車いすテニス・小田凱人の飛躍に近道なし! 熊田浩也コーチ「基本練習こそ成長を一番感じられる」

小田凱人が世界1位になれたのは、練習時間の半分以上を占める基本練習

今年6月の全仏オープンでグランドスラム初制覇を成し遂げると、7月のウィンブルドンも制した小田凱人(東海理化)。車いすテニスを始めてわずか7年で世界ランク1位に立ち、2024年のパリ・パラリンピックでも金メダルが期待される。今年最後のグランドスラムとなったUSオープンでは、残念ながら1回戦でグランドスラム単複22勝の大ベテラン、ステファン・ウデ(フランス)に敗れたが、コーチを務める熊田浩也氏はこの結果をどのように捉えるのか。また、昨年4月のプロ転向からどのような練習をこなし、世界トップまで上り詰めたのか聞いた。

――はじめに今大会の小田選手のシングルスの試合について振り返っていただけますでしょうか。

スコア的にはあっさり(1-6、1-6)したものですが、(小田)凱人がやろうとしていたことが今回できなかっただけで、当然負けは悔しいのですが、この負けがあったから落ち込むということではありません。勝負の世界なので負けることはあります。本人は引きずる部分はありましたけど、ダブルスも切り替えて凱人らしいテニスができている。

――さらに進化するべくトライしていることがあるのでしょうか?

しっかりと前に入って勝負していくというのが凱人のテニス。なので、それをやらずして敗退したのであれば反省すべきですが、やるべきことをやろうとしていたことを評価してそれが上手くできなくて負けにつながったので、そんな日もありますよね。

――ダブルスもレベルが変わってきたなという印象を受けました。全体的にすごくレベルが上がったように思います。

実際に私が、凱人のコーチとなりツアーを見始めたのは去年の4月からだったので、正直に言うとその以前の今のトップの選手たちのプレーをしっかり見たことがなかったんです。今の凱人のテニスが、私の車いすテニス、コーチングのスタートですので前のテニスとの比較はできません。ですが、以前は健常者の育成クラスを担当していました。凱人を指導する時に「車いすの操作は分からないけれど、自分が今まで健常者に教えてきた相手の時間を奪うこと、チャンスを作ってネットプレーでフィニッシュするなどの車いすテニスではない、強いテニスを教えていくよ」というところからスタートしました。

――健常者を教える時にはない迷いはありましたか?

この1年、彼を見ながら「こういうところは違うんだな」と私自身も勉強しつつ、反対に凱人の意見も参考にしています。「この時はこうした方がいい」と彼も言ってくれるので、それをアレンジして、2人で話をしながらやってきています。

――この半年でグランドスラム2大会で優勝です。若いとはいえ、進化のスピードが速い。何か飛躍的に伸びた点などを教えてください。

凱人は練習を真面目にするんですね。最初から最後までキッチリやるし、今やってる練習というのはいろんなメディアにも言っていますが、地味な基本練習に時間をすごく費やしているんです。そういう地道な練習の成果が自信にもつながってきます。

――それは健常者の練習を応用してやっているのですか。

練習メニューは健常者と一緒ですよ。健常者のジュニアとやってきたこと、ドリルメニューなどもそうですね。

――しっかり下がって打つことだけではなく、前に行く、ドロップショットを使う、ボレーがある、というのは、以前の車いすテニスでは少なかったように思えます。

彼のストロークは武器になると思うので、その延長となるボレーでフィニッシュするというのはテニスの基本だと思います。車いすテニスでもコートのサイズは一緒なので、主導権を握ればボールは浮いてくる。そこをもう一回落としてラリーするのではなく、相手が逃げてきた時点でポイントを取り切ってしまうのは、やはりネットに近ければ近いほどポイントは取りやすい。そういうところをベースに練習しています。

