初期【ザ・チェッカーズの魅力】懐かしさではなく、今を生きる楽曲として愛される理由  デビュー40周年! ザ・チェッカーズのオリジナルアルバム11枚を最新リマスター!

チェッカーズデビュー40周年!

2023年9月21日、ザ・チェッカーズはデビュー40周年を迎えた。これを記念してポニーキャニオンからは『チェッカーズ 40 Anniversaryオリジナルアルバム・スペシャルCD-BOX』としてオリジナルアルバム11枚を最新リマスター、高音質UHQCD仕様にしたBOXとしてリイシュー。そして11月3日には、彼らのラストアルバムにして最高傑作、『BLUE MOON STONE』を初のレコード化、2枚組LPとしてリリース。さらに11月22日にはNHKに残された貴重映像をBlu-ray化した『チェッカーズ〜40 Anniversary〜NHKプレミアムBlu-ray BOX』のリリースが決定している。さらに12月20日には、1992年12月、日本武道館でのチェッカーズラストライブとなった「FINAL TOUR」の模様をファンからの熱い要望もあり最新のリマスター映像のBlu-ray化したものがリリースされる。こちらの特典映像には新たに発掘された1987年の中野サンプラザでの「GO」ツアーライブ映像の一部が収録されている。

昭和、平成、令和と世代を超えて今も多くのファンの心の中で懐かしさではなく、今を生きる楽曲として愛され続けている理由を彼らの活動期を初期・中期・後期と分けて考察してみたい。今回はアルバム『絶対チェッカーズ!!』から『FLOWER』、そして作曲家 芹澤廣明監修のサウンドトラックアルバム『SONG FOR U.S.A.オリジナル・ソング・アルバム』までについて彼らの軌跡を追ってみた。

ツッパリカルチャーの終焉とチェッカーズの登場

1983年9月21日、ザ・チェッカーズ(以下チェッカーズ)が「ギザギザハートの子守唄」でデビュー。ツッパリ賛歌とも言えるこの曲が発表された1983年にはちょっとした興味深い異変があった。70年代末から80年代にかけて東京近郊で隆盛した暴走族の多くは、1982年に解散。そしてツッパリカルチャーの象徴であったT.C.R.横浜銀蝿R.S.が83年の12月31日に解散している。つまり1983年とはツッパリカルチャー終焉の年だとも言えるだろう。そこで敢えて「♪ちっちゃな頃から悪ガキで」と歌う彼らは時代に逆行しているかのように思えた。しかし、その演奏する姿を見ると、誰もがそれまで目にすることがなかった全身チェックの衣装は最先端のモードだった。この相反する絶大なインパクトがチェッカーズデビューの衝撃だ。

最先端のモードを身に纏い歌ったツッパリ賛歌の「ギザギザハートの子守唄」はそれまでの主流だったツッパリカルチャーを完璧に過去の産物として葬り去った。時代はリーゼントに革ジャンからキュートでファッショナブルに。この地殻変動はじわじわと時代を動かしつつあった。

言うまでもなく、ドメスティックな印象を前面に打ち出した「ギザギザハートの子守唄」はチェッカーズの本質から遠く離れたものであり、そういった理由からも爆発的なヒットには至らなかった。しかし、彼らの本質とも言える映画『アメリカン・グラフィティ』をモチーフとした歌詞による「涙のリクエスト」で一気にスターダムにのし上がる。時代が明確に変わった瞬間だった。

