汽水湖の小川原湖(青森県)、3千年前今の姿に 駒澤大など、堆積物をボーリング調査

早稲田地区で実施したボーリング調査=2017年5月(小野教授提供)

 小川原湖が現在の姿になったのは約3千年前(縄文時代後期-晩期)との研究結果を、駒澤大学の小野映介教授(地理学)らのグループが国際学会で発表した。青森県三沢市で実施した堆積物の調査などから、内湾だった小川原湖は、海との接続部分に砂が運ばれて徐々に狭まっていき、海水と淡水が混じる汽水湖になったとしている。

 小川原湖は、縄文時代に海面が上昇して海水が陸に入り込み、その後に後退した影響を受け、内湾が外海から切り離されていったと考えられている。

 一方で、現在の姿になるまでの具体的な変化は分かっておらず、グループは2017~22年、湖岸の3カ所でボーリングをして、地層や含まれている化石などを調べた。

 調査によると、小川原湖北岸(仏沼、早稲田地区)の地点において、約6500~6千年前の地層で干潟の状態だったことを示す堆積物が主体になり、干潟に生息する貝の化石も見つかった。砂の堆積は長年にわたって続き、地層に含まれる貝殻などの年代測定の結果から、3千年前ごろには砂の高まりである「浜堤」に発達して湾口部が閉じていったとみられる。

 また、南岸(姉沼)の調査地点では、海に生息する貝やケイ藻の化石が約6千年前の地層から見つかったことから、内湾だった小川原湖は、縄文時代の海面上昇に伴って姉沼まで拡大したとしている。

 小川原湖周辺には世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」を構成する二ツ森貝塚(七戸町)や、北海道・北東北最古級の貝塚が確認された野口貝塚と早稲田(1)貝塚(いずれも三沢市)など、縄文時代の貝塚が多く分布する。小野教授は取材に「縄文は世界の人に知られている。二ツ森貝塚をはじめ小川原湖周辺の自然環境が分かることは重要と評価されている」と話した。

 発表は7月にローマで開かれた国際第四紀学会で実施した。グループは今後、小川原湖の環境変遷と当時の人々の暮らしとの関わりなどについて詳細な検討を進め、論文として発表する。

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