バルセロナがこの30年間で最も苦戦したシーズンと言えば、2002-03。レアル・ソシエダとレアル・マドリーが優勝争いを繰り広げるなか、バルセロナはルイス・ファン・ハール監督の下で低迷した。
今回はその2002-03シーズンにバルセロナでプレーしていたクセの強かった選手を5名特集しよう。
ロベルト・ボナーノ
バルセロナ所属:2001~2003
国籍:アルゼンチン
ジャンルイージ・ブッフォンを獲得することを断念したバルセロナは、アルゼンチンからより経験ある選手を手にした。リーベル・プレートから2001年に加入したときにはすでに30歳で、即戦力として期待された。
しかしながら彼はスペインのサッカーに全く馴染むことができず、プレッシャーからかバルセロナでは大きなミスを連発してしまい、欧州では評価を落とすことになった。
このシーズンの途中にポジションを失い、そのままムルシアへと移籍。さらに2004年にはアラベスへと移ったが、お騒がせ会長として知られたドミトリー・ピーテルマンと衝突して出場低処分を受けるなど波乱の晩年を送った。
フィリップ・クリスタンヴァル
バルセロナ所属:2001~2003
国籍:フランス
1999年にモナコでキャリアをスタートしたクリスタンヴァル。その圧倒的な身体能力を武器に1999-2000シーズンの優勝に貢献し、UEFAチャンピオンズリーグでも活躍した。その実績を引っ提げて2001年に650万ポンドでバルセロナへと加入している。
幼少期からクリスタンヴァル自身が応援していたクラブに加入することになったが、技術的には非常に雑なところが多い選手だったために全くバルセロナに馴染めず。2年目には怪我もあってプレーもままならなくなり、評価されないまま2003年にフラムへ移籍した。
そしてフラムでもあまり活躍できず29歳で現役引退。その後はイギリスに不動産会社を立ち上げて実業家となっている。
ファビオ・ロッケンバック
バルセロナ所属:2001~2005
国籍:ブラジル
この時期のバルセロナで確固たる個性を持っていたロッケンバック。2001年にインテルナシオナウから1500万ユーロというかなりの額で獲得され、ジョゼップ・グアルディオラの後継者と期待された。
ただその評判とは全くスタイルが異なり、エネルギッシュな攻守への貢献とキャノン砲のようなシュートを持つ選手だった。バルセロナではクラブがあまりうまく行っていない時期だったこともあり、全く評価されなかった。
ただその後クアレスマとの交換でスポルティングへと貸し出されたときには復活を見せ、UEFAカップの決勝進出に大きく貢献している。
フェルナンド・ナバーロ
バルセロナ所属:2001~2006
国籍:スペイン
後期ルイス・ファン・ハール体制のバルセロナで「抜擢された選手」といえばフェルナンド・ナバーロにほかならない。下部組織出身の左サイドバックは、アトレティコに移籍したセルジ・バルファンの後継者と期待された。
ただチームが全く上手く行かなかったこともあって彼も批判を受ける立場になり、ファン・ハール解任後は膝の重傷に苦しむことになった。意外にバルセロナでは公式戦すべてを合わせても35試合しか出ていない。
その後マジョルカへの移籍で復活を遂げると、2008年にはセビージャへ。それから長くチームの中心選手として貢献し、スペイン代表にも招集されている。
フアン・ロマン・リケルメ
バルセロナ所属:2002~2003
国籍:アルゼンチン
フアン・パブロ・ソリンとも迷ったが、クセといえばリケルメの方が強いであろう。2002年にボカ・ジュニオルスから獲得された世界屈指の司令塔だったが、あまりにもそのスタイルはクラシカル過ぎてファン・ハール監督の戦術に全く合わなかった。
とてつもないテクニックとキープ、パスは素晴らしいものがあったが、ファン・ハールはクラブ主導で獲得された彼を冷遇し、途中出場も多かった。そのような使い方に慣れていないリケルメは調子を崩した。
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そしてロナウジーニョが加入した2003年、外国人枠を超過したことで彼はビジャレアルへと放出。そこで彼のクセが世界最高の水準に復活することになる。