――さらなる進化を目指すところと基本練習をやるバランスと、どういう割合なのでしょうか。皆さん気になるところだと思います。

逆に他の選手がどんな練習をしているのかというのかわからないのですが、新しいチャレンジというのは、こういう試合(グランドスラム)に出ていくと相手に対策もされるでしょうし、それをされた上で新しく課題が見えてくる。そういう意味で全仏、ウィンブルドンと幸い良い結果(2大会連続優勝)を挙げることができたので今やっている練習、つまり基本練習を変えるという概念はないんです。凱人からこういうのが必要というのがあったり、それが私からあったら導入していくイメージです。

小田凱人を昨年から指導する熊田浩也コーチ

――むしろ練習方法を変えなかったからこそこの躍進につながっていると。

「つまらない練習をこなす」、言い方は良くないですが基本練習は楽しくはないですよね。対人で打ち合った方が楽しいですし、ゲーム形式の練習も面白いと思います。ですが、(我々の練習は)本当に同じところに打つ練習が多いんです。だけどそれって一番変化がわかる。打っている凱人もそうだし、うまくいっているのか、そうでないのかのジャッジがしやすいと思います。だから基本練習こそ自分の成長を一番感じられる練習だと思います。

――練習時間はどのぐらいで設定されているんでしょうか。

試合直前になると対人を増やしたりするのですが、トーナメントが終わって帰り、練習するぞ!となると3時間ある練習のうちの3/4、半分くらいは基本練習です。

――それはすごいですね(笑) みなさんいろいろ新しいことを試したり、いろいろやりたがると思います。それは熊田コーチを信頼していることだからできるように思います。

凱人と練習し始めてからそれしかやってきていない。私はそれ(基本練習)を大事にするというモットーがあります。

――熊田コーチの「テニス論」はどこからくるものなのでしょうか。

自分も若い時にプレーヤーをやっていた時があって、その時もそういう基本練習が多かったんです。トップ選手でもそういう地道な練習というのを試合の合間でも試合後でもやっています。特に車いすテニスは足が使えないので、ボールと自分の距離感をアジャストするというのが難しい。(健常者の場合だと)足が使えて細かく動いて調整することはできますが、車いすだと何回も同じ動きを繰り返して、感覚で覚えなければいけない部分もあると感じるので反復練習は大事だなと思っています。

――車いすならではのシステマチックな動きなどもあるということでしょうか?

タフな状況になってもボールをコートに入れないといけません。だからこそ反復練習は必要です。ただ同じところにボールを出し続けて打つという練習もありますし、本当にランダムにボールを出すこともあります。これだけの数のボールをコートに入れないと終わらないよという練習もあります。アレンジはしますが基本的には地道な練習が多いです。

――「チャンピオンを生む秘訣」を皆さん知りたいと思い、何か特別なことをしているのではないか、すごいものを食べているとか聞きたがっているのでは?

皆さん期待して聞いてくるんですけど、特に変わったことはやっていないんですよね。

――練習はコツコツ。試合ではものすごくファイトしていますね。メンタル的な特徴みたいなものはありますか?

全仏とウィンブルドンで優勝できて、今年に入って彼の変わったなと思うところは大事な場面、駆け引きする場面での勝負強さです。自信を持ってラケットを振れるようになったし、強打して打ち込んでいくボールとしっかりとコートに入れにいくボールの選択ができるようになったと思います。それが普段の練習の地道な練習をやりきってきた結果で、自信がついて勝負強さ、この場面ではこういうショットの選択をするということがオートマチックにできるようになってきた。(試合中にも)これを獲らないと相手に流れを持っていかれるというゲームやポイントでもポイント獲得率が上がったり、ゲームが取れるようになったのは一番成長した部分かなと思います。

――コーチの皆さんは生徒に「基本練習」をやってほしいと思う一方で、選手がそれを嫌うこともあります。小田選手は基礎練習を理解し、納得して常に取り組んでいると感じましたが、これを続けていればチャンピオンになれる!と確信を持てる継続力についてどのように考えていますでしょうか。

毎日一緒にコートに立っていて、昨年そういう取り組みを通して結果がついてきたので嫌でもやっぱり必要という認識はあるのだと思います。そこで結果が出てこなければ、当然それは私の責任でもあります。

