的とします」

教誨の大きな目的の一つは、受刑者の更生と社会復帰を手助けすることにある。だが、執行を待つ身の確定死刑囚にとって、「社会復帰」という言葉は心に虚しく響くだけだろう。

外部との接触を極端に制限され、国家によって合法的に殺される時がいつやってくるかも知れないという孤独と恐怖にさらされている確定死刑囚にとって、教誨師との語らいは貴重な癒しの時間でもある。同時に、確定死刑囚の心情の安定につながる場として、拘置所側も処遇上のプラスとなる機会としてとらえている。

一方で、教誨師にとって、すがるような気持ちで接してくる確定死刑囚と向き合うことが、相当な心的負担を生むことは想像に難くない。さらに、確定死刑囚を受け持つ教誨師にはもう一つ、重要な役割がある。それが、死刑執行の際に最後の教誨を施すことだ。

10年以上の経験がある教誨師の吉永秀樹さん(仮名)は、待ち合わせ場所に指定した喫茶店の一角に腰を据えてコーヒーを注文すると、カバンの中から1冊の手帳を取り出した。やや古ぼけた表紙を手にページをめくっていた吉永さんは、あるページでその手を止めた。

「この日のことは忘れられません」

1週間ごとに予定が書き込める手帳の中から、吉永さんが開いた「この日」の欄には、ボールペンでいくつかのスケジュールが書き込まれていた。

7時タクシー迎え
7時半拘置所着
7時45分拘置所長あいさつ

タクシーは正面ではなく裏門につけられ、人目を忍ぶように建物の中に入る。所長室に通されると、拘置所幹部らと型通りのあいさつを交わした後、やや強ばった表情の所長が口を開いた。

「今日、木田誠に刑が執行されます。最後に教誨をお願いします」

木田誠死刑囚(仮名)は、殺人罪などで死刑が確定し拘置所に収容されており、吉永さんは約3年間にわたって教誨師として交流を続けてきた。所長は慎重に「死刑」という単語を避けていたが、教誨を施してきた相手が間もなく絞首台に立たされる現実を突きつけられ、吉永さんは背中に冷たいものを感じながら「わかりました」と答えるのがやっとだった。

鉛のような空気に押しつぶされそうに

それなりの覚悟はあった。前日、拘置所の処遇担当部長から電話があり「明日朝、7時半に拘置所へ来てください」と告げられていたからだ。理由の説明はなかったが、処遇担当部長の普段とは打って変わった重苦しい口調から、死刑執行の知らせであることを直感した。

死刑執行に立ち会う経験はなかったが、確定死刑囚の教誨を担当していれば、いつかはその時が訪れるとは思っていた。交流のある数人の確定死刑囚の顔を思い浮かべながら、まんじりともせず夜を過ごした。

「なぜ木田さんなのか。理由は何ですか。殺す意味はどこにあるのですか。そう叫びたくもなりましたが、どうしようもありません。教誨師としての役割を果たすよう、自分に言い聞かせていました」

所長室の近くにある控え室で待っている間、この3年間に木田死刑囚と話したことを思い出しながら、目をつぶって考え込んでいた。刑の執行を目前にした死刑囚に、いったい何を語りかければいいのか。自分に何ができるのか。迎えの刑務官がドアをノックするまでの15分間ほどが、とてつもなく長く感じられた。

刑務官に導かれながら5分ほど歩くと、刑場の入り口に着いた。拘置所内をぐるぐると回るように歩いたせいか、場所がどこなのかよくわからなかったが、地下にいるように感じられた。いくつかのドアをくぐる間、それぞれに刑務官が緊張した面持ちで立っていた。この何分か後には、この道を木田死刑囚も歩くことになる。その時のことを想像すると、胸が締めつけられる思いだった。

刑場のドアを開けると、カーテンで仕切られた部屋があった。部屋の隅にはテーブルと椅子が置かれ、小さな祭壇が設けられており、拘置所長ら幹部のほか、警備の刑務官十数人がその周りを取り囲むように立っていた。

カーテンで隠された向こうには、天井から首をくくるロープが垂れ下がり、床には木田死刑囚が立たされる踏み板がある。幹部たちの脇に来るよう勧められたが、鉛のような空気に押しつぶされそうになり、その場にしゃがみ込みたい気持ちだった。

(第5回目に続く)

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