非医療スタッフインタビュー

活動地で大地震が発生 その時、ロジスティックのリーダーとして

ロジスティシャン 村元 菜穂

嵐のような時間

「地震だ!」 大きな揺れを感じた時、私は同僚と建物の10階にいました。2023年10月7日午前11時、アフガニスタン西部へラート州でマグニチュード6.3の地震が発生した瞬間です。 そこから嵐のような時間が始まりました。およそ2時間後には、何台もの救急車と無数の自家用車、さらにはヘリコプターで、私たちが活動するヘラート地域病院に500人を超える負傷者が運び込まれました 。 これほど多くの患者さんを病院にどう受け入れるのか、スタッフの安全をどう確保するのか、病院の建物の安全性は大丈夫か──。課題が次々に上がりました。 4月からアフガニスタンで活動してきた私の役割は、ロジスティック・チームのリーダー。物資調達や施設の管理、電気、水・衛生などを担うロジスティシャン約100人を統括する仕事です。地震直後の混乱の中、さまざまな決断が迫られました。

震災発生後、医療テントの設営にあたった村元 © MSF
意外でしょうか? 国境なき医師団で働くスタッフの半数は医療以外の人材です。

人事と財務の仕事で感じる、かけがえのない喜びとは

アドミニストレーター 畑井 珠恵

予期せぬがん発覚 生き方を見直した

これまで4回の海外派遣に参加した畑井(右)(パキスタンにて) © MSF

国境なき医師団(MSF)に参加する前に働いていたのは、若者たちの国際交流やリーダーシップ育成に関わる団体です。日々多くの若者たちと触れ合い、天職だと実感する大好きな仕事でした。 しかし、仕事に打ち込んでいたある時、全く予期せぬことが起こりました。健康診断で卵巣がんが見つかったのです。走り続けていた生活に急ブレーキがかかりました。摘出の手術を受け、「もう一度命をいただいた」と、これからの生き方を改めて考え直しました。 この命を使って何か新しいことをしたいと思っている時に、MSFで働く看護師の話を聞く機会がありました。MSFなら自分自身が人道危機の現場に入って、人の役に立つことができる。その魅力を感じ、20年働いた職場を退職してMSFへの参加を決めました。

意外でしょうか? 国境なき医師団で働くスタッフの半数は医療以外の人材です。

「まだ見ぬ自分を見てみたい」 向上心を持ち続けられる仕事

ロジスティシャン 小口 隼人

悩み続けた日々

「キャプテン翼」に心奪われ、サッカーに打ち込んで育ちました。中学では神奈川県の選抜チームに選ばれ、プロ選手を目指すまでに。しかし高校で伸び悩み、大学時代は自分が進みたい道を見つけることができず、「この先どうしよう」と悩んでばかりの毎日でした。 大学卒業後は派遣社員として半年間働いた後、「自分が本当にやりたいことを20代の内に探したい」と、思い切ってアフリカ・ボツワナでの1年間のボランティアに参加。HIV/エイズの活動を通して命に向き合い、終了後はイギリスの大学院で公衆衛生を学びました。 そこで出会ったクラスメイトの中に、国境なき医師団(MSF)のスタッフがいたんです。イタリア人とフランス人の医療従事者で、2人とも現場の話をよく聞かせてくれました。教授が教える理論に対して、現場の実例を元に問題提起したりと積極的で。その割にプライベートではのんびりしていて、憎めない2人だったんです。そんな彼らがかけてくれた一言が、私の人生を変えることになりました。

これまでに10カ国 で活動した小口 © MSF
意外でしょうか? 国境なき医師団で働くスタッフの半数は医療以外の人材です。

多国籍チームを一つにした言葉とは 命を守る現場のリーダーとして

プロジェクト・コーディネーター 下山 由華

あらゆる意見をフェアに聞く

アフリカ系の医師、欧米出身の看護師、中東から来た財務担当、南米出身の物資調達スタッフ……と、国境なき医師団(MSF)の現場では職種も国籍も異なるスタッフが一つのチームとして働いています。その中で、チームをまとめてプロジェクト全体を統括する「プロジェクト・コーディネーター」を務めてきました。 MSFは医療援助を行うために活動しています。しかし、医療スタッフがすべてを決めるわけではありません。医療スタッフと非医療スタッフが協力して、一緒に問題を解決するんです。「患者さんの命を助ける」というゴールのために、資金面や物資の調達、セキュリティなど、どの役割も欠かせません。さまざまな意見をフェアに聞いて、目的を達成するためにベストな判断をすることが私の役割です。 それでも、あまりにも多くの命が日々失われる現実に、心が折れそうになることもありました。

