接客業や観光業で耳にする「一期一会」その先に

接客業や観光業では、よく「一期一会」ということばを耳にする。本日の出会いは生涯に二度とないものだと思い、お客様に誠意をもって交わることが肝要である、ということであり、茶道におけるお茶会についての心得からきている。それが現在は、人との出会いを大切にするという意味の一般的な言葉として用いられている。

お茶会についての心得からきてる一期一会とは

「一期一会」は、千利休の弟子だった山上宗二の著した『山上宗二記』の一節「路地ヘ入ルヨリ出ヅルマデ、一期ニ一度ノ会ノヤウニ、亭主ヲ敬(うやま)ヒ畏(かしこまる)ベシ」という箇所が初見とされている。

それを一期一会という四字熟語にしたのが、幕末の大老井伊直弼であり、著書『茶湯一会集』の冒頭で用いられている。井伊直弼は、安政の大獄や桜田門外の変で政治的には激動の時代を生きた大老であったが、宗観の茶名をもち茶道に通じ、幼いころから文武両道の修練を行い、禅も学んでいた。

その井伊の茶湯一会集では、無論、一期一会の気持ちは重要であるが、茶会が果てた後の亭主のありようとして、独座観念という心境がしめされている。「茶席が終わってお客様を姿が見えなくなるくらいまでゆっくり見送り、ばたばたと片づけを急いではいけない、さらに茶室に戻り独り本日のお茶会を反芻し、今日の一会が再びかえるものではないと思いをめぐらしたり、独りでお茶を点てたりするのが、一会極意のきまりである。

つまり一期一会は、そのあとの独座観念によるいわば悟りがなければ完結しないのである。

日々の暮らしに独座観念の時間を

宿泊サイトなどで評判の高い、一日一組限定の和風旅館京都の十宜屋のご主人も、日ごろの多忙にかまけて、独座観念の時間を持つ余裕がなくなり、先日改めてゆったり反芻したと書かれている。おもてなしが、時間を共にしている間の接客や歓待だけでなく、準備も含めてその前後の時間を、いわば相手を思う時間にすることにより、質がかわってくるというころなのだろう。

その意味は毎回の接客を反省するということではなく、タイミングや相手の状況、会話の内容や言葉遣いなどについて、思いをめぐらすことである。いつも同じような繰り返し、と感じていても一瞬一瞬が全く同じということはないはずで、ひとつひとつの出会いを尊いとかんがえ、じっくりと味わうという機会を持つこと、持てることが大切なのである。それによって、また次の新たな出会いについて心を整えることができるのである。毎日の独座観念の時間をもてるように、努力する必要があるだろう。

寄稿者 青木眞美(あおき・まみ)同志社大学名誉教授

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