おなじみの神戸銘菓…なんで瓦形せんべい? 創業150年の老舗が語る「秘められた戦略」とは

楠木正成の騎馬姿を焼き付けた瓦せんべい

 前シリーズ・神戸駅編で紹介した湊川神社。南北朝期の武将、楠木正成(まさしげ)を祭るが、少し東へ足を延ばせば、ゆかりの店もある。元町6丁目商店街に店を構える亀井堂総本店だ。1873年の創業から今年で150年。初代松井佐助が瓦せんべいの生みの親で、正成の姿を焼き付けて売り出したという。全国でおなじみの神戸銘菓だが、気になっていたことが一つ。なんで瓦形なの?

 「理由の一つは、佐助の趣味に由来していますが、時代背景を踏まえた戦略が隠されています」

 記者の疑問に答えてくれたのは、5代目店主の松井隆昌さん(36)。佐助のやしゃごにあたる。

 佐助は大阪・河内出身。開港間もない神戸の紅梅焼店に奉公した。紅梅焼は小麦粉に水と少量の砂糖を加えて焼き上げる菓子で、店には、瓦せんべいの原型となる商品もあったそうだ。

 「面白いことをやろう」。そういう気風にあふれていた佐助は、小麦粉に卵、砂糖もふんだんにつかった菓子を作った。さて、どんな形にするか。頭に浮かんだのは、自ら趣味で集めていた古い瓦-だった。

 ここまでは神戸銘菓の誕生秘話として語られているそうだが、隆昌さんがより深く「あえて瓦形にした戦略」を読み解いてくれた。

 開港後、神戸では家が増え、瓦の需要も高まった。新築時などに瓦に「祝」の文字を刻み、贈る文化もあったという。隆昌さんは「菓子を瓦形にすることで、高級感、贈答品のイメージを持たせた」と語る。

 さらに隆昌さんは、形以外にもう一つ、佐助の戦略を指摘する。瓦せんべいに焼き付けた正成の姿だ。

 佐助が創業する1年前の72(明治5)年、湊川神社が創建された。王政復古したばかりの明治の世。後醍醐天皇に最期まで忠誠を尽くし散った正成は、大ブームとなっていた。

 瓦というモチーフに当時流行のキャラクターを組み合わせた佐助。隆昌さんは「意識していたのか、無意識だったのか、佐助は今でいうキャラクタービジネスに乗りだした」。瓦せんべいの見た目に隠されたヒットの秘訣(ひけつ)というわけだ。

 総本店にある製造工房を案内してもらった。焼き上がったばかりの生地は少しやわらかい。職人が焼き印を押し、一枚一枚裏返して、木製の曲げ台に並べる。台は中央に向けてゆるやかな谷型で、生地自体の重みで台に沿って湾曲させ、瓦形に仕上げていた。昔から変わらぬ工程という。

 瓦せんべいの見た目ばかり質問する記者に、隆昌さんが一言。「神戸洋菓子のはしりとも言えるんですよ」。確かに原材料を考えれば洋風の菓子。なぜ「せんべい」と名付けたのか。新たな疑問にぶつかった。(段 貴則)

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