シエラレオネで活動した下山(中央)と同僚たち © MSF
意外でしょうか? 国境なき医師団で働くスタッフの半数は医療以外の人材です。

求められる「プロ意識」 自分のスキルを人道援助で生かす

アドミニストレーター 趙 悠蓮

社会人10年目に選んだ新しい道

医療従事者ではない私が、まさか国境なき医師団(MSF)で働くとは──。 以前に勤めていた外資系コンサルでは、主に外資系企業や大手日本企業を顧客にしたコンサル業務を担当。大きな予算のついた事業に関わり、待遇でも恵まれた環境ではありましたが、しだいに「私の仕事は世の中の役に立っているのだろうか」「スキルを生かしてもっとやりがいを求められる場はないだろうか」という思いも湧いてきました。 社会人になって10年目に体調を崩して入院した時、病院のベッドの上で「自分が本当にやりたいことって何だろう」と改めて考えました。そこで頭に浮かんだのが、両親が寄付をしていたMSFでの人道援助だったのです。

趙 悠蓮(ちょう ゆりょん) フィリピンのオフィス前で © MSF
意外でしょうか? 国境なき医師団で働くスタッフの半数は医療以外の人材です。

難民キャンプでかみしめた 困っている人の力になる幸せ

ロジスティシャン 大西 基弘

勇気を出して踏み出した一歩

前職では自衛隊で輸送機のパイロットとして、被災地などの援助活動に携わりました。国境なき医師団(MSF)に参加したのは、より多くの経験を積んで人道援助のプロになりたかったから。 正直なところ、誇りを持っていたパイロットの職を辞して人道援助の世界へ飛び込むということは自分自身にとって非常に大きな決断でした。また、採用が決まってウガンダへの派遣を打診された時には、アフリカでの経験があまりなかったこともあり、「行く」と即答できませんでした。その時に後押ししてくれたのが、「1%でも迷うなら、一歩踏み出すと知らなかった景色が見えますよ」という事務局の方の一言。その言葉通り、MSFは私に新しい世界の扉を開いてくれました。 思いを固め、ウガンダにロジスティシャンとして赴任。医療施設の水・電気の管理や物資調達などロジスティック業務全体の監督をする役割に就きました。

大西 基弘(おおにし もとひろ) ウガンダのオフィスにて © MSF
意外でしょうか? 国境なき医師団で働くスタッフの半数は医療以外の人材です。

目指すのは「ボス」ではなく「リーダー」

プロジェクト・コーディネーター 上西 里菜子

辺境での出会い

国境なき医師団(MSF)に関心を持ったのは、アフリカ中央部の国チャドを訪れた時の出会いがきっかけでした。当時、5年間勤めた児童福祉の仕事を辞めてバックパッカーとして世界旅行をしていた私は、アフリカ縦断中に訪れたチャドでMSFの車両を見かけ、「外国人がほとんどいないこんな場所でも活動しているんだ!」と感銘を受けたのです。 その時に出会った海外派遣スタッフの楽しそうな仕事ぶりも印象深く、帰国後にMSFの門戸を叩きました。今年で入団から丸10年。現在はプロジェクトを統括するリーダー職であるプロジェクト・コーディネーターを務めています。

上西 里菜子(うえにし りなこ)、右から2人目共にジンバブエで働いたスタッフと © MSF
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50代で広告業界から転身 人事や経理の本質は万国共通

アドミニストレーター 辻 直行

セカンドキャリアは「人道援助」

一生、学び続ける人生でありたい──そんな思いから、33年間勤めた広告代理店を辞め、国境なき医師団(MSF)に参加しました。 きっかけは2人の子どもが独立した時に「この先、自分がやりたい仕事は何か」と考えたこと。正直、それまで人道援助に関心はありませんでしたが、これからはビジネスよりも人に役立つことをしたいと気づきました。さらに医療現場という未知の世界に飛び込めば、「学びのある仕事をしたい」という希望を叶えられるのではないかと考え、MSFへの転身を決断しました。 パートナーには猛反対されましたが、時間をかけて説得し、最後は納得してくれました。子どもたちはこのセカンドキャリアを応援してくれています。

辻 直行(つじ なおゆき) リベリアの子ども病院にて© MSF
意外でしょうか? 国境なき医師団で働くスタッフの半数は医療以外の人材です。

多国籍な「ワンチーム」命を救う団結力に心震えた

ロジスティシャン 吉田 由希子

説明はいらない「緊急援助」

「国境なき医師団(MSF)」のロジスティシャンとして、紛争下の南スーダンやエボラ出血熱が猛威を振るうシエラレオネなど、計12回の派遣を経験しました。 MSFの特徴のひとつは迅速さ。それを最も体感するのが、緊急援助です。人道危機の現場に集うスタッフは、多くの説明が無くとも自分の役割をわかっている人ばかり。短い会議の後、全員がすぐさま自分の仕事に着手します。そして、電気と清潔な水を備えた医療施設が一気に完成するのです。 シエラレオネでは、エボラの急患が多く発生し、対応に追われる緊迫した状況の中、チーム全員が「一人でも多くを救う」という同じ目標に一丸となって、自分の能力を最大限に発揮。言語も文化も違う多国籍なメンバーが「ワンチーム」で活動する姿には「言葉を交わさずとも、こんなに息の合った仕事ができるのか」と、心が震えました。

吉田 由希子(よしだ ゆきこ)、写真中央 スーダンで共に働いた仲間と © MSF
意外でしょうか? 国境なき医師団で働くスタッフの半数は医療以外の人材です。

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