【立川祐路──スーパーGT最速男との記憶】(5)伊藤大輔「いつも妬ける。『カッコ良すぎるやろ』って(笑)」

 7月28日、2023年限りでスーパーGTから引退することを発表したTGR TEAM ZENT CERUMOの立川祐路。1997年にJGTC全日本GT選手権にデビューを飾り、2001年、2005年、2013年と三度のチャンピオンを獲得。さまざまな名勝負を演じてきたドライバーの引退発表は、大きな反響をもたらした。立川のキャリアの中で欠かすことができない存在である同世代のライバル、チームメイトたちに、立川、そしてその引退について聞いた。

 第5回目は立川と同じ1975年に生まれ、当初はライバルのホンダでGT500を戦い、やがてトヨタ/レクサス陣営に加入し“ライバルであり、仲間”となった伊藤大輔だ。

■立川が“悔しがった”F3最終戦

 現在、TGR TEAM au TOM’Sの監督を務める伊藤にとって立川は、同い年でありながら、キャリアでは常に『一歩先』をゆく存在でもあった。

 伊藤は1995年に鈴鹿サーキット・レーシングスクール・フォーミュラ(SRS-F)に入校。翌年、フォーミュラ・トヨタで4輪レースデビューを飾ることになるが、このときに立川の名前をしっかりと意識することになったという。

「(立川が)前の年のチャンピオンだったので、自分がフォーミュラ・トヨタをやるにあたって『そういう人がいたんだな』という認識を持ちました」

 邂逅は意外や早いタイミングでやってくる。伊藤がF3にステップアップした1997年の最終戦、鈴鹿だ。

 この年、スキルスピードからF3フル参戦を果たした伊藤は、予選でポールポジションを獲得。ライアン戸田レーシングの立川も2番手につけるが、スタートを決めた伊藤がレースをリード、そのままF3初優勝を遂げた。

「あの最終戦は(タイトルを決めていた)トム・コロネルが不在だったんですよね」と伊藤は当時を振り返る。

「彼(立川)の方が(年間でみて)アベレージでは速かったと思うのですが、あの鈴鹿では僕が引き離せていけた。レース後、彼が『毎周じわじわと、コンマ数秒ずつ引き離されるのが、悔しくてたまらなかった』みたいなことを言っていたのは覚えていますね」

1997年の全日本F3最終戦鈴鹿、ポールポジションから好スタートを決めた77号車が伊藤大輔、後方イン側の2号車が立川祐路
1997年の全日本F3最終戦鈴鹿、F3初優勝を飾った伊藤大輔と、2位に入った立川祐路

 立川はこの1997年、スポット参戦でフォーミュラ・ニッポンにもデビュー。そして1999年からは、GT500にフル参戦を開始した。一方の伊藤は、2000年にGT500デビュー。ここでも、立川が“一歩先”を歩んでいた。ちなみにこの2000年に立川はGT500初優勝、翌年には最初のタイトルを獲得している。

 ここから伊藤がGT500のレギュラーシートを退く2016シーズンまで、ふたりは同じ舞台でレースを続けることになるが、「あまり直接バトルをした記憶はないですね」と伊藤は言う。

「彼が決勝レースの前半に乗ることが多くて、僕は後半を担当することが多かったからかもしれません」

■“感性だけ”ではなかった

 ひとつ、立川の印象が変わった瞬間があるとすれば、2008年にホンダからトヨタ(レクサス)へと、伊藤がメーカー移籍を果たしたタイミングだ。前年チャンピオンのメーカー間移籍は当時話題となったが、伊藤はその裏で、開発ドライバーとしてともに働くことになった立川に驚いたという。

「もっと感性だけで速く走っているドライバーかなという気がしていたのですが、開発テストでのクルマについてのフィードバックの仕方や、その表現方法などが印象に残っていますね。エンジニアに対してすごく分かりやすく、上手に説明していました。自分とはちょっと違う言い回しをするのですが、『あぁ、それって僕も言いたかったことだよな』みたいな感じで」

2008年5月、翌年にデビューする2009年規定のSC430の開発テストに参加したトヨタ/レクサスの開発ドライバー陣。脇阪寿一、立川祐路に加え、この年からトヨタに移籍した伊藤大輔も開発ドライバーとして名を連ねていた。

 そんな伊藤は、多くのGTファンと同様に、立川が度々見せる熱い走りに感銘を受けてきたひとりでもある。

「彼のアグレッシブなオーバーテイクには、同じドライバーとしてもすごく楽しませてもらったし、僕が監督になってからも、同い年のドライバーがああやって頑張ってくれているのは、すごく勇気づけられた部分もありましたね」

 だが、同じドライバーとしては複雑な心境もあったようだ。伊藤は立川の存在について「同い年のライバルでありながら、ちょっと羨ましい存在、かな」と表現する。

「いいところでポール獲って、いいところでみんなを沸かせるようなオーバーテイクをして……いつも妬けますねぇ。そういう『おい、それカッコ良すぎるやろ』『ズルいなぁ』みたいなところが(笑)」

 立川がドライバーとしてここまで長く活躍できたことについて、伊藤は「いい意味でレースのことばっかりじゃないですか。あまり余計なことは考えずに、レースを常に考えて普段の生活をしてきたようなところが、長く乗れた秘訣なんじゃないかと思います」と分析する。

 今回の立川の引退発表に際し、「僕からすれば、ああやって自ら発信して皆に引退を報告できるのは素晴らしいことだと思う」と語る伊藤。今後は立川のキャラクターを活かして、モータースポーツ界に貢献して欲しいという思いを抱いている。

「ああ見えてというか、レースのことはきちんと考えている人ですし、実際スーパーフォーミュラでは監督もやっている。そして彼は人気もある。もちろん、これからはドライバーの育成などにも期待したいですが、どちらかというとファンの方たちに対しての集客の部分を頑張ってもらいましょうか(笑)」

2013年のスーパーGT第6戦富士で表彰台に立つ1位の立川祐路/平手晃平組、3位の伊藤大輔/アンドレア・カルダレッリ組

© 株式会社三栄