世界幸福度ランキングのトップ10に並ぶ北欧の国々。
歴史や文化は違えど、“ウェルビーイング先進国”の社会を知ることは、日本でのウェルビーイングを考えるうえでヒントになるかもしれません。
そこで今回、デンマーク出身で、Synean(株)代表取締役/デザインディレクターのエスベン・グロンデルさんにお話を伺いました。
2004年に交換留学で初めて日本を訪れ、2015年から日本で暮らしているエスベンさん。インタビュー後半となる本記事では、マーケティング的な視点のウェルビーイングへの違和感やデジタルデトックスなどについて私見を展開します。
デンマークが日本から学ぶべきかもしれないこと
── 日本社会について「豊かだな」と思うこと、逆に「もっとこうなったら素敵なんじゃないか」と思うことを教えてください。
日本の伝統的な文化や暮らし方に、より良い暮らしのためのヒントがあると感じています。
デンマークの人は、デンマークの昔ながらの行事や祝日についての意味を知らない人が多くて、キリスト教由来のイースターやクリスマスくらいしかほとんどの人は思い浮かばないと思います。
一方の日本では、昔ながらの文化や、それを介しての繋がりを多くの人が大切にしている印象があります。先日も近所の方が小規模なお祭りをやっていて、お盆の季節にそういった行事をやろうと考えて行動する人たちが一定数いることに感動しました。
そういった文化との協調を次世代につなげていく試みは、デンマークが日本から学ぶべきことかもしれません。
私自身も、デンマークに戻った際には、この日本の文化との付き合い方を見習って周囲に広げたいなと思っています。
マーケティング的なウェルビーイングへの違和感
──「ウェルなわたし」では、多様なウェルビーイングを読者とともに考えることをコンセプトにしています。エスベンさんが考えるウェルビーイングとはどんなものでしょうか?
Hygge(ヒュッゲ)という言葉を聞いたことはありますか?広義の意味で「心地良い空間」や「楽しい時間」というニュアンスを持つ言葉です。
以前、あるデンマーク人の学者が「ヒュッゲとは不安がない状態ではないか」という提起していて、その解釈が個人的にウェルビーイング的でお腹に落ちるものでした。
日本のメディアではヒュッゲについて、「キャンドルを灯してお酒とおつまみでリラックスする夜」や「バスソルトで贅沢」などのマーケティング的なワードとして使われることが多い印象です。
もちろん、社会に経済は欠かせないのですが、本来のウェルビーイングの意味としては「不安がなくて、真に今を生きている状態」が中心にあるべきだと思うんです。
キャンドルやおつまみを楽しむことが心地良い体験になることは素敵ですが、物を入り口にウェルビーイングを目指すのは順番が逆なのではと違和感を抱きます。
── 確かに、ウェルビーイングが「状態」を指す言葉である以上、その効果が一時的で消費されてしまう「物」を中心に考えるのは、本質的ではないですね。
はい。「一時的」や「一過性」といのは大きなキーワードだと思います。極端な例を取るならば「TikTokをたくさん見ることがウェルビーイングに繋がるか」という話です。
その瞬間は楽しいけれど、長期的な気持ち良さではないので根本的な幸せとは違います。
目の前の世界や「今」に集中するマインドフルネスとも通じることですが、現代のSNS社会には、家族団欒や自然とのふれあいなど、根本的な楽しさを忘れさせてしまう側面もあるように思います。
SNS時代、現代人の“癖”とどう向き合う?
── 一過性の楽しさに時間を消費してしまう。個人的にも背筋が伸びるお話です。
スマホやパソコンなどの電子機器は暮らしに欠かせないものなので、とても難しいことですよね。
私が個人的に意識しているのは、子どもの前でスマホを見ないことです。今まではスマホでニュースを見たり本を読んだりしていましたが、今は週刊誌などのアナログ媒体で読むようにしています。
そうすると子どもも「お父さんは今、本を読んでいるんだ」と情報をキャッチできる。スマホだと何をしているか分かりませんから、子どもに自分がどういう生き方をしているのかを見せたいという気持ちもあります。
また、日常生活で街を歩いている時に音楽を聴かないようにしています。
自分も含めて周りを見ていて気付いたのは、ずっとイヤホンをつけて音楽を聴いている状態だと、同じ空間にいながら別の場所にいる、繋がりのない個人の集まりのようで寂しいということ。
インプットがないと落ち着かないということは、テクノロジーによる現代人の“癖”になっているように感じます。
一過性の喜びを消費するのではなく、目の前の世界を見る、楽しむ。それが私にとってのウェルビーイングの定義のひとつですね。
完
(ウェルなわたし/ 中村 梢)