「自分は人殺しに加担した一味だ」死刑執行に立ち会った教誨師の“消えない思い”

死刑執行後、自分の気持ちを整理できないことも…(※写真はイメージです IYO / PIXTA)

内閣府が2019年に実施した世論調査によれば、死刑制度について「やむを得ない」と回答した人は80.8%で、「廃止すべきである」の9.0%を大きく上回っています。

しかし、国民は「死刑」の詳細を、どのくらい知っているのでしょうか。死刑執行当日の拘置所に流れる異様な雰囲気、刑務官たちの重すぎる心的負担、死刑囚の心のケアを行う教誨師の苦悩…。

死刑執行に携わるさまざまな立場の人たちへのインタビューをもとに、いわば“ブラックボックス化”したまま継続されている「死刑制度」の実態に迫ります。

【#4】「この日のことは忘れられません」死刑囚の“精神的支え”教誨師が語る「執行の日」

※この記事は共同通信社編集委員兼論説委員の佐藤大介氏による書籍『ルポ 死刑 法務省がひた隠す極刑のリアル』(幻冬舎)より一部抜粋・構成しています。

最期の語らい

午前8時半近く、刑場のドアが開き、両脇を刑務官に挟まれた木田死刑囚が入ってきた。引きずられることなく、自分の足で歩いている。緊張していた吉永さんは、その様子を見てほっとしたと言う。

「自分ではまったく理解できないのですが、そんな気持ちになったんです。救いを求めようとする心が、そうさせたのかもしれません」

木田死刑囚は、吉永さんの姿を見つけると、安心したかのように笑顔を見せた。笑顔を返したのかどうか、吉永さんの記憶は定かではない。「手続き」は淡々と進み、椅子に座らされた木田死刑囚に拘置所長が近づき、執行命令書を読み上げ、死刑執行の事実を伝えた。拘置所長の言葉に抑揚はない。その間、木田死刑囚は取り乱すことなく、黙って聞き入っていた。

木田死刑囚は吉永さんが教誨を受け持った3年前から、死を受け容れている様子だった。被害者の冥福を祈り、宗教の話をした後は、いつも自分が書いた詩を見せてくれた。故郷や母親などについてつづった詩は、純朴な少年のように素直なもので、死への怖れを感じさせるものではない。話が死に及んだときも、木田死刑囚は「私はいつでもいいんです」と話していた。刑場での木田死刑囚は、その言葉通りに落ち着いた様子だった。

死刑執行を告げると、拘置所長は木田死刑囚にお茶と菓子を勧めた。遺書を書くことも促したが、木田死刑囚はお茶を飲んだだけで、菓子には手をつけず、遺書も断った。すこし間をおいて、拘置所長が「では、お願いします」との言葉とともに、吉永さんに最後の教誨を施すよう目配せした。

木田死刑囚に近づく数歩の間も、吉永さんは自分が何を語っていいのかわからなかった。椅子に座って目の高さを合わせて向き合うと、木田死刑囚はいつもの教誨の時間と同じように笑顔を見せている。その笑顔に救われたかのように、吉永さんは「ついにこの時がきてしまいましたね。でも、いつものようにお話をしましょう」と語りかけた。

これから旅立つ世界のこと、木田死刑囚が書いてきた詩のこと。許された時間は5分あまりだったが、吉永さんは木田死刑囚と話しながら緊張が解け、教誨師としての自分を取り戻していた。拘置所長が終わりを告げようとしたとき、吉永さんはゆっくりと立ち上がり、取り囲むように立っている刑務官たちに落ち着いた口調で話した。

「もうすこしだけ離れてください。私たちだけの空間をください。最後に彼と話をしたいのです」

刑場に一瞬、緊張が走ったが、拘置所長が「わかりました」と短く答えると、刑務官たちは何も言わずに数メートル退いた。吉永さんが近づくと、木田死刑囚も立ち上がり、お互い抱き合った。刑場で確定死刑囚の体に触れてはいけないと言われていたが、止める者はいなかった。

