佐藤春夫の書簡新発見 谷崎潤一郎との「細君譲渡事件」関連も、和歌山・新宮の記念館

新発見された佐藤春夫の書簡などを発表する関係者(21日、和歌山県新宮市で)

 和歌山県新宮市の佐藤春夫記念館などは21日、新宮出身の作家・佐藤春夫(1892~1964)の遺族から寄贈された資料の中から、新発見の書簡などの資料118点を確認したと発表した。さらに妻・千代の書簡も同封されており、世間を騒がせた昭和5(1930)年の「細君譲渡事件」前後の書簡も多数あり、事件後すぐに発症した脳出血に関する新事実も判明。記念館は「当時の様子を知ることができる大変貴重な資料」と話している。

 佐藤春夫記念館と、同館と包括的連携協定を結んでいる実践女子大学(東京都)が新宮市役所で記者会見を開いて発表した。

 佐藤と谷崎潤一郎(1886~1965)は親友で、昭和5年8月に谷崎が妻・千代と離婚し、佐藤は千代と結婚。これが「細君譲渡事件」といわれ、世間の注目を集めた。佐藤はこの事件の弁明を、紀伊新報(現在の紀伊民報)に寄稿している。

 新たに発見された資料は118点。昨年秋に孫である高橋百百子さん(東京都)から、高橋さんの父で佐藤のおいである竹田龍児さん(1994年死去)が所蔵していたとされる書簡141点が記念館に寄贈されて確認した。明治から昭和20年代までに至るもので、父・豊太郎宛てが91点と最も多く、年代で見ると昭和5年が26点と多かった。これとは別に、千代から豊太郎宛ても10点確認された。

 記念館と実践女子大学は今回、昭和5年に焦点を当てながら、記念館の解読作業に合わせて、それと対となる父・豊太郎の書簡の解読にも取り組んだ。

 佐藤は細君譲渡事件後すぐ、脳出血で倒れて闘病。これまでは「9月初旬」に倒れたとされてきたが、今回の発見によって「9月下旬」であると判明。外出できるようになるまで1カ月ほどかかったという。

 記念館の辻本雄一館長(78)は「昭和5年は春夫にとって非常に重要な年。ほんの2、3日で快癒したともされてきたが、今回の手紙の発見などで決してそうではなかったことが分かった」と説明した。

 実践女子大文芸資料研究所客員研究員の河野龍也・東京大学文学部准教授(46)も「細君譲渡事件と脳出血という二つの事件があり、不安を抱えながらも、家族が非常に細やかにかばい合って乗り越えようとしていた状況が分かってきた」と話している。

 記念館では今回発見された資料を展示・公開する企画展「佐藤春夫、家族への手紙」を11月29日から開く。期間は来年2月25日まで。

© 株式会社紀伊民報