「ギザギザハートの子守唄」「涙のリクエスト」「哀しくてジェラシー」が3曲同時にトップテン入り

その後の快進撃は周知の通り。「ギザギザハートの子守唄」「涙のリクエスト」「哀しくてジェラシー」が3曲同時にトップテンランキング入り。「涙のリクエスト」以降、作詞家の売野雅勇が描く世界は一貫して地方都市出身の若者たちの青春だった。それは彼らのシングル売り上げナンバーワンを記録した「ジュリアに傷心」で歌われる「俺たち都会で大事な何かを失くしちまったね」に象徴される。初期チェッカーズのシングル曲を手掛ける売野雅勇=芹澤廣明コンビは彼らのバックボーンを綿密に再現した数々の楽曲を手掛ける。その完璧なコンセプトと個性溢れるバンドのキャラクター、そして藤井郁弥(現:藤井フミヤ)の類まれな歌唱力。この3つの要素が絡み合って彼らの人気は揺るぎないものとなった。

しかし、初期チェッカーズを語るにあたり、最も声を大きくして言いたい部分は、このような人気絶頂の活動の中で、B面曲、アルバム収録曲ではメンバーがソングライティングを担い、音楽性を高め、進化し続けたことだ。つまりチェッカーズはアイドル視されながらも、バンドであり続けた、ミュージシャンであり続けた。これはアマチュア時代から92年の解散まで変わることがなかった。

チェッカーズ流反戦ソング、藤井尚之が手掛けた「Lonely Soldier」

3曲同時トップテン入りした時期にリリースされたファーストアルバム『絶対チェッカーズ!!』では、後にソングライティングの主軸を担う鶴久政治が頭角を現す。ラテンフレーバーの「ウィークエンド アバンチュール」、自らがリードボーカルをとる「HE ME TWO(禁じられた二人)」は当時台頭していたUKネオアコースティックに接近。チェッカーズの多様性は、すでにファーストアルバムで垣間見ることができた。

さらにセカンドアルバム『もっと!チェッカーズ』では藤井尚之が自身の世界観を見事に浮き彫りにする。自らが作曲を手掛け、リードボーカルをとる「Lonely Soldier」は、チェッカーズ流反戦ソングだ。この楽曲をA面の最後に入れることで、アルバムの印象は大きく変わった。まさに “静かなるチェッカーズ” とも言える藤井尚之の醸し出す世界観は、パーティバンド的な側面とは一線を画す淡い短編映画のようであった。リリックに描かれたもの哀しいストーリーを具現化するメロディは極めて独自性が高く、ファーストアルバムの鶴久同様、メロディメーカーとしての片鱗を覗かせていた。そして『毎日!!チェッカーズ』では、売野雅勇=芹澤廣明コンビの作品は3曲のみとなり、武内享、藤井尚之の楽曲がアルバムのトーンを形成した。

つまり、アイドルバンドとしてテレビで彼らの姿を見ない日がなかった1984年から1985年にかけて、多忙を極める中でも音楽制作と真摯に向き合い、アルバムのクオリティを高めていった。この2年間がなければ、初のセルフ・プロデュースアルバム『GO』以降のオリジナリティの高いアルバム群をリリースすることもなかっただろう。そしてこの初期3部作で積み重ねたキャリアが、初期チェッカーズの集大成でもあり、『GO』への前哨戦とも言える『FLOWER』で花開くことになる。『FLOWER』には後の彼らのフォーマットとなる藤井郁弥作詞でメンバーが作曲を担う曲がアルバムの半数を占める5曲収録されている。

与えられた楽曲を自分たちのカラーでブラッシュアップ

そして、チェッカーズ2作目の主演映画『チェッカーズSONG FOR U.S.A.』のサウンドトラック「SONG FOR U.S.A.オリジナル・ソング・アルバム」では芹澤廣明の音楽監修のもと映画のディティールを楽曲で再現。4枚のオリジナルアルバムで独自性を高める一方で、与えられた楽曲を自分たちのカラーでブラッシュアップした世界を確立させた。

このSONG FOR U.S.A.オリジナル・ソング・アルバム」からわずか10ヶ月後、チェッカーズ初のセルフ・プロデュースアルバム『GO』がリリースされることになる。

Information チェッカーズ 40th Anniversary

https://checkers40.ponycanyon.co.jp

カタリベ: 本田隆

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