――それを選手や生徒に対して「俺を信じてついて来い!」と言えるかどうか。

ある意味「賭け」でもあるんです。私はこれが必要だと思っていますが選手側から言えば、「これで上手くなれるのか?」というところからのスタートです。私がコーチである以上、彼は私を信頼する以外方法はないんです。

その「楽しくない練習」を彼は全力で取り組める能力がある。手を抜こうと思うと抜けられる練習なので、20球ボールを打つ時に80%でプレーし、余力を残して終わろうと思えば終わるようなこともできます。それに対して彼は100%で臨むから身になっていくと思います。

(それを続けていくと)良い時とそうでないときのジャッジが彼も私の方もしやすい。同じ練習をして、同じ球出しを打っているので良い時はこうなるけど、そうでない時はいつもより飛んでないとかボールが軽いねとか。

私の中でのコーチ論は、選手の良いところを知るということを大事にしています。試合になるとラリーが多くなって、いつも通りの良い状態をキープするのが難しくなります。良い状態を知っておくことで、そうでない時に戻しやすくなる。それを基準を「知る」意味でも普段やっている練習で、彼の良い状態に対して敏感になっている自分がいるかなと思います。

――もっとすごいものを、もっと変わったものを取り入れないとトップにはいけないと思いがちになる。

トレーニングなど彼は放っておいても自分でやってきます。練習前だとアップとトレーニングは必ず自分でやってくるし、むしろそこに時間を費やしている。僕は彼を信頼しているので監視もしません。それを終えてからオンコートでの練習がスタートします。

――自立した良い関係のように思いました。熊田コーチが感じている日本人のテニスの改善点などがあれば教えてください。

健常者のプロのコーチに就いたことがないのでジュニア育成という視点からですが、ジュニアに関してはコーチを「信頼」することが一番だと思います。例えば、プロではない保護者の方が、いろいろ言ってしまい選手が嫌になってしまうことがよくあります。凱人はジュニアではないですが、彼のご両親は「そういうことに関してはコーチにお任せします」というスタンス。そういう意味では凱人は自立できているし、テニスのことや生活など自分のことは自分でマネージメントできているのでその強さもあります。

――車いすテニスに熊田コーチが関わってからこれまでにない気づきなどあれば教えてください。

私も凱人をサポートするまでは車いすテニスを正直あまり見たことがなかったんです。実際に車いすに乗ってプレーしてみた感覚は、ものすごく面白いスポーツだと思います。健常者テニスとは違う面白さの中で、トップで戦うプレーヤーたちはすごくプロフェッショナルな取り組みをされている。

そういう部分はメディアにはあまり取り上げられないことで、目にすることがないんですが、実際に私が見てみて皆さん一人のプロフェッショナルなアスリートとして活動されています。いろんな人に車いすテニスという競技を観てもらいたいですね。

元々は健常者の育成に携わってきたのですが、そのコーチ仲間も私の活動に興味が湧いて「熊ちゃん頑張っているね!」と車いすテニスを見てもらって応援されることも多くなってきたのでうれしくてもっと広まっていってほしいです。

――車いすテニスの魅力を皆さんに伝えていけるほどのガッツや魂が小田選手にはあると思います。その期待が大きい分、彼もプレッシャーを感じることもあると想像します。そのプレッシャーへの向き合い方を教えてください。

私自身は一つの試練がいずれ来ると思っています。プレッシャーや勝たなければいけないと思うシチュエーションは必ず来る。それが私や凱人にもあるとしたら、「早くてよかったな」と思うでしょう。

というのも、早くこれを乗り越えればもっと強くなれると思うし、プレッシャーのない選手なんていない。今、凱人にプレッシャーがあるのだとすればそれはこの早いタイミングで来て良かったなと思います。

――一般の方にも想像できない期待があると思います。それを克服することでスターになっていく一つの要素だと思います。これまで見たことがないファイターですね。

彼なら乗り越えられると思います。

――車いすテニス観戦、認知度がどんどん広まっていくことを願っています。貴重なお時間をありがとうございました。

© 株式会社キャピタルスポーツ