「大学16年生」80歳の青春満喫 パソコン覚え、クラブ活動も「友達とワイワイ、楽しい」 兵庫・三木

友人との会話に花を咲かせる吉田曙子さん(右)=三木市高齢者大学

 「大学16年生」の女性が兵庫県三木市にいる-。といっても、高齢者大学の話。吉田曙子(あきこ)さん(80)は三木市高齢者大学と大学院、県うれしの学園生涯大学と大学院をそれぞれ卒業し、現在、院生を含め5回目の高齢者大で学ぶ。「お友達とワイワイ言いながらの大学生活は本当に楽しいのよ」。その笑顔には充実感がみなぎる。(小西隆久)

 吉田さんは1943(昭和18)年、三木市志染町の農家に生まれた。自身に戦争の記憶はないが、祖母から「収穫後の稲わらを燃やしていたら米軍のB29が飛来してきて、慌てて近くの溝に逃げ込んだ」といった話を聞いた。自宅に防空ずきん、小学校に防空壕(ごう)があったことも覚えている。

 志染中学から三木高校へ進み、卒業後は市内の金融機関に就職。「大学に行きたい」と思ったが、母親の「女の子は大学なんて行かなくてもいいの」との言葉にすんなりと従った。

 5年ほどで退職後、実家で手伝いをしながら洋裁学校に通った。当時開催中だった大阪万博に、夜通しで自作した洋服を着て出かけた日をよく覚えている。「あの頃が私の青春時代だったのかしらね」と笑う。

 見合い結婚で家庭に入り、2人の子どもに恵まれた。当時は当たり前だった婦人会の活動に加わり、先輩に薦められ会長に就任。3期6年を務め、阪神・淡路大震災では、神戸市の被災地で炊き出しにも取り組んだ。

 会長職の終わりが見えてきた63歳の時、保護司に。保護観察になった青少年らを自宅に招き「もう2度と同じことをしたらだめよ」と懇々と説いた。それでも、保護観察期間中に逮捕された中学生がいた。「話をするととても素直な子なんだけど、仲間と一緒にいると悪いことをしちゃうのね」。結局、その後の行方は分からず「何もしてあげられなかった」という無力感に何度もさいなまれた。

 高齢者大学へは、友人に誘われた。「ずっとボランティアばかりしてきたから、自分のやりたいことをやってみたいと思って」。パソコンを覚え、大道芸や書道のクラブに入った。大学の4年間、大学院の2年間。「毎日が楽しくて」、あっという間に過ぎた。

 修了後はうれしの学園生涯大学(加東市)に入学した。大学院では、酒米・山田錦について院生10人でグループ研究に取り組んだ。県の試験場で取材したり、酒屋巡りをしたりして1冊のリポートにまとめた。

 同大学院を終え「もういいかな」と思っていた直後、三木市の高齢者大学に再入学制度ができた。「家にいても仕方ないし」と再び門をくぐった。

 ところが、入学直後から新型コロナウイルス感染症が猛威を振るった。思うような大学生活が送れない中、自宅の庭で転倒し、3カ月間、コルセットが手放せない生活を送った。

 「いつも忙しく動き回っているのが常だったので、動けなくなってそのありがたみに気付いた」。婦人会の先輩に言われた「一つでも人のためにできることが感謝なのよ」との言葉が身に染みた。

 大学生活は残り半年。最近、亡父が使っていた囲碁盤が自宅でほこりをかぶっているのが気になっている。「囲碁部に入って、卒業までにマスターしようかしら」。吉田さんの瞳はどこまでも前を向いている。

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