「私たちは兄弟です」
「何もできなかったけれど、また会いましょう」

木田死刑囚を抱きしめた吉永さんは、そう語りかけた。

「大丈夫ですよ、先生。ありがとうございました。お元気で」

木田死刑囚の答えが、二人の最後の会話だった。

木田死刑囚から離れた吉永さんのもとに刑務官の一人が近づき、「これから行いますので、先生は……」と耳打ちした。木田死刑囚の笑顔は、刑務官たちに囲まれて見えなくなり、吉永さんはそのまま刑場のドアを出た。

それから約1時間後。吉永さんが再び会った木田死刑囚は、棺に納められていた。

「立派な最期でした。先生のおかげです。ありがとうございました」

拘置所長ら幹部が深々と頭を下げ、吉永さんも祈りを捧げた。しかし、棺の中にいる木田死刑囚の顔を見ることはできなかった。

教誨師の精神的負担も計り知れない(buritora / PIXTA)

「殺人」に加担した者は赦されるのか

吉永さんは、死刑執行に立ち会った自らの気持ちを整理できなかった。

教誨師になりたての頃、死刑執行に立ち会ったという先輩の教誨師から、自分の気持ちを整理できなくて、同じ教誨師の仲間に「自分のために祈ってほしい」と頼んだという話を聞いた。そのことを思い出し、吉永さんも親しい宗教者に祈ってもらった。

「教誨の活動というのはミッションだと思っています。仕事じゃなくて使命なんです。でも、自分のしたことはミッションを超えている。戦争に行ったら、こんなのとは比べものにならない惨状が広がるわけで、だからみんな精神を病むんでしょうね」

後日、吉永さんや執行に携わった刑務官や木田死刑囚の担当だった刑務官らが集まり、拘置所内で簡素な慰労の会が開かれた。拘置所長は「国家の決めた事柄をしたのですが、さまざまなお気持ちがあると思います。しかし、法律にのっとったことなので、理解して収めていただきたい」と話した。だが、吉永さんは「自分は人殺しに加担した一味だ」という思いが消えることはなかった。

「直接手をかけたわけではないですし、彼も法的に仕方なくその場所にいて、彼の望みもあって私はその場所にいただけなのですが……。でも、人殺しに手を貸したことには変わらないと思うんです。例えば私がそこで大暴れしてやめさせようとしても、せいぜい1日(死刑執行が)延びるくらいでしょう。結局、私にやめさせることなんてできないんですから」

「この人がそんなに悪い人かなと思いますよ。会っているときにはそう思うこともあるんですよ、多分に。でも、よっぽどの冤罪でないかぎり、彼自身がやったことで不幸にしてしまった人たちもいる。だから、法治国家の中で決められたことに関して、彼が苦しめた人の方には寄り添わないで、彼だけの気持ちに沿ってそれを暴れてやめさせたとしても、結局、うまく説明がつかない行動でしかないですよね、どっちにしても。だから、担当した人たちが最後に一緒にいてほしいというのであれば、その願いをすこしでも実現できるように精一杯のことをするしかないのですよ。(死刑執行を)やめさせることもできないし、私には何もできないですから……。何と言っていいか、やはり言葉になりませんね」

木田死刑囚の執行直後は、教誨を担当するほかの確定死刑囚が死への恐怖と動揺をぶつけてきたが、自らも実際に立ち会った苦しみをさらけ出した。

「彼らに『私は見本的な信仰者ではありません。優秀な宗教者でもない。駐車違反もするし、教誨で使おうとしていた本を忘れちゃったりもする。そんなダメな私ですがいいんですか』と聞くんです。そうすると『そういう不完全な人の方がいいんです。親近感がわくし、完璧な人ならむしろ合わない』と言うんです。他の人に替わってほしくもないと。だから、最期まで行きましょうと話をしたんです」

教誨師が死刑囚に対してできることは何なのか。「殺人」に加担した自分は赦されるのか。答えの出ないまま、吉永さんは同じ拘置所で確定死刑囚への教誨を続